渡辺真知子 40年は"迷い道”の連続 「今だからこそ、人々に寄り添う等身大の歌を歌いたい」

40周年記念コンサートを敢行中。地元・横須賀公演では60名を超えるゴスペルクワイアと共演し、歌の力を届ける

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1月13日、渡辺真知子は地元・神奈川県・横須賀市のよこすか芸術劇場のステージの上で、懸命に歌っていた。『デビュー40周年記念 渡辺真知子コンサート2017-2018年~私は忘れない~』という、アニバーサリーツアーの、しかも地元公演という事で気合が入っていたと思うが、実は数日前に気管支炎を発症してしまった事を、コンサート冒頭で客席に伝えた。本人もこの日の事をブログに「高音域は出ますが中音域から下がバリバリという状態で、今までの経験を駆使してリハーサルよりは本番と、声帯の鳴る所を探しながらのステージとなってしまいました。悔しい限り!」と、納得がいかない思いを綴っている。

しかしさすが40年のキャリアを誇る“喉”。さしてその“バリバリ”が気にならない程の圧巻の歌声でデビュー曲「迷い道」や、「かもめが翔んだ日」「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」の大ヒット曲はもちろん、この4曲以外からファン投票で選ばれたリクエストメドレー、さらに1月10日にリリースした40周年企画アルバム『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』からも披露した。この日が初披露という新曲の「ハート」「花束をありがとう」では、総勢60名を超えるYCCゴスペルクワイアの迫力ある声が重なり、胸に迫るものがあった。感動で涙を流しているファンも多く、拍手と歓声が鳴りやまなかった。

40周年という長きに渡って歌い続けてきた渡辺の、過去、現在の想い、そして未来への希望が詰まったニューアルバム。そのアルバムについて、そしてツアータイトルにもなっている「私は忘れない」という言葉に込められた意味を聞かせてもらった。

「40年間歌い続ける事ができたのはファンの方を始め、皆さんの応援のおかげ。その感謝の気持ちを母の言葉を借り、伝えたかった」

「40年もの間音楽をやってこれたのは、本当にファンの皆さんをはじめ、多くの方の応援のおかげです。その感謝の気持ちをどう表したらいいのか、ずっと考えていました。40年間たくさんの事をいただき、今度は自分が返す番だと思いました。その時にふと思い出したのが、今は亡き母の言葉です。10年以上前ですが、私の母が「グレートマザー物語」というテレビ番組で、渡辺真知子の音楽人生を支えた母として紹介されました。その番組内で母に内緒で、父に母についてコメントを録っていたんです。父は「本当に苦労をかけた」という旨のコメントをくれ、実は、その言葉を母はずっと聞きたかったらしく、母の喜びようといったら、「今までの苦労なんてなんとも思わない」って言うほど感激していました。それから少しして、家族で海を見ながらランチをしました。その時、母が海を見つめながら独り言で「私はここがどこでも、今がいつだっていい、家族とのこのひと時があれば。この時間を忘れない」というような事を、心の底から言っていました。人生の最期を迎えようとしている時に、そういう境地になれるのは本当に幸せだなと思いました。そんな母の、このいい瞬間を忘れないという言葉を借りて、みなさんから応援していただいたこれまでの事を決して忘れないという思いを込め、アルバムタイトルにしました」。

「デビュー曲がいきなり大ヒットし、一気に山を登りはじめた。でも人々の関心がサーっと引いていく怖さを経験」

21歳の時に歌ったデビュー曲「迷い道」が大ヒットし、以後ヒット曲を連発するも、激しい流れの音楽シーンには、バンド、フュージョンの波が押し寄せ、渡辺はその後はなかなかヒット曲に恵まれずに、自分を見失いかけていた。「最初に新人賞も頂いて一気に山を登り始めて、でも流行りもあって、人々の関心がダーって引いた時の怖さといったら……。早めにいい思いをしてしまったのかなと思っても、かなり残酷でした。精神的に追い込まれて円形脱毛症が4つくらいできて、どうしたらいいかわからくなっていました。そんな時は『突っ張るだけ突っ張れ。突っ張りたくても突っ張れなくなる時がくる』と、父親からの強い励ましの言葉もありました」。

30歳で自分を見失い、アメリカ留学。そこでオリジナル曲を歌い、絶賛され「やっぱり私には歌しかない!」と自分を取り戻す

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25歳。周りを見渡すと友達は結婚、出産ラッシュ。でもそんな時も渡辺は「ライフワークにしようと思う音楽に出会えたのに、まだ全然自分はやりきっていないと思った。結婚=逃げ込む感の方が強かったです」と、“音楽家”としての道を突きつめる事を最優先し、歌い続ける事を決めた。しかし、歌えなくなるほど自信を喪失する事も度々あり、これではいけないと、30歳の時に環境を変えて自分を見つめ直し、充電するために、アメリカ・アリゾナへ半年間語学留学した。ある日、アリゾナで通っていた学校のパーティで、仕事を尋ねられ「シンガー」と答えると当然歌う事になり、渡辺は「ウィ・アー・ザ・ワールド」を弾き語りで歌った。しかし「オリジナルソングはないのか?」と言われ、「かもめが翔んだ日」を歌うとスタンディングオベイションが起こった。「素直に嬉しかったですね。そしてこの時、やっぱり私には歌しかない!と思いました」と自分を取り戻し、すぐに帰国した。

40歳の時に、キューバ人歌手・オマーラ・ポルトゥオンドの歌を聴き、感動。「目標になったし、年齢や経験を積み重ねる事に自信が持てるようになった」

帰国後は、「自分の中から生まれてくるもの、感じるものを大切にしていこう」と、興味があったラテンやジャズなど、様々なジャンルの音楽に挑戦していく。ピアニスト島健他、彼女の実力を高く評価している多くの先輩ミュージシャン達から声を掛けられ、バンドやライヴに参加しながら、どんどん吸収していった。それがシンガーとしての表現力の幅を更に広げる事につながる。30代を学びの時間と言い切り、歌い続けながらも様々なリズム、歌唱法、言葉、音楽に対する姿勢などを、貪欲に自分の心と体の中に取り入れていった。そして、より“自由”に歌えるようになったのは40代になってからだという。「40歳を過ぎた頃、ブエナビスタ・ソシアル・クラブにも参加していたキューバの歌手・オマーラ・ポルトゥオンドさんの歌声を聴いたとき、涙が止まりませんでした。当時彼女は67歳でしたが、これからの自分の目標になったというか、年齢や経験を重ねる事に自信が持てた」と、ラテン、ジャズの他にもロック、クラシック、さらにあらゆる音楽を取り入れた曲を作り、歌った。

40周年企画アルバムに新曲を3曲書き下ろす。「積み重ねてきて、形にできていなかったものを、ようやく形にする事ができた」

40周年企画アルバム『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』(1月10日発売)
40周年企画アルバム『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』(1月10日発売)

40周年企画アルバム『私はわすれない~』には、新曲が3曲収録されている。「この3曲とも、作りながら本当によく泣きました。こんなに泣きながら私何やってるんだろうと思いながら(笑)」書き上げたのが「私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~」「花束をありがとう」、そして「ハート」の3曲だ。「積み重ねてきて、形にできていなかったものを、今ようやく形にできたと思います」と語っているように、「私は~」は40周年を迎えての感動を、冒頭の母親の言葉を借りて表した一曲だ。「花束をありがとう」は「日本からシカゴに嫁いだ友人がいて、彼女が大病を患い、でもとても勇敢に戦っていました。仕事でシカゴに行った時に会って、再会を約束したのですが亡くなってしまいました。そんな彼女への想いと、脆くていつ壊れるかわからない“平和”についてを歌いました。平和な時だって泣きたい時があるんだ、平和を奪わないで、と」。1月13日のコンサートでも、涙を堪えながらゴスペルクワイアと共に歌った曲だ。「今こそこういう曲を歌うべきだし、若いアーティストにも作って欲しいし、本当の平和をみんなで願いたい」と力強く語ってくれた。

両親を相次いで亡くした渡辺の心を癒したのは、愛犬「ピット」だった。もう14年寄り添うパートナーだ。「ハート」はそんなパートナーの事を歌った一曲だ。「彼の事だけを歌ったのではなく、皆さんが愛する家族の事を思い浮かべながら聴いて欲しいです」。3曲のアレンジを手がけたのは、元スターダスト☆レビューのメンバーで、ピアニスト/音楽プロデューサーの光田健一だ。繊細かつ壮大なアレンジで曲を彩り、聴き手により感動的に届けてくれる。

23年前の音源を初CD化。「歌い直さずに、23年前のありのままを生かした」

このアルバムには初CD化という貴重な2曲も収録されている。共に1994年の作品で、作詞/売野雅勇、作曲・編曲/松岡直也のコンビが手がけた「太陽のカリシア」と「楽園」の2曲だ。「ボーカルもののCD自体がなかなか出ない時代で、新しいイメージの渡辺真知子を作ろうという事だったのですが、発売までには至りませんでした。手ごわい時代でした。作品としては特に「楽園」の歌詞はセクシーすぎて、当時はとても表現しきれないと思ったのですが、今歌ってもちょっと恥ずかしい(笑)。2曲とも歌い直してみたのですが、やはりこの曲、メロディは当時の私をイメージして書いて下さった曲なので、あの時がベストだと再確認でき、23年前のありのままを生かしました」。

シンガー・ソングライターとしてデビュー。しかし「かもめが翔んだ日」「唇よ、熱く君を語れ」等の詞を、他の作詞家に委ねた理由

渡辺真知子はシンガー・ソングライターだ。しかし約50万枚の大ヒットになった「かもめが翔んだ日」やCMに起用され大ヒットになった「唇よ、熱く君を語れ」は、曲は渡辺が書き、詞はそれぞれ伊藤アキラ、東海林良という作詞家の手に委ねている。ここへのこだわりはなかったのだろうか。「ボーカリストになりたかった私ですが、アマチュアにオリジナルソングを書いてくれる人がいなくて、自分で書き始めたのがなりゆきなので、「かもめ~」の時にそれが実現してすごく嬉しかった。当時20歳の私にとっては「あなたは一人で生きられるのね」という歌詞は、まだよくわからなかったのですが、大人になりたい憧れも強かったので元気よく歌ったら、失恋ソングとは思えないと言われました。でもそれより、カラオケで「歌いたくなる曲」だと言われ、嬉しかったです」。

「今の曲達が等身大。ここからまた新しいものを作っていきたい」

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渡辺の中で、歌いたい事、歌わなければいけない事が変わってきたのは、50代に入り、両親を亡くしてからだという。そして東日本大震災の影響も大きかった。「私は根がラテンなので、家族の中心に両親がいた頃は、歌詞の内容はエンターテイメント性が高い方がいいと思っていたので、何事も自分に都合よく解釈して書いてました。でも両親の死や、震災を目の当たりにすると、歌手という職業だからこそ、やらなければいけない事があるという使命感が出てきて、命の行方などをテーマにした歌詞が多くなりました。今、人々は何を求めていて、それに対して自分は何できるのだろう、という思いが強いです」。その思いが、今だからこそ“等身大”の曲を書いて歌うという気持ちにさせた。その歌には40年の色々な経験から滲み出る“説得力”が存在する。

約20年前、キューバ人歌手・オマーラ・ポルトゥオンドの歌を聴いて涙が出てきたのは、彼女の歌にその人生を感じたからだ。以来、渡辺は年を重ね、経験を積むという事に、好奇心を持ちながら生きてきた。だからこそキャリア40年を迎えた今も「今の曲達が等身大。ここからまた新しいものを作っていきたい」と、素直に言える。渡辺真知子にはもう迷いがない。

※文中の作品名「ハート」の正式表記は、ハートの後にハートマークが入ります。

『私はわすれない~人生が微笑む瞬間(とき)~』特設サイト