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島倉千代子から佐野元春まで――評論家活動50周年を迎えた富澤一誠が熱くなり、熱く語った42曲とは?

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト(以下同)

評論家活動50周年を記念して、大きな影響を受けた42曲を収録したCDブックを発売

『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』(7月20日発売/¥4840(税込))
『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』(7月20日発売/¥4840(税込))

音楽を“熱く”語り続けて50年——音楽評論家・富澤一誠(とみさわ・いっせい)氏が評論家活動50周年を迎え、それを記念したCDブック『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』を7月20日に発売し、好調だ。島倉千代子から佐野元春まで、富澤氏が大きな影響を受けた42曲が収録され、それぞれの曲について強烈な音楽体験を交えて熱く語ったライナーが掲載されている。そのキャリアを音と文字で立体的に浮き彫りにさせながら、日本のポップス70年史を彩る名曲の数々が生まれた背景や、曲に込められたアーティストの思いを、改めて浮き彫りにする作品になっている。富澤氏にインタビューし、この作品への思いを“熱く”語ってもらった。

「人間がまずあって、歌がある。歌があって人間があるのではない」

「フォークは、歌にアーティストの生きざまそのものが反映され、我々はその生きざまに共感したものです」。そう語る富澤氏の音楽評論は「音楽生きざま論」と呼ばれ、そのアーティストの生きざまと音楽とを鏡にして、自身の生きざまを描くスタイルの評論を、世の中に提示した。「人間がまずあって、歌がある。歌があって人間があるのではない」という信念の元、時にはアーティストとぶつかりながらも徹底的にその“人間”の部分をあぶり出し、共感し、それが評論となっていった。

20歳の時に、フォーク専門誌に投稿した文章が編集長の目に留まり、評論家の道へ

富澤氏はフォークブームの始まりとともに執筆活動を始め、その“デビュー”は、1971年10月25日に発売されたフォーク専門誌『新譜ジャーナル』への『俺らいちぬけたくないよ 岡林さん』というタイトルの読者投稿だった。岡林信康の当時の最新アルバム『俺らいちぬけた』に対する批評だ。これが編集長の目に留まり「フォーク評論家」としての道を歩み始めることになる。富澤氏20歳、東大(文Ⅲ)2年生の時だ。

「元々文章を書くのが苦手だったので、それで飯を食うという発想は全くありませんでしたが、本気で作詞家を目指していた時期もありました。そう考えると、苦手なものが意外と商売になるんです。それは、得意なものは努力しないから。苦手だと一生懸命やるしかない。だから本人が苦手と思っていることが意外と商売になるケースが多いんです。文章は技術なので、やろうと思えばいくらでもうまくなれます。でも感性はうまくはならない。だから感性、記事の方向性で勝負してやっているうちに、文章って書けるようになると思っていました」。

荒井由実『ひこうき雲』(1973年)に“新感覚ミュージック”というキャッチコピーを付ける

1972年1月吉田拓郎の「結婚しようよ」が大ヒットして、フォークブームの幕が開いた。当然富澤氏の元には雑誌や新聞などから執筆依頼が殺到し、わずか一年で売れっ子音楽評論家になった。1975年を潮目に、音楽シーンはフォークから「ニューミュージック」へとその“流れ”が変わっていく。ちなみにこの年は中島みゆき「時代」、イルカ「なごり雪」、小坂恭子「想い出まくら」が発売され、さらにアリス「今はもうだれも」、甲斐バンド「裏切りの街角」などのバンドがヒット曲を放った。その“前夜”、1973年に新しい風は吹き始めていた。ユーミンこと荒井由実のアルバム『ひこうき雲』が発売され、そのプロジェクトの一員だった富澤氏は、フォークとは違うこの新しく“異質”な音楽に“新感覚ミュージック”というキャッチコピーをつけ、発信した。「ニューミュージック評論家」として引っ張りだこだった富澤氏は「人間がまずあって、歌がある。歌があって人間があるのではない」という信念は変えずに、アーティストの懐深くまで飛び込み、評論を書き続けた。

松山千春、さだまさしの“評伝ルポルタージュ”がベストセラーに

さらに著書では『松山千春・さすらいの青春』『さだまさし・終りなき夢』と連続してベストセラー作品を生み出す。「当時そこまで注目されていなかった松山千春の1stアルバム『君のために作った歌』の推薦文を書いて欲しいと、レコード会社から依頼されて、それを聴いて直感で“いける!”と思ったので“とんだ掘り出し者・松山千春”というコピーを考えました。彼はその後『季節の中で』で大ブレイクしてスターになって、この本を出そうということになり、千春の両親や関係者に徹底的に取材しました。ノンフィクションの手法を使った“評伝ルポルタージュ”という、当時のアーティストの本ではあまりなかったスタイルで書き、たくさんの人に読んでいただけました」。

「谷村新司さんが“次”への道標を示してくれた」

アリスのデビュー当時から付き合いがあった谷村新司とは、3日続けてケンカをしたことがあるという。「評論家なんて嫌い」と言われ、そこからお互いが言いたいことを言い、逆に距離が近づき、その後多くの仕事を共にすることになる。時代のメインストリームはニューミュージックからロックへ移行しようとしている時、富澤氏の元に谷村から「話したい」という連絡がくる。「『事務所から独立して、ヨーロッパ3ヵ国でアルバムを作る。たぶんセールス的には厳しいと思うけど、これをやらないと“次”に行けないので、この全てを見届けて、レポートしてくれないか』と。谷村さんはアリスでナンバーワンになった。でもずっとナンバーワンではいられないと悟って、一度その山を下りて、次は自分だけの世界を確立して“オンリーワン”になることが必要と判断しました。私はやらせてくださいと即答しました。当時私もニューミュージック評論家のままで行くのか、ロックかの岐路に立たされていました。谷村さんはその後『昂』を始め多くのヒット曲を出してきました。谷村さんが道標を示してくれました」。

「音楽を熱く語れるネタを提供するのが、自分の仕事」

富澤氏は1992年ラジオ番組『JAPANESE DREAM』(NACK5)をスタートさせ「いい歌にチャンスを与えたい」という理念の元、キャリア、有名・無名関係なく様々なアーティストの「いい歌」を発掘してきた。さらに音楽番組『音楽通信』(1997年~2001年/テレビ東京)のコメンテーターとして、取りあげる曲についてその情報を紹介するだけではなく、鋭い批評を忘れなかった。2000年にスタートした『Mの黙示録』(テレビ朝日)は、これからブレイクが期待できるアーティストを取り上げつつ、「音楽評論」というコーナーを作り、ジャーナリスティックな視点で様々な音楽を取り上げた。音楽にとびきりの愛情を持って、世の中に発信し続けてきた。

「振り返ってみると私が評論を始めた時代は、音楽や映画は議論のネタになっていました。だからそのネタを提供するために番組を作りました。その音楽について評論すれば、もっともだという人も、いやそうは思わないという人がいます。そういう議論のネタ、音楽を熱く語れるネタを提供するのが、自分の仕事だと思います。もはやタブーとか言っている時代ではありません。熱く語ることによって、その音楽、アーティストの本質が見えてくるし、何かのきっかけになったり、気づいたりすることがあるはずです」。

吉田拓郎、井上陽水、きたやまおさむ

歌詞本
歌詞本

半生記本
半生記本

そんな富澤氏が大きな影響を受けた、「母親が子守歌代わりに歌ってくれた」島倉千代子「からたち日記」から「所詮、ロック、ポップスなんて一過性のもので主流になり得ない」という考えが「大きな間違いだったと思い知らされた」佐野元春「SOMEDAY」まで、42曲が収録されている『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』。厳選した42曲ではあるが、さらにそこから富澤氏の音楽評論家としての人生の中で、色濃く存在している作品を聞いた。

写真提供/富澤一誠
写真提供/富澤一誠

「人生に影響を与えてくれたという意味では『私たちの望むものは』(岡林信康/1970年)、『今日までそして明日から』(吉田拓郎/1971年)、『神田川』(かぐや姫/1973年)、『昴』(谷村新司/1980年)でしょうか。選ぶのは難しいですね。この曲達への思いについては、CDに入っています、新たに書き下ろした歌詞ブックと半生記本で、是非読んでいただきたいです。最も影響を受けたアーティストを一人選べと言われたら吉田拓郎。二人って言われたら井上陽水です。拓郎は歌っていうよりも、オピニオンリーダー。スターではなくてヒーローです。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』などの作詞を手がけた、きたやまおさむさんもオピニオンリーダーです。そのきたやまさんの背中を見て同じ時代を歩いてきたので、この50年という区切りできたやまさんとの対談本『「こころの旅」を歌いながら~音楽と深層心理学のめぐりあい』(言視舎)も企画しました」。

ちなみに『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』のジャケットは、尊敬する吉田拓郎の記念すべきデビューアルバム『青春の詩』(1970年)のジャケットへのオマージュだ。

現在は音楽評論家としての活動を続けながら、大学副学長として学生に実学を教え、次代のミュージックマンを育成

富澤氏は現在「いい歌でありさえすれば必ずヒットする。これがあるべき姿」という一貫した志の元、『Age Free Music』(良質な大人の音楽/TOKYO FM&JFN34局ネット〈ON THE PLANET「富澤一誠・Age Free Music」〉OA中)の普及に注力しながら、尚美学園大学副学長を務めている。長年音楽評論家として活動し得た知識や経験を惜しみなく学生に伝え、「実学」を教え次の世代のミュージックマンを育てている。

最後に『Age Free Music』で最近のオススメ曲を教えてもらった。「島津亜矢のシングル『夏つばき』(2021年7月)のカップリング曲『白木蓮(はくもくれん)』がいいですね。作詞ちあき哲也、作曲杉本眞人という、今回の作品にも収録した『吾亦紅』(2007年)を作ったコンビです。カップリングにしておくのはもったいない名曲です」。

otonano『富澤一誠 私の青春四小節~音楽を熱く語る!』特設ページ

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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