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「奈良のシカ」大異変? 外国人客増えて悩みも噴出

田中淳夫森林ジャーナリスト
飛火野も貴重な餌場

古都・奈良も、近年は外国人客が急増している。

彼らに人気なのは、東大寺の大仏のほかは、圧倒的に「奈良のシカ」だ。(「奈良のシカ」と書いた場合、奈良県のシカではなく奈良公園周辺に生息するシカのことである。)私の見たところ、外国人観光客は社寺の仏像よりもシカの方を喜んでいる。

今や地方の農山村地域で「シカ」と聞くと、もはや獣害対象でしかない。被害額は獣害全体で1000億円を超える(農水省統計では200億円以上としているが、届け出されない分を含めると5倍以上と言われる)が、その過半がシカではないかと想像できる。なにしろ推定生息数は全国で325万頭である。イノシシの4倍近いのだ。

だから駆除対象になり、ハンター養成が課題とされ、狩り女子に注目が集まったり、その肉をジビエとして売れないか模索したり……と騒がれるのだ。

しかし、「奈良のシカ」の悩みは、ちょっと違う。

ちょうど奈良県が「奈良のシカ」に関するシンポジウムを開いた。「奈良のシカ」の生態が急速に変わって保護管理の方法も考え直さなければならないことを訴えていた。一体、「奈良のシカ」に何が起きているのだろうか。

「奈良のシカ」は現在1100頭あまり。基本的に野生である。しかし市街地を闊歩し、人にも警戒せずに寄ってきて、シカせんべいをもらって食べる。身体を少々触られても平気。なかには商店街を歩いて店の中まで入ってくるシカもいるし、横断歩道で信号が赤なら渡るのを待つシカも普通にいる。

これには日本人でも初めて訪れた人は驚くらしい。子供の頃から“つきあい”のある私には自然なのだが、周りに人がいっぱいいて、車がブンブン走り、ビルディングが立ち並ぶ中をシカが歩いているのは不思議な光景なのだろう。

シカのような大型動物が都会で人と共存しているのは、おそらく世界でもここだけだ。

奈良では平城に遷都した1300年前からシカと共存してきた。神の使い、神鹿として崇め保護してきたのである。

奈良の都を建設するために森林を伐採したことで草原が増え、それがシカにとっての餌を供給したという見立てもある。しかも神の鹿として保護されたのだから数が増えないわけない。

「奈良のシカ」は、夜を春日山の森で過ごし、朝になると奈良の町に出勤する。境内などの草を食べつつ、昼間は奈良の町に出て観光客の相手をしてシカせんべいをオヤツにもらう。夕方にはまた森に帰宅し就寝する……という日常を送っているとされた。

シカは草を食みながら、糞をする。その糞は虫と菌類によって分解され、土の栄養分となる。おかげで草もよく生えた。そんな循環があるのだ。

観光客に人気の飛火野のシカ寄せ風景。
観光客に人気の飛火野のシカ寄せ風景。

ところが、近年の観光客の増加によって、終日シカせんべいばかりを食べているシカも現れたらしい。それどころか食べきれない。ゴールデンウィークなどには、あまりの観光客の差し出すシカせんべいの多さにそっぽを向く姿が報告されるほどだ。

さらに「餌やりたがりオジサン・オバサン」も登場した。自宅から餌を持ってシカに与えるのだ。それが軽トラで運ぶほどの量のケースもある。残飯などは、シカが時に消化不良を引き起こす。スパイスの効いたから揚げやお菓子を食べたら、シカの命に関わる。間違って菓子の袋などを食べて胃袋にビニールが溜まってパンクしたケースも報告されている。

一方でシカの交通事故も増えているらしい。毎年100頭あまりが事故死しているそうだ。加えて野犬に襲われるケースも起きている。

シカによる人身事故も急増中だ。外国人などがシカをペット感覚で扱って、かまれたり角で突かれたりするよう。ほとんどは軽微な怪我とのことだが、なかには転倒して頭を打ったり、縫合の必要な裂傷を負ったり骨折事故も起きたという。

シカは意外と大きな動物なのである。雄シカなら体重が70キロを超えるものも珍しくない。それが身体をぶつけてきたら、子供だと吹き飛ぶ。

加えて昔ながらの悩みである農作物被害も、なかなか減らない。奈良公園周辺の農地では、シカ柵を設けずに栽培するのはほぼ不可能だ。

もっとも、奈良のシカ」の中には、公園に出ず森の中で過ごす一群もいるそうだ。観光客に媚を売るのに嫌気がさしたらしい……。

しかし、森の草や稚樹をあまりに食べるため、森が荒れてきた。本来のシイ・カシ類が減って、シカが食べないアセビやナギ、ナンキンハゼばかりが増えている。

このように問題は続出しているが、かといって「奈良のシカ」を人と触れないように隔離することはできないし、するべきでもないだろう。

実際、奈良県・奈良市、奈良の鹿愛護会、そして有志の人々は、シカ相談室を設けて苦情に対応したり、ときに見舞金を拠出したりしている。もちろんシカの保護にも尽力している。今後、どんな策をもって奈良がシカと共存を続けるのか注目したいところだ。

奈良の鹿愛護会では「鹿救助隊」を設けている。
奈良の鹿愛護会では「鹿救助隊」を設けている。

以前、他県の林業家を奈良の町案内したとき、「シカがそんなに大切で保護するのなら、全国のシカを奈良に集めて閉じ込めてくれないかなあ」と言われた。そ、それはないだろ……。奈良も苦労してシカと共存しているのだから。

それに……シカは近くで見ると、やっぱり可愛い。「せんとくん」「しかまろくん」のようにシカの角を生やしたキャラクターも人気だ。

むしろ、奈良の努力を全国のシカ害対策に活かしてほしい。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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