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「蛇抜け」の本場で進む国有林の伐採計画。土石流の歴史に学べ

田中淳夫森林ジャーナリスト
土壌が薄く、すぐ下はもろい花崗岩。こんな地質が「蛇抜け」を引き起こす

 長野県南木曽町の妻籠宿を訪れた。

 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された古い中山道の宿場町だ。コロナ禍で観光客は減ったが、それがむしろ風情を強めたように感じる。だが私が興味を持ったのは、一つの言葉である。

 それは地元の人から教わった「蛇抜け」だ。

 端的に言えば土石流のことだ。沢などが崩れて細長く崩壊する様子を「蛇」と見立てて、それが発生することを「抜ける」と表現したのだろう。つまり山崩れや土砂崩れといった水害を示す言葉なのである。ときに“蛇”は、何キロにも延びて河川を氾濫させ、下流の集落を襲う。

 全国的に「蛇」という字のつく地名や現象は、たいてい水害に関係がある。実際、木曾には「蛇抜け」災害が多数発生している。なかでも南木曽町は、「蛇抜け」の“本場”なのだそうだ。

 記録に残るのは1691年(元禄4年)からだが、その後絶え間なく起きている。

 近年では1958年、65年66年……と毎年のように起きた。2014年7月9日には大規模な土石流災害が発生し、JR中央本線の鉄橋まで流されて甚大な被害を出している。

 妻籠宿にある南木曽町歴史資料館には、中山道と妻籠宿、あるいは木曾林業の資料が多い。しかし「蛇抜け」に関する展示もたくさんあった。

 町のジオラマには、幾筋もの過去の「蛇抜け」箇所が示されている。なるほど、この町は「蛇抜け」とつきあってきた長い歴史があるのだ。

 今でも街中に、「蛇抜橋」や「蛇抜沢」といった名前がいくつも散見されるうえ、河川敷や沢には、現在の水量には不釣り合いな巨石が転がっている。これも蛇抜けの痕だろう。

高さ5メートルもあった砂防堰堤も「蛇抜け」に飲み込まれた
高さ5メートルもあった砂防堰堤も「蛇抜け」に飲み込まれた

 山中に「大崖砂防公園」と名付けられた施設を訪れた。地中に石積みの堰堤があり、それが掘り起こされている。かたわらに碑があり、明治時代、オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レイケの進言で砂防堤をつくった場所だと記されていた。高さ5メートル、長さ50メートルの規模のある石積み造りだ。

 しかし、結果的に堤ごと土石流に飲み込まれて土中に埋まってしまった。それが1982年に約100年ぶりに発見されたことから、公園にしたのだそうだ。砂防の歴史とともに、「蛇抜け」がいかなる規模で起きて恐ろしいかを伝えているのである。

 そんな南木曽の国有林の一部が、皆伐されようとしている。妻籠から馬籠に向う途中に当たるオダル山の斜面だ。

 面積は3.5ヘクタールと5.2ヘクタールの2ヶ所、計9ヘクタール弱。ここを2年かけて皆伐するという計画である。ヒノキが植えられているが、樹齢は60年そこそこ、決して育ちはよくなく、幹の胸高直径は二十数センチ程度。おそらく利益は出ないだろう。

対岸が伐採予定の分収育林地。生えている木々は貧弱だ。
対岸が伐採予定の分収育林地。生えている木々は貧弱だ。

 それなのに、なぜ伐るのか。実はこの山林は分収育林契約がされている。育林費を一口50万円で公募した、いわゆる「緑のオーナー制度」である。今回の山林は、1985年、86年に分収育林地に設定され、30年間の育林を続け、満期を迎えたら皆伐して得た利益を国と折半するという契約だった。その期限を今年と来年に迎えるから伐るのだという。

 しかし現在の木材価格は、契約当時からすると半分以下になった。50万円支払った人に渡される対価は20万円にも満たない有様だ。全国的にも問題になり、一部で裁判にもなった。そのため99年に「緑のオーナー制度」自体が廃止されている。

 しかし従来の契約はまだ生きていたわけだ。

 現地を「妻籠を愛する会」のメンバーと歩いてみた。契約された山林と、沢を挟んで反対側に林道が開かれている。

 驚いたのは、林道の切り落とされた法面に見える土質だ。土壌は30センチもなく、その下は風化したもろい花崗岩なのである。樹木の根も伸びていず、極めて不安定なことが一目でわかる。(冒頭の写真参照)

 また林道沿いにも多くの沢があったが、いずれも崩壊の痕があり、砂防ダムが重なるように築かれていた。

 ちなみに林道沿いには、300年生のヒノキやアスナロ、サワラなどの大木が林立していた。これほどの木を身近に見られる山は、木曾でもそんなにない。これらも伐採計画はあったが、住民の反対で止まったのだという。林野庁は幾度となく伐ろうとしてきたのだ。

この山には、今では珍しくなった木曾檜などの巨木が多数残る。
この山には、今では珍しくなった木曾檜などの巨木が多数残る。

 しかし集中豪雨などが多発する昨今、利益の出ない(どころか赤字必至)の山を無理に伐る必要があるように思えない。もし「蛇抜け」を引き起こしたら、どんな災害が引き起こされるか。どれほど莫大な復旧費が必要となるか。

 分収育林という失敗した施策の契約に縛られるのではなく、「蛇抜け」という言葉で過去の記憶を呼び起こし、現代の教訓にしてもらいたい。

※冒頭、文中の写真は、すべて筆者の撮影

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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