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DJ KOO、恩師・小室哲哉を語る「命を削っているかのような集中力と発想力、仕事の仕方だった」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「90年代のTKサウンド、その色褪せない楽曲があったからこそのtrfだと思う」

小室哲哉作品集『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』とは?

『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』(6月27日発売)
『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』(6月27日発売)

1月に引退を表明した小室哲哉は、その会見で「今後も、「この曲いいよな、歌いたいな、聴いてみたいな」とか、そういうふうに思ってもらう曲もあるのかなと思っています。そういう楽曲は退かないで生きていってほしい」という言葉を残した。そんな、稀代のプロデューサーでありメロディメーカーの思いを形にしたものが、6月27日に発売された作品集『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』だ。「T盤」と「K盤」でそれぞれ50曲ずつ、計100曲を収録。さらに貴重な14曲が収録された「+盤」を加えた、CD9枚組の『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』も好調に推移している。TRFや篠原涼子、H jungle with t、鈴木亜美、globe他、90年代を席巻したいわゆる“小室ファミリー”と呼ばれていたアーティストをはじめ、 渡辺美里やTM NETWORKの楽曲、松田聖子や中森明菜、小泉今日子といったアイドルへの提供楽曲、さらにPANDORA feat. Beverly、AAA、そして最後のプロデュースグループ・Def Willの楽曲も収録されている。まさに“時代を創った”男が残した、歌い継ぐべき、聴き継ぐべき「歌」の集大成だ。

ハードコアテクノ、ユーロビート、レイブ、trf

この作品に「EZ DO DANCE」「BOY MEETS GIRL」「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」「survival dAnce ~no no cry more~」の4曲が収録されている、TRFのDJ KOOに、「恩師」でもある音楽家・小室哲哉のついてを改めて聞かせてもらった。

「trf(当時)は、グループを作るという感じではなく、小室さんがレイブという当時ヨーロッパで流行っていたイベントを、日本でやりたいということで、そのイベントをやるためのチーム的な受け止め方でした。何か新しい、面白いことをやるんだなという感覚でした」。1992年trf(tetsuya komuro’s rave factory)が結成された。当時のシーンには、DJを真ん中に置くダンス&ボーカルユニットというスタイルは斬新かつ新鮮だった。当時ロンドンに留学していた小室が、現地で盛り上がっていたハードコアテクノ、ユーロビートなどのダンスミュージックを日本でも、というコンセプトからtrfが生まれ、‘93年、デビューアルバム『trf/THIS IS THE TRUTH』と1stシングル「GOING 2 DANCE(ゴーイング・トゥ・ダンス)」でデビューした。「小室さんがいうヨーロッパのダンスミュージックは、DJがリードするスタイルだったので、DJの音楽作りや音楽性にすごく興味を持ってくれたのだと思います」。

「楽器の使い方がとてもマニアックで、既成の音をそのまま使うのではなく、自分で手を加え“小室サウンド”を作り出していた」

小室と知り合ったDJ KOOは、小室が作る音楽、仕事のやり方に刺激を受け、自らスタジオに押しかけ、アシスタントを志願して、その仕事ぶりを目の当たりにし、驚き、勉強になったという。「楽器の使い方がとてもマニアックで、かなり専門的というか、まるで新しい楽器を作るような感覚でやっていて、驚きました。既成の音をそのまま使うのではなく、自分で手を加えて、まさに小室サウンドと呼ばれている音をどんどん作っていきました。小室さんのスタジオには常に、最新の楽器があったので、そこに一緒にいられるというのは、すごくいい環境でした」。それまで、日本におけるダンスミュージックは、アンダーグラウンドでマニアックな音楽という捉え方で、土壌もできつつあったが、そのダンスミュージックと日本のポップスとを抜群の塩梅で融合させたのが、trfの音楽だった。

「小室さんはコアなダンスミュージックを、trfを通して“日本のダンスミュージック”に変えていった」

「それは1枚目のアルバムがあったからこそだと思います。コアな内容で、あれはきっと小室さんのソロアルバムというか、プロジェクトアルバムのような感じでしたが、そこをtrfを使って、日本の音楽シーンに落とし込みたかったのだと思います。それが2ndシングル「EZ DO DANCE」でした。僕はDJとしてずっとダンスミュージック、洋楽と付き合ってきたので、それを小室さんのところでやるという感覚でいました。でもそれが、いい意味でコアなダンスミュージックを“脱して”、日本のダンスミュージックに切り替わっていきました。「寒い夜だから…」(1993年)を制作している時は、これって本来のダンスミュージックとちょっと違うんじゃないかなと思ったのですが、その“違うんじゃないかな”という感覚を小室さんは思いきり広げてくれました。でも小室さんはこれもダンスミュージックだよという感覚で作っていて、そのメロディをスタジオで自分で仮歌で歌い始めた時、「こんないい歌を歌えてYU-KIはボーカリストとして幸せだな」って思ったことを覚えています」。

「小室さんがtrfのキーワードにしていたのは“グルーヴ”と“ポジティブ”」

DJ KOOは小室に任され、アルバム『EZ DO DANCE』から、アルバム全体のプロデュースを行い、YU-KIのボーカルディレクションも手掛けていた。そこで小室のサウンドメイクと同時に、その歌詞の完成度の高さに改めて驚かされたという。「やっぱり今まで歌の作り方と違うところがあって、イントロが少なかったり、逆にイントロだけでつかんじゃう曲とか、globeの曲がまさにそうですよね。trfの場合はサビ始まりの曲や、急にキーが上がる曲が多かったです。やっぱり小室さんの転調の仕方には、高揚感が増すような仕掛けがあるし、歌詞の話にもつながりますが、ポジティブな気持ちになる曲が多いです。逆にいうとボーカリストには試練の、難しい曲も多いと思います。歌詞に関しては、ダンスミュージックとしての日本語の歌詞という部分で、やっぱり言葉が印象的すぎたり、言葉だけが先にいくのではなくて、即リズムに乗ってくる歌詞を散りばめている、そのチョイスが凄いと思いました。言葉のはめ方にはむだがあってもいけないし、でもそのむだが、いいニュアンスになったりもして、例えば最後に<○○だよね>とか、投げかけるようなかわいい言い方も、ニュアンスとしてすごく映えますよね。小室さんがキーワードにしていたのが“グルーヴ”と“ポジティブ”。それはtrfのアルバムタイトルにも反映されていて、歌詞もポジティブなものが多かったです。例えば「BOY MEETS GIRL(ボーイ・ミーツ・ガール)」は、出会いというのは人生を前向きにしてくれる、ということを歌っていて、そういう歌詞にすることで、trfの音楽がより伝わるようになると小室さんはおっしゃっていました。これは後に小室さんが教えてくださったのですが、流行りの言葉やニュアンスを入れると、その時のものだけになってしまうけれど、一人称や三人称を使うと、何年経ってもその人の情景に当てはまっていくと。小室さんは歌詞の中で「君」という言葉をよく使っていて、それを女性ボーカルのYU-KIに歌わせることで、その投げかけがすごく新鮮に聴こえるからかなと思いました」。

「あれだけの期間であれだけの数の曲を作って、それをヒットに結びつけるのは、小室さん以外では絶対できなかったと思う」

『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』はCD9枚組。長年、小室を取材してきたライター・藤井徹貫氏による総論的解説と、ふくりゅう氏による全曲解説を掲載したブックレットが付いている
『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』はCD9枚組。長年、小室を取材してきたライター・藤井徹貫氏による総論的解説と、ふくりゅう氏による全曲解説を掲載したブックレットが付いている

『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』に収録された作品のラインナップを見るとわかるが、様々なアーティストへの楽曲提供、プロデュースで当時の小室の忙しさは尋常ではなかった。まさに身を削り、音楽を紡ぎ、時代を創っていたと思うしかない。そのクリエイティヴの現場で、小室を一番近くで見ていたDJ KOOに当時に様子を教えてもらった。「あれだけの期間で、あの数の曲を作ってヒットに結びつけるというのは、他の人では絶対にできなかったと思います。スタジオが同時進行で3~4つは当たり前に動いていて、小室さんはその間に打合せもいくつもやっていました。本当に1週間に10作品とかを並行してやっていて、trfだけみても絶えずリリースがあって、それをツアーをやりながらやっていたので、僕とYU-KIは常にスタジオに入っていました。そこに小室さんから楽曲と仮歌、歌詞が次々と届いて、それをどんどんレコーディングしていくという日々でした。できあがるものに対して、小室さんがNGを出したことはなかったです。忙しかったからかもしれないですけど、ダメ出しは覚えている限りはなかったです。今思うと、小室さんって時間と同時に命を削って、そこに費やしていたと思うしかない集中力と、発想力だったと思います」。

DJ KOOも脱帽する小室の発想の源、豊かな創造力を支えているアイディアは、どこからもたらされるのだろうか?「小室さんはハードロックが大好きで、イギリスのブリティッシュロックやヘビメタ、プログレにも精通しています。もちろんビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズも詳しいのですが、特にEL&Pのキーボーディスト、キース・エマーソンの影響を受けていて、僕もその辺の音楽のマニアで、よく二人で盛り上がりました。でもハードロックが根本にあるのに、アイドルやポップスのシンガーに書く楽曲の、あのポップさにはいつも感心していました」。

「一人のアーティストから様々な面を引き出す小室プロデュース」

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『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』には、天才プロデューサー・小室哲哉の、唯一無二のセンスと、誰も真似できない多彩な音楽性を感じる事ができる楽曲が並んでいる。「この作品には、trfであれば4曲収録されているように、1アーティストあたりの曲数が多いのが特徴。それは単純にヒット曲を搭載しただけはなく、そのアーティストに対して、色々な側面から小室さんはプロデュースをしているということを、証明してくれています。例えば(安室)奈美恵ちゃんだったら、「Body Feels EXIT」(1995年)「Don’t wanna cry」(1996年) 「CAN YOU CELEBRATE?」(1997年)と、アッパーなもの、R&B、バラードと彼女の3つの違う側面を小室さんが引き出しているのがわかります。trfも色々な方向を指し示してもらえたので、あれだけのヒットになったと思う。「EZ DO DANCE」だって、それまでずっとテンポのあるダンスミュージックが続いていたら、そこまで受け入れてもらえなかったかもしれない。「寒い夜だから…」や「masquerade(マスカレード)」のような曲があったからこそ、trfの音楽が多くの人に受け入れられたのだと思います。もし自分たちだけでやっていたら、ひとつの方向性のものになって広がらなかったと思う。trfは小室さんのプロデュースを経て、セルフプロデュースになって、活動休止していた時期もありますが、それも全部含めて、90年代のTKサウンド、小室さんのその色褪せない楽曲があったからこそのtrfだと思っています」。ちなみ今回収録されているtrfの作品、4曲の中でDJ KOOが一番に印象に残っている曲は、ブレイクのきっかけになった「EZ DO DANCE」だという。

「DJとして小室さんに見出してもらって、20年以上経って今ようやく、その本質的な部分が広がってきた感じがしています」

当時、それまで洋楽しか流れないクラブやディスコでも、「EZ DO DANCE」をはじめとするtrfの楽曲が普通に流れるようになって、それがDJとして活動しているDJ KOOには大きかった。「クラブでのDJプレイは今も続けていて、もちろん最新曲も流しますが、アニメの曲や90年代の曲をかけても盛り上がるし、オールミックスなフロアになっています。だから今アイドルやアニメのフィールドの人、ボカロ、ユーチューバーや盆踊りともコラボしたり、色々な人と新しいことができています。trfがデビューした当時は、グループにDJがいるアーティストなんていませんでした。でもテレビではその役割は伝わらず、DJって何をやっているのか全然わからないという声も多かったです。ここ数年、テレビのバラエティ番組に出演させていただく機会が増え、DJプレイをテレビで披露できたり、DJというものに注目してもらえるようになり、DJという仕事が一般にも伝わってきたと思います。DJとして小室さんに見出してもらって、その本質的な部分がようやく広がってきた感じがしています」。

『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』特設サイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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