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「幻の葛細工」が消えた意外な理由

田中淳夫森林ジャーナリスト
葛を編む水口細工の復元には多大な時間を要した

今年の正倉院展に「白葛箱」が出陳されるそうだ。これは植物のクズの繊維を編んでつくられた繊細な細工物である。

クズと言えば、最近は「緑の怪物」扱いされるほどの繁殖力を誇り、開けた土地をあっと言う間に覆い尽くす。日本どころか海外でも侵略植物扱いされている。

だが、古来よりクズから取り出した繊維で編んだ小箱や鞄物などが作られており、繊細で優美な魅力がある。だから正倉院にも納められているのだろう。今でも葛細工の箱は、宮中祭祀や伊勢神宮の神宝として遷宮には欠かせないという。

私は葛細工と言うと、幻の「水口細工」を思い出す。そして、それが消えた理由を考えると、現代の日本のものづくりにも通じる憂いを感じてしまうのである。

水口細工1
水口細工1

滋賀県の甲賀市水口地方では、水口細工として葛で編まれた小箱などが、少なくても江戸初期から作られていた。参勤交代を始めとする東海道を旅する人々のお土産として珍重され、シーボルトも江戸に赴く途中に水口細工をつくる人々を観察した記録がある。幕末には年間7万点以上の生産が行われたというほど、水口の一大産業となっていたのである。

また明治になると海外輸出が企てられ、欧米で大層な人気を呼んだ。当時の新聞にはアメリカやヨーロッパ、オーストラリアなどから、一度に数万点もの注文が入った記録もあり、町挙げて生産に取り組んだという。そのため生産の会社化も行われたほどだ。

商品も、帽子やキャンディボックス、イースターエッグ箱など洋風化させてバラエティに富み、色も鮮やかな品も作られるようになるなど、時流に合わせた商品開発も盛んだった。戦後もそれは引き継がれた。

水口細工2
水口細工2

しかし昭和40年代になると、いきなり姿を消し、その製作方法までも謎になってしまった。材料も加工法もわからなくなったのだ。

平成に入って、水口町の有志が集い水口細工復興研究会を結成した。そして十数年かけて材料を特定し、その加工方法や編み方などを試行錯誤しつつ復元に成功した。

緯糸にはクズの若い蔓の中皮、経糸にはアオヅヅラフジの蔓を使うこと、またシュロの繊維は在来のワジュロに限ること。そして茹でたり醗酵させたりという繊維の抽出方法……。消えた技術をこつこつ探求して再発見したのだ。そうした努力で解明された技法が、前回の伊勢神宮の遷宮にも活かされたという。

私は、こうした事実を調べて、技術や知恵は意外なほど簡単に失われること、いったん消えた技法を復活させるのがいかに大変か、を思い知った。そして水口細工は人気の品だったにもかかわらず、姿を消した理由を追いかけると、技術の伝承に欠かせない重要な事実に思い至ったのである。

一般に一つの商品が消える理由として思い浮かぶのは、人気が衰えて売れなくなることだろう。伝統工芸と言っても、需要がなくなれば消えざるを得ない。しかし水口細工は、戦後も人気で輸出商品だった。だが、肝心の職人たちが姿を消すのである。材料を調達したり繊維を取り出す加工、そして自在な形に編み上げた人々が生産を止めてしまったのだ。

実は高度経済成長期に入ると、水口町周辺に多くの機械や電気の部品工場が進出した。そこへ水口細工の職人がこぞって転職したからだ。その背景に、水口細工づくりの工賃が安く、しかも注文に波があって職人の収入が安定しなかったことがある。その点、工場勤務は給料もそれなりによく、多くは月給制だった。

逆に水口細工そのものは、職人が激減したため注文に応えられなくなり、得意先を失う。土産物、贈答品等の需要はなければないで納まってしまう。

そうなると消滅は早い。しかも、あまりに日常の産業だったことや工程が分業制だったこともあり、製作技法はどこにも記録されていなかった。やがて世代が代わると、受け継がれることなく消えてしまったのである。そして平成に入ると、水口細工の存在自体が地元の人からも忘れられていく。

ここで気づくのは、作り手が(工賃や待遇で)報われなければ作り続けられないという当たり前のことだ。とくにほかに移る仕事がある場合は早い。どんなに人気の商品でも、作り手が逃げ出したら生産は滞るし、注文に応えられなければ代替品に取って代わられる。

現代に眼を向けると、技術大国を自慢する日本だが、いつしか作り手に低賃金・低待遇を押しつけるようになった。非正規雇用では安定した生活が送れず、入れ代わりが激しい。それが長年引き継いできた技術を途切れさせる。

それは職人だけではない。営業や販売、サービスなどの仕事だって、担当者はマニュアル化されていない技や知恵を持っているものだ。だがそれを受け継ぐのは、現代の日本では難しくなりつつある。名もなき人々が仕事の中で培ったノウハウも、現代の雇用事情では雲散霧消するかもしれない。

それどころか開発研究者さえ、十分な報酬がなければ仕事を投げ出すか海外に流出するだろう。

なんでも機械化だ人工知能だ、生産は3Dプリンターとロボットでできる……と言って人を切り捨てているうちに無形の知恵が失われて、取り返しのつかないことになるかもしれない。そして復元は極めて困難なのである。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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