【インタビュー】角松敏生 “音の匠”が語るライヴ作りの流儀、6時間ライヴの裏側

2016年7月2日横浜アリーナ 98名のクワイアも参加し、圧巻のステージに

“音の匠”角松敏生が、7月2日に横浜アリーナで行ったデビュー35周年記念ライヴ『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』は、6時間を超える圧巻のパフォーマンスと、超豪華なミュージシャンが作り出した極上の音が早くも語り継がれ、“伝説”となりつつある。その貴重なライヴが12月7日に映像作品『「TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~」2016.7.2 YOKOHAMA ARENA』として発売される。先日は自身が企画・プロデュースした、サンリオピューロランドでのミュージカル『TOSHIKI KADOMATSU Produce ILLUMINANT REBIRTH “NIKOICHI”feat.MAY’S』でも、圧巻のライヴを披露するなど、様々なスタイルのライヴを精力的に行っている角松に、ライヴに対する徹底したこだわり、ライヴに欠かせないミュージシャンへのこだわりを、改めて聞かせてもらった。こだわりこそが、進化の糧になるということを教えてくれる。

35周年記念6時間ライヴの音の仕込みは2か月前から全て自分で

――7月2日のデビュー35周年記念ライヴ『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』は、6時間を超える圧巻のライヴでした。

角松 とにかく仕込みが大変でした。自分で全部アレンジ、プログラミングをして、全体像を作ってミュージシャンに渡します。で、コーラス、ホーンセクションのリハーサルというのは大所帯ですので、経費もかかりますから(笑)、まず僕の自宅兼スタジオでレコーディングをして、体感してもらいました。コーラスは今回6人で、そのうち2人は沖縄在住なので、最初に全部僕がアレンジした譜面やデータを送って、自主練してもらいました。でも6人が揃うことがないので、だからレコーディングなんです。全部バラバラに自分たちのラインを取って、それでみんなで合わせていくという。いわゆるベーシックトラック、ミュージシャン達のリハは計1週間です。最初3日間やって、しばらく休んで3日間やって。その3日間はホーンやコーラスも呼んで大きなスタジオでやります。で、最初の3日間はいつもやっているスタジオで、3ドラムスまでは入りますが、コーラス6人とホーンセクションはさすがに入らないから、まずベーシックトラックを最初の3日間で作って、最後の3日間を大きなスタジオで通しをやりながら、コーラスとホーンのリハをするという感じでした。だからリハは過酷ですよ。1週間であの量(=40曲)を全部を叩き込まなければいけないので。でもみんな一流のミュージシャンなので、曲の把握も早いし、知っている曲も多いですし。この事前準備で2か月ぐらいかかりました。

――昔から全部ご自身でやってましたよね、こだわって。

角松 そうですね。例えばちょっと羽振りが良くなってきたから、演出家に全部振ろうとか、そういうことはしなかったですね。やっぱりずっと自分でやってきたから、誰かに任せるということができないですね。

ミュージシャンが奏でる一期一会の生音を記録していくのがレコーディング。それを寸分違わぬ形で披露するのがライヴ

――ライヴでは、角松さんとミュージシャンの寸分狂わぬタイミングの素晴らしさを、改めて感じました。プロならできて当たり前、と思う人もいるかもしれませんが、0.1秒も狂ってないんじゃないかと思う、あの息の合った技を40曲もやるというのが、尋常じゃないプロの技だと思いました。

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角松 ライヴの部分と、ショーアップの部分のバランスはすごく難しくて、ライヴの内容に関しては、これは異論がある人もたくさんいると思いますが、ライヴというのは自由であるべきで、レコーディングとは違うから、そこから解き放たれるものだという考え方があると思うんですね。昔のロックの考え方ですよね。あとはショーアップしてしっかり作るという考え方もあります。で、僕の場合はその中間的な考え方なんです。発想としては、ミュージシャンが奏でる一期一会の生音を記録していくというのがレコーディングで、記録するに値するものを作っているという、それがパッケージの意味合いでした。でも昨今はその意味合いが変わってきて、アーティストのインデックスになっているような気がします。だからパッケージ自体に芸術性を求めるということは、クラシックやジャズの世界を除けば、大衆音楽の中ではそういう感覚はなくなりつつあって、何かマテリアル的なイメージがあります。僕は、レコード芸術という言葉があった時代に生まれ育ってきている人間なので、やっぱりパッケージを作っていく過程が、最もエキサイティングで、そのでき上がったパッケージと寸分違わぬライヴをやるということが、プロフェッショナルであるという考え方です。だからレコード、CDの再現とまでは言わないですけれど、特にここ十何年は、アルバムのツアーをやる時には、まずツアースケジュールの合うミュージシャン、そのミュージシャンでレコーディングするというやり方になっています。

ライヴではミュージシャンに、自由さと不自由さ両方を求める

――なるほど、ツアーありきで作品を作ると。

角松 実際そのパッケージを制作したミュージシャンとツアーを回ります。若い頃は、お金がかかるのでスタジオミュージシャンはなかなか使えなかったのですが、だんだんそれが自分でもできるようになってきて、レコーディングに参加した人間と、一緒にライヴもプレイする。ということはどういうことかというと、レコーディングで実際行われていることを、皆さんにお見せするということです。それは僕の歌も含めてで、こうやって一生懸命作っています、これだけの技術を結集してお聴かせしていますというものを、実際にお見せします、というのが僕のライヴへの考え方です。レコーディングには必ずクリック(ガイド音)を使いますよね。僕はライヴでもクリックを使います。だから普通ドラマーはクリックに縛られないで、自由にやるのがライヴの醍醐味だったりします。例えばショーアップ的なライヴ、ダンスが入ったりするライヴはクリックが必要ですが、その発想とは違います。いわゆるレコーディングをやっている発想なので、ドラマーに自由になって欲しくないんです。レコーディングで苦労したあの感じをやってくれという発想です。それがプロたる所以を見せることになると思っています。クリックから解放されると、それはそれでエモーショナルで楽しいし、観ている方はわからないかもしれませんが、僕はやっぱり嫌なんです。なんかCDと違うと思うと、それで嫌になってしまいます。ここはCDと同じにしてくれと、その代わりここはフリーでいいからと、そうやってミュージシャンと折り合いをつけています。だからライヴの曲間も割と計算して作っていて、ミュージシャンも僕のライヴの作り方を知っていて慣れているので、そこが息の合った感じにつながっているのだと思います。

――ミュージシャンは角松さんとやると鍛えられますね。

角松 80年代のアメリカのアーティストのライヴ、例えばルーサ・ヴァンドロスのライヴを観て思ったのですけど、彼らはクリックを使っていなくても、すごく気持ちいいタイミングでやれるカッコ良さがあって。その“間”とか空気とか…。あれは相当な稽古が必要で、そうするとリハに時間がかかるので、僕はコスパのことも考えてクリックを使います。だから僕が計算したステージというのが、クリックを使うことで、それが“間”としてお客さんにも伝わり、音の一体感が生まれ、ミュージシャンがそこに対して集中してくれます。それは何に対する集中かというと、例えば照明や舞台装置に対するきっかけではなくて、音楽に対するきっかけでしかない。そこがショーアップとは違う、音楽のライヴなんです。僕の特色でもあり、自由さと不自由さというのを折衷してやっています。

――確かに昔から角松さんの作品を聴くと、これどうやってライヴで再現するんだろうと思いながらライヴに行くと、CDと同じだ!という驚きがいつもありました。

角松 苦労しました。80年代後半にプログラミング系の音楽を少しやった時に、これをライヴで再現するために、当時はプロトゥールスみたいな機材もなかったし、あるとすればマルチテープを回すか、あるいは4トラックのテープに音だけ録って、クリックだけ別にしてやる方法くらいしか考えれなかった。だから、鍵盤を何十台も持ち込みました。音源をそのまま持ち込んで、それをコンピュータで流して、そこに生演奏を乗せることで、CDと同じ音が再現できていました。

楽器、機材が進化しすぎて、逆にオリジナリティの強い音を作りづらくなった

――今また80年代のシティポップスのフォロワーというか、影響を受けたアーティストが増えてきていて、クラブではDJが角松さんの音源を流したり、いい音とかいいサウンドをずっと継承していく若い人が出てきたのが嬉しいですよね。

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角松 若い人は聴いたら「違う、なんだこれすごいな」とわかってくれます。目指している音は当時のアナログの機材が奏でる音を目指してやってるわけですが、だったらそれを使えばいいのでは?と思うかもしれませんが、当然もう存在してない機材もあります。そういうものを色々工夫して、ああでもないこうでもないと作っていたからできたっていう部分もあって。それが今は割と簡単にできてしまうんですよね。簡単にできるということはどういうことかというと、みんなできるということです。昔はあれどうやって作ってるの?内緒、みたいな感じもあって(笑)、例えばそこのメモリがどうだとか、使い方であるとかは、それぞれのミュージシャンの企業秘密でした。シンセサイザーの音色ひとつにとっても、80年代後半のプログラミングミュージックをやるアーティスト、例えばジャム&ルイスの打ち込みの音を聴いたら、ジャム&ルイスだとすぐに分かります。電子音でさえも、そういったアーティストの個性が出ていましたが、今はもう機材が進化して、全世界でみんなが同じようなものを作る事ができるようになって、突出した個性的な不思議な音がないんですよね。

――逆に楽器、機材が進化しすぎていて、オリジナリティの強いものを作り辛くなっている状況ですか?

角松 そうですね。あとはもう一人一人のプレイ、生の演奏が大切になるのでライヴの方がどんどん面白くなっていくというのは当然ですよね。

気になるミュージシャンは、まず一緒にレコ―ディングをやり、丸裸状態にする

――角松さんのバンドは超一流のミュージシャンが揃っていて、そのプレイを楽しみにライヴに足を運ぶファンも多いですが、角松さんのおめがねにかなうミュージシャンの条件とは?

角松 例えば若手ドラマーで伸びそうだなと思った人は、一回レコーデイングで使ってみます。どうやって一緒にやっているバンドの音に乗ってくるのか、そうすると丸裸なんですよね。正直言ってライヴではごまかせるんです。それこそクリックに対して、どういう風に乗るんだという、そこは職人の域なんです。だからクリックに対してものすごく揺れても気持ちいい人もいるし、合いすぎると全然味のないドラムになってしまうし、クリックに対してどういうフィロソフィーを持っているのかをまずレコーディングで見ます。今、斉藤和義さんやいきものがかりさんを始め、あらゆるアーティストから引っ張りだこの玉田豊夢君も、そこからスタートしました。2011年頃から、CDは売れなくなってもライヴにはお客さんが入るという状況になって、全体的にライヴの本数が増えて、玉田君もそうですが、ミュージシャンのスケジュールが取りにくくなりました。土日はどうしてもは取り合いになるので、全然スケジュールが抑えられなくて、そういう意味で1パートに最低2人以上は、角松敏生の事を解ってくれているミュージシャンが必要な時代です。それと今、アウトプットが多いので価格破壊が起こっています。若くてそれなりの実力を持っているミュージシャンが、安いギャラで仕事を受けるので、力のあるベテランミュージシャン達は嘆いてます。

――昔からミュージシャンを育てようという気持ちが強いんですか?

角松 そうですね。僕もミュージシャンと一緒に育ってきました。当時はミュージシャンをLAに連れていったりしたこともありました。角松のバックアップミュージシャンみんなで勉強しようという角松塾みたいなこともやっていました。今、優秀な若手ミュージシャンはたくさんいます。この人いいよって教えてくれる人もいるし、一緒にやってみたいと思う人もいますが、やはり縁だと思います。縁があればやるだろうし、縁がなければそれまでだろうし。今のところドラムは、今回のライヴでも叩いてもらった山本真央樹君という、24歳の才能ある若手がいるので安心ですが、でも真央樹君もまだまだです。もう少し艶を出していかなければいけません。

ミュージシャンは挫折した方がうまくなる。自分ができない事を見つける事が成長につながる

――山本さんは今回のライヴで、村上“ポンタ”秀一さん、玉田豊夢さんという超一流のドラマーと共演していました。

角松 いい勉強になったと思います。例えば今回、玉田君もポンタさんの横で叩くのを黙って聴かせたりすると、やっぱりそのバラードの味という部分に関しては「(自分には)絶対無理です」って言っていました。その感覚、自分ができない事を見つける事が成長につながります。それはすごく必要な事で、若いミュージシャン達はある程度できてしまうと、自分の事を勘違いするんです。そうではなく、他の人と何が違うのか、プロだからこそ感じるものがあって、自分の腕を過信しすぎるなと言いたい。挫折をもっともっと感じて欲しいです。そうじゃないと本当のプロになっていかないから。でも最近はミュージシャンも現場が多すぎて、忙しすぎて挫折する機会があまりないと思います。

「ボーカリストとしてデビューしたつもりはない」

――35周年記念ライヴのACT1で、『SEA BREEZE2016』を再現するというゾーンがあって、あのアルバムは当時の音はそのままで、ボーカルとコーラスを録り直したものですが、いつかリメイクしたいと思っていたのですか?

角松 いや、そんなことはなくて、契約の問題で例えば旧譜をリマスタリングするにしても色々面倒な事になるので、昔のものを自由に扱えないという状況なんです。でも周年なので、何かやりたいと思って、レコード会社に聞いたところ『SEE BREEZE』(81年)から『ON THE CITY SHORE』(83年)までは、レコード会社が原盤を持っているので自由にできるという話で、幸運な事にマルチテープも残っていて。ファーストアルバムが一番心残りでした。曲は僕が作っていますが、それ以外は他の人の手で作られているものですから。当時は不本意なことがいっぱいありましたが、こうやって聴き返してみると、今自分にスキル的にも精神的にも余裕があるからか、俯瞰してみると当時の感じがよく出ていて、なかなかいいじゃないかと思いました。僕は歌い手としてデビューしたつもりは全くなかったので、やはりその部分では不満が残る作品で、今のスキルで歌い直す楽しさがありました。色々な発見があって面白かったです。それにしてもいい音で録れていました(笑)。

――参加しているミュージシャンが凄いですよね。当時のスタジオミュージシャンのオールスターが揃っています。

角松 ミュージシャンのチョイスはプロデューサーに任せていたのですが、当時のスタジオミュージシャンで最高のメンツが揃っていて、鼻高々でした(笑)。その記録ですから、凄いですよね。自信に満ちている。それで2枚目の『WEEKEND FLY TO THE SUN』のレコーディングも、LAに行くぞってなって、僕がこんなミュージシャンとやりたいですと言ったら、ベースはルイス・ジョンソンとか、アースウィンド&ファイアーのホーンセクションが来てくれて。来てくれたのはよかったのですが、僕が思っていたトラックにはならなくて。ずっとサウンドが違うなと思いながら作業して、それも不満で、歌も不満で。2枚目も実はやり直したいです。

――音もですが、やはり自分の歌が気に入らなかったと。

角松 歌に関して言えば、当時はいいか悪いかなんて自分ではわからなかったです。ライヴもやっていないし、いきなりレコーディングをやらされて、それまでアマチュアのライヴの現場しか知らないのに、いきなりレコーディングと言われ、いいのか悪いのかなんて全然わからない訳ですよ。それでやったら「あれ、いいのかな…」「オッケー」「えぇ?!」という感じでした。

――いい時代でもあり、適当な時代でもありました(笑)。

角松 その適当さ加減が嫌で、3枚目のアルバムを作る時に、全部自分でやらせて欲しいと言って、自分で気の済むようにやりました。確かにまだまだ稚拙なんですけど、僕としては1枚目2枚目より納得できるものができたという手ごたえがあって、アルバムランキングにもランクインしたので、自信が持てました。自分が考えていることはまんざら間違っていないと。そのタイミングで事務所を移籍して、ライヴを積極的にやるようになりました。3枚も出しているのに、やっとプロになろうとしているのかなと思った時期でした(笑)。

――それにしても横浜アリーナでも6時間、声はしっかり出ていました。

角松 今は強くなりました。喉は割と昔から弱くはなくて、体躯の慣らし方は若い頃は全然できていなくて、本来ならボイストレーニングとかに通ってわかっていくものだと思いますが、それも嫌で。だから結局ライヴにライヴを重ねて、なんとなくこういう感じかなとわかってきて、歌えるようになりました。でも6時間はもういいです(笑)。ただ後半の方が声が出ていたのは自分でもビックリしました。たぶんアドレナリンが出ていたのだと思います。

これからもメリハリをつけて表現していきたい。振り幅が大きい方がお客さんにも楽しんでもらえる

――角松さんは今回のアニバーサルライヴのように、大規模なライヴもありますが、少ない編成でのライヴやアコースティックライヴもやっていて、色々なスタイルのライヴを観せてくれます。

(C)SANRIO
(C)SANRIO

角松 そうですね。メリハリをつけて表現していきたいです。その中でも新しいトライだったのが、サンリオのミュージカルのプロデュースで、ミュージカルトラックの全体を作って、台本、脚本も書いて、演出もやって、そういうこともライヴを作っていくひとつの勉強です。大阪のビッグバンド、アロージャズオーケストラとも毎年やっていますし、色々なスタイルで自分の歌を表現することが僕のスタイルだと思っています。振り幅が大きい方が、ついてきてくれるお客さんにも楽しんでもらえるのではないかと思っています。

――角松さんのファンはデビューから聴いてくれている人はもちろん、ライヴには若いファンも目立っていました。

角松 最近好きになってくれた人は、昔の作品に関してはレガシーとして聴いてくれますよね。こういう感じだったんだって。だから最近の作品の評価が高いわけですよ。昔から聴いてくれている人たちにとっては、僕の音楽は青春そのものなんです。染みついているので、それを変えるとなると、ちょっと違和感を感じるんです。だから『SEA BREEZE2016』も、最初は訝しがられました(笑)。

――企画を聞いてもなかなか完成型が想像できなかったのでは?

角松 一体何やるんだろう?って思ったら、できあがったものはオリジナルと変わっていなくて、でも凄くなっているというのが重要なポイントです。してやったりとまでは思いませんが「わかってくれるかなぁ僕のこの気持ち」という感じでした。

――角松さんが作り上げてきた音楽、ライヴは、若いミュージシャンの参考書になると思います。

角松 僕自身からそんなに雄弁にメッセージするつもりはあんまりなくて。こうやってインタビューとかしていただいて発信できますし、ラジオ番組を持っているのでそこでちょこちょこ言うくらいです。あまり自分の主義主張は最近言わないようにしているというか、聞かれれば答えますという姿勢です。こっちからガンガン発信しても、伝わらないことも多々ありますし。ふと必要だなと思われた時に、聞かれたら答えるという姿勢が重要かなと。もちろんいつ聞かれてもいいように、自分は準備しておかなければいけないと思っています。

『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』参加ミュージシャン

<Dr>村上"PONTA"秀一・玉田豊夢・山本真央樹 <B>山内 薫 <G>梶原 順・鈴木英俊 <Key>小林信吾・友成好宏・森 俊之<Per>田中倫明・大儀見 元 <Sax>本田雅人 <Tb>中川英二郎 <Tp>西村浩二・横山 均<Cho>チアキ・凡子 ・片桐舞子(MAY’S)・為岡そのみ・vahoE・鬼無宣寿<GUEST>吉沢梨絵

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<Profile>

1981年6月シングル「YOKOHAMA Twilight Time」、アルバム『SEA BREEZE』でデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。中山美穂や杏里など、アーティストのプロデュースや楽曲提供も数多く、またAGHARTA(アガルタ)としての活動では「WAになっておどろう」の国民的ヒットも生み出している。2014年3月角松の幅広い音楽性が1曲に組み込まれたプログレッシヴ・ポップアルバム『THE MOMENT』が話題となった。2016年デビュー35周年ライヴを横浜アリーナで行い、制作、ライヴとますます精力的に活動を続けている。

角松敏生オフィシャルサイト