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何かヘン。森林・林業白書が皆伐を推進する理由

田中淳夫森林ジャーナリスト
今後、日本の山では皆伐がどんどん進むかもしれない

6月初頭に公表された「平成26年度森林・林業白書」に目を通した。

何か違和感がつきまとう。何に引っかかるのか考えたのだが、やはり全体に色濃く匂うのが木材産業の振興であり、相変わらず「木材(できれば国産材)をもっと使え」一辺倒であることだろう。

ここ数年の白書は、毎年この連続だ。「木づかい運動」を展開して、木を使うことこそが日本の森林を守る、と繰り返している。その理由に、戦後植林した木が、今伐期を迎えている、人工林は適切な管理が必要で、そのためには木を伐っては植えるという循環が必要、また木をつかうことは炭素固定につながり地球温暖化対策にもなる……こうした論理ばかりだ。

そして森林資源の「若返り」とか「齢級構成の均衡がとれた森林資源の造成」といった言葉が登場して来る。難しい言葉を使っているが、ようは人工林の高齢化していて若木が少ないから、伐期が来た木を伐って、その跡地にまた植林しよう、という意味だ。

なんと、全国で今後50年間に約300万haを皆伐する計画なんだそう。日本の人工林面積は約1000万haだから、3割を丸刈りして植え直そうというわけだ。

私には、皆伐を大々的に行う「決意表明」のように読み取れた。

ここで個別の疑問に関するツッコミは抑えておく。

ただ気になったのは、伐期とは何年なのか、という点だ。伐期が来たから伐る、と繰り返しているからだ。

そこで市町村の森林整備計画で定める「標準伐期齢」が何年なのか調べた。すると、ほとんどはスギが35年~40年、ヒノキは40年~50年、マツは30年……。どうやら樹齢50年以上の木は伐れということになる。

50年生が高齢? 伐採すべき樹齢?

しかし、この恐ろしく短い伐期は、戦後の高度経済成長期の木材が不足していた時代に、早く使うために設定されたものだろう。

スギやヒノキの生物的な寿命は、数百年ある。屋久杉のように1000年以上というのは特別な例だとしても、50年なんて、樹木にとって若造だろう。高齢林というには150年はほしい。

また樹木の年齢だけではなく森林生態系の維持の面からしても、それくらいの大木がないと多様な生物相は維持できない。

ようするに過去の非常時に伐期を短く設定したままだから、山には伐るべき木があふれていることになり、早く伐って「若返り」を図らなくてはいけないとしているのではないのか。

それで思い出した。

日本の水産資源の保護策である。最近はマグロやウナギ、さらにサンマなども、資源枯渇が心配されている。そこで漁獲規制を設けるのだが、その規制枠がまるでおかしいのである。

たとえばニホンウナギの稚魚は、日本は21.6トンまでしか獲りません、としている。しかし、そもそも規制する前の漁獲高が、2013年は5.2トンなのである。(豊漁だったとする翌年も18トン程度)

つまり頑張っても獲れそうにない規制枠を設けて、「規制は守りました」と言っているわけだ。

林業も同じことをやっているのではないか?

伐期を短くして木が余っていると訴えて、「適正にするため」皆伐を推進する……。

伐った木の使い道を確保するために木材産業の振興か? バイオマス発電で燃やせ、か?

いや、木材産業を振興するためやバイオマス発電を行うために、皆伐を推進するのか。。。

それでいいのか?

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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