大木の「尊厳死」を考える

野間の大けやき。樹冠一面にヤドリギが繁殖している。

大阪府能勢町の「野間の大けやき」を見る機会があった。

このケヤキは、幹回り14メートル、高さ30メートル、枝張りは40メートル四方。全国でも指折りの太さで、樹齢はおそらく1000年以上になるだろう。

しかし、写真を見て違和感がないだろうか。とくに高く広がった枝に点々と付いている丸い茂みは……。

これは、ヤドリギである。樹木に寄生する小灌木性の植物だ。鳥などによって樹木の枝に種子をつけられると、そこに根を下ろして生長する。常緑広葉樹なので、落葉樹に寄生すると、冬にはヤドリギだけが葉っぱをつけることになり、こんなヘンな光景になる。

それにしても、ヤドリギが多すぎないか。

ヤドリギ
ヤドリギ

実際、ケヤキの樹勢は衰えているらしく、20年以上前から治療行為が行われているそうだ。ヤドリギだけでなく、キヅタなど蔓植物を取り除いたり、支柱を立て直したり、土壌改良や腐朽の進む枝や幹を切除し殺菌剤の塗布と空洞の充填などを繰り返してきた。そのほか周辺に人が入って表土を踏み固めないように囲いもした。地元は大変な努力をしているのだ。

だがヤドリギは、いくら取ってもまた生えてくるという。樹の内部組織までヤドリギの根が深く入り込んでいるのである。一般的には宿主の木への負荷は少ないというし、冬はヤドリギから宿主へ栄養が流れているとも聞く。もしかしてヤドリギを全部取り除くと、ケヤキが逆に弱るかもしれない。

結局、ケヤキの寿命が来ているのだろう。すでに主幹もなくなり、満身創痍の雰囲気。弱っているからヤドリギも繁殖しやすい。私など、大木のパワーを感じるよりも、痛々しく感じてしまった。

主幹はなくなった
主幹はなくなった

もちろん地元の人々にとっては、大事な木であることは重々承知している。歴史的・植物学的にも貴重だろうし、観光資源でもあり、地域の誇りになっているに違いない。この大木を目にすることで癒される、勇気をもらう……という人もいるだろう。

しかし、樹木にも寿命はあるのだ。

実は、日本の各地で大木問題が起きている。木が大きく育ちすぎたことで、いろいろな支障が生じているのだ。

とくに庭木や街路樹など住宅街にある樹木が大木になると、周辺に日陰をつくったり根が住宅の基礎部分を侵したりする。大風などで枝が折れて落下したり倒れると、建築物の破壊や電線などの切断され、人にも危害を及ぼす。伐採しようとしても、回りが建物が密集していると簡単に倒せず非常に大変な作業となり、費用も高くつく。

また近年全国的に猛威を振るっているナラ枯れ(ミズナラ、コナラ、クヌギ、アラカシ、スダシイなどの木がカシノナガキクイムシが穿入することで枯れる現象)も、カシナガが好む大木が増えすぎたのがそもそもの原因である。全山で枯れると、植生が劣化したり土砂流出を招くなど影響か大きい。

人は大木を目にすると、崇敬の念を抱きがちだ。そして保護しようとする。

しかし大木とは、言い換えると老木であり、樹勢が衰えていることも多い。病虫害に侵されることが多いだけでなく、地上部が大きくなりすぎたら根系とのバランスが悪くなり栄養が回らなくなるし、風の影響を受けやすくなる。

しかも大木が繁ることでその木の下は暗くなり、次世代の稚樹が育たなくなる。いわば少子高齢化問題が森の世界にも広がっているのだ。

人も、大木は有り難がって保護する一方で、間伐と称して小径木を伐採してしまうことが多いが、これは高齢者を優遇して若者を排除するようなものだ。森林生態を健全にするには、むしろ大木を除いて若木を育てなくてならない。

もちろん世間に元気で若々しい老人もいるように、樹勢が旺盛で周囲に危害を加える恐れのない老木は、敬意を持って残せばいい。しかし、延命治療を施してまで残す意味はあるだろうか。

最近は大きく育った街路樹を伐採しようとすると「せっかくここまで大きく育ったのに……」とか「街の景色の一部になっている」とクレームが殺到するそうだが、本当にそれがよいことなのか考えてみる必要があるだろう。

樹木にも尊厳死があってよいと思う。