ハンターは減りすぎたのか。獣害問題の統計に操作疑惑

最近は森でシカをみかけるのも珍しくなくなった。(筆者撮影)

 毎年、タケノコを掘っている山に行くと、見るも無残だった。

 一面穴だらけなのだ。そして食い散らかしたタケノコの残骸が落ちている。イノシシだ。やられた~とため息が出る。被害はタケノコだけでなく、地面を掘り起こしているので自然破壊的である。

 日本列島で獣害が蔓延している。その理由は、野生動物が増えたことだ。なぜ増えたのかと言えば、動物を狩るハンターの減少したことが指摘されている。

 それを示す統計も紹介されている。たとえば農水省のHPには、イノシシやシカの生息数が80年代の5倍以上に増えていること、一方で狩猟免許の所持者数は、1975年には51万8000人だったが、1990年には29万人、2014年は19万4000人と急減していること……などが紹介されている。

 だが以前も、ハンター数と駆除数は連動しないことを紹介した。

ハンターが減ったから獣害が増えた? いえ反対です。

 もう一つ疑問が出てきた。こうした統計では、たいてい1970年代から現代に至るまでの間しか示されていないことにちょっと引っかかった。たかだか戦後50年程度で生息数やハンターの推移がかわるだろうか。

 そこでもっと古い資料を探した。すると意外な状況が浮かび上がる。

 まず江戸時代は、今以上に獣害が苛烈を極めていたようだ。さすがに生息数の統計はないが、各種の古文書には田畑の6割を獣に荒らされたとか、年貢の支払いができなくなった……といった記述が各所に出てくるのだ。江戸時代は、鉄砲を武士より農民の方が多く持っていたというのも驚きだ。もちろん駆除のためである。

 昔は人と野生動物が共生していた、わけでは決してないのだ。

 ところが明治から昭和にかけて、多くの動物が激減する。そのためシカやカモシカの保護策が講じられたほどだ。たとえばエゾシカは1877年に猟の一部規制、1890年に全面禁猟措置がとられた。ニホンジカは一歳以下の捕獲禁止措置がとられた。戦後も長くメスジカは狩猟獣から外されていた。カモシカにいたっては絶滅を心配されて特別天然記念物に指定されるほどだった。

 野生動物の生息数を長いスパンで見ると、U字を描くようだ。江戸時代は多かったものの、明治・大正・昭和初期と減少を続ける。ところが1980年代から増加に転じている。それを折れ線グラフにするとU字になるのだ。

 言い換えると1970年代はもっとも生息数が少ない時期だった。その頃と現代を比べたらこんなに増えている! というのはフェアではない。それを異常というより明治以前の状態にもどったと見るべきだろう。

 一方で狩猟者数の統計も、歴史上もっとも数が多かったのも1970年前後のようで、それ以前はかなり少ない。1950年代は12,3万人なのだ。戦前は10万人を切っていた時期もあるという。

 こちらをグラフにすると逆U字、山形だろうか。現在も20万人近くいることを考えると、必ずしも減りすぎたとは言えない。ましてや少ないハンターでも多くの駆除を行えているのだ。

狩猟者数の推移。環境省のHPより。
狩猟者数の推移。環境省のHPより。

 では、なぜ明治から昭和にかけて野生動物は少なくなったのだろうか。

 原因として考えられるのは、やはり明治になって高性能の銃が導入されて駆除が進んだことがある。

 そして毛皮需要が高まったことも外せない。毛皮は、欧米への輸出商品として人気だったうえに軍事物資としても重要で、捕獲が奨励された。1880年代に軍用の毛皮を調達するための制度がつくられている。全国に猟友会が結成されたのも、その一環としての国策だったのである。

 おかげで毛皮となる野生動物が先を争うように捕獲され、それでも足りずにキツネやウサギ、ミンク、ヌートリアなどが養殖されるようになった。それが現在の外来種問題までつながっている。

 また山野の荒廃が野生動物の生息を厳しくした面もある。幕府や藩が定めた禁伐令が撤廃されて、森林の伐採が猛烈に進んだ。その結果、日本全土にはげ山が広がったのである。そのため棲家が奪われて数を減少させたことが想像できる。

 とすると、現在の獣害問題は保護策が稔って野生動物が増加した証拠と言えなくもない。増えたことは異常ではなく、ようやく江戸時代と同じ程度までもどったとも言える。統計のスパンをちょっと変えるだけで、日本の自然の姿をまったく違って見せてしまう。

 もちろん、だから獣害なんて気にするな、というわけではない。ただ対策を取る場合に基礎的な認識となるべき日本の自然状況を把握しておかねば、間違った施策を採りかねない。加えて世間に誤解を招きかねない。

 今回の統計の示し方も、シカやイノシシが異常に増えていることを印象づけようと恣意的に操作したかのように感じてしまう。もっと真摯に向き合うべきだろう。