「潜在自然植生」の森を人がつくる危うさを橿原神宮で感じる

橿原神宮の林苑。下生えがほとんどなく、森としては危うい

 二つの森を比べて、不思議な気持ちになった。取材で訪れて目にした橿原神宮と、その隣の神武天皇陵である。

 まずは写真で、両方の森を見比べてほしい。違いがわかるだろうか。トップ写真と上写真が橿原神宮、下が神武天皇陵である。

橿原神宮
橿原神宮
神武天皇陵
神武天皇陵

 

 神宮の森は主にカシの大木が林立しているが、その下の中低層の植生がない。地面にも草はあまり生えていない。一方、御陵の森は、地表の草から大木までさまざまな木々・草が混ざって生えている。御陵の森の方が豊かだと感じないだろうか。

 ご存じの方も多いだろうが、どちらも奈良県橿原市の畝傍山の麓にあり隣接している。もともと幕末に「初代神武天皇の御陵」はどこかという調査が行われ、当時畝傍山麓にあった小さなミサンザイ古墳をそれだと比定した。明治に入ると周囲の土地を買収してドンドン拡張されていくのだが、その隣に御陵を顕彰する神社の建設が企画された。そして1890年に創建されたのが、橿原神宮である。つまり今年はちょうど創建130周年だ。

 紀元2600年(西暦1940年)を迎えるに当たって、両者の大規模な修築・拡張が行われるようになった。初代天皇の御陵をより立派に、そして橿原神宮は東京の明治神宮に匹敵する大規模な本殿と鎮守の森に造り替えることを企てたのだ。

 ちなみに、それまでの境内にはマツが生えている程度で、買収した周囲の土地は田畑や集落地だった。

 ここで明治神宮の森を思い出してほしいのだが、もともと田畑を含む原野だったところに造成して約100年、見事な照葉樹林が成立している。照葉樹林こそ、万葉の時代の植生とされたのだ。そして生き物の豊かな自然が広がっていることで有名だ。人の手でこんな森をつくれるのか、と驚きをもって語られる。

 橿原神宮、そして神武天皇陵も同じようにする狙いがあったのだろう。

 実際、橿原神宮では明治神宮造営と似た手法が取られた。全国から献木を募り、勤労奉仕で森づくりが行われたのである。

 ただ違ったのは、最初から「万葉の森」をつくることをめざし、照葉樹、とくにカシやシイを中心に植えたことだ。神武天皇即位の頃の植生を想像して、それに近い森を早く成立させようとしたのだろう。

 ちなみに明治神宮では、本多清六博士の提案で、元からあったスギやマツなどを残しつつ、その間に落葉樹、そして照葉樹の苗を植えた。そしてなるべく人の手を入れずに自然に任せたのである。150年かけて植生が遷移することを想定したのだ。結果として100年経た今、すでに立派な照葉樹林に達している。

明治神宮
明治神宮

 さて、橿原神宮と神武天皇陵の森を見比べると、どう見ても御陵の方が明治神宮の森に似ている。橿原神宮は、最初に植えたカシなど照葉樹が大木になったものの、その下に草木が生えていない。おそらく照葉樹が大きく樹冠を広げたため地表が暗くなり、後継樹が生えなくなったのだろう。また林内に人が自由に入れることも影響したと思われる。

 一方、御陵は最初こそカシなども植えたが、献木などによる大規模な植林はせず、また基本的に立入禁止である。そのため周辺から種子が飛んでくることもあって、自然植生に近くなったのではないだろうか。

 人が、最終的な植生の森の姿を最初からつくろうとそれらの樹種を植えても、それに合った生態系を築けずいびつになってしまう。むしろ自然の遷移に任した方が最終的に落ち着いた豊かな森を成立させるのだ。なお橿原神宮は現況調査を始めており、結果次第で森に改めて手を入れて健全な森に導いていく予定だという。その取組に期待したい。

 人の行う森づくりで想定した通りに進まないケースは、橿原神宮だけではない。今も「照葉樹林こそ本来あるべき潜在自然植生だ」と、表土剥き出しの土地に最初から照葉樹の苗を植えるケースが見受けられる。どこそこの企業の森とか、東日本大震災の津波の跡地に、無理やり照葉樹を植えられたところもあった。

 私も幾カ所かそれらの現場を見て歩いたが、どこも木々が健全に育っているようには見えなかった。むしろ植えられた照葉樹の横に近くの山から飛んできたらしい種子が芽生えて伸びる草木の方が元気に成長している。

「照葉樹林こそ本物の森」という主張は滑稽だ。森に本物も偽物もない。植物は土地の環境条件にもっとも適したように生える。そして時とともに移り変わる。いずれの段階の森も本物だ。そんな自然の営みに寄り添った森づくりをすべきではないか。

※写真は、みんな筆者撮影。