Yahoo!ニュース

今年こそ、「美しい森」をつくろう!

田中淳夫森林ジャーナリスト
里山の雑木林。美しいと感じる森は、生態系が健全な証拠?

昨秋、親戚名義の山林を譲られた。

ほんのわずかな面積で、山林というより山の中の小区画といった方が正しいかもしれない。しかもその土地の真ん中に道路が通って2つに分断されている。

一応雑木林に覆われているが、よい状態とは言えない。全体に草木が密生して林床は暗く照葉樹が増えていた。コナラの大木が何本かあるが、一部でナラ枯れも起きている。また竹の侵入もかなりある。そのうえ、投げ込まれたゴミが散乱している。

今年は、この山林を少しずつ整備できないかと思っている。森遊びの場として使うとともに、里山再生実験の一例にできないかと思ったのだ。

そのためには森の将来像を描かないといけないだろう。目先の思いつきで伐ったり刈ったり、とりあえず植えるだけ、あるいは機械的に間伐しているだけでは、健全な森に育たないからだ。

まず最初に、自分がつくりたい森を頭の中だけでも描いておきたい。

これは、私の山林だけの話ではない。すべての森林で、人が手を入れて森づくりを行う際には、森の将来像を描くべきだ。それを持たないことが、森づくりを迷走させてしまうのだ。

もちろん、いくら理想を描いても複雑な自然界は、思い通りに草木を生育させるとは限らないから、目標どおり達成させるのは簡単ではない。それでもめざすべき姿のないまま進むのは危険すぎる。

そこで、はたっと立ち止まった。そもそも、どんな森を理想というのだろうか。

一般にいう「豊かな森」とは何なのか。

森は、多様だ。人工林、雑木林、天然林というだけでなく、条件によってさまざまな表情を持つ。地域によって、時代によっても姿を変える。だから「どこそこにある森」といったモデルを求めるのは難しい。

そこで考えたのが、「美しい風景」である。美しい森をつくろう。

美しさを説明するのは難しい。哲学的な言葉を連ねたり、視界内の構成要素を取り上げて数学的に説明しても抽象的な概念に留まる。

それでも私が感じるのは、「美しい」という感覚は、想像以上に「正しい」のではないかということである。とくに森の美しさは、豊かな森、健全な森、多様な森につながると思うのだ。

以前、里山の整備活動をする森林ボランティアの人々に質問されたことがある。手がけた森が本当に生物に優しく、環境によくなったかどうかを、どうやって判断すべきかというものだった。

その直前に、私は闇雲に間伐すれば健全な森になるとは限らない、といった話をしていた。しかし森林生態系に精通し、動植物の深い知識を備えた専門家がいる団体ではないのだ。生物調査しなければ森林整備してはいけないと言ってしまっては、素人は手を出せなくなる。

そこで私が応えたのは、「美しいと感じるか否か」だった。手を入れて「森が美しくなった」と感じたら、それは整備方法としてそこそこ正しかったのでないか。

人が感じる感覚は、無意識に自然界のバランスを読み取ってことが多いように思う。草木が健全に育っている森は美しく感じ、全体の姿もバランスが良い。そして生物多様性も高いのではないか。つまり美しい森は、環境にも優れているように感じるのだ。

逆に不快感を抱く景観は、健全性が足りないのかもしれない。見通しが悪かったり暗い森は、草木が健全に育っていない。土壌も荒れている。風が通らず枯れ木が多い森は、空気がよどみ、人に害をおよぼす虫や菌類が繁殖しているかもしれない。逆に言えば、人間にとって不利益な森を、直感的に「不快な景色」と感じるのではないか。

もちろん、まったく森に触れたこともない人が感じる美しさと、頻繁に森を歩き知識も豊富な人とでは感性も違うだろう。また多様性の少ない一斉林にも整然とした美しさはある。しかし、森との接触を高めれば、美しさの基準も鍛えられるはずである。

ここで、19世紀のプロイセン貴族だったザーリッシュが唱えた「森林美学」を振り返りたい。彼は、森づくりに美的観念を持ち込んだのだ。その意義を、次の四点で説明している。

1、美を考慮することは、施業上の誤りを防ぐ 

一本の木を伐るだけでも、その周辺にどんな変化が起きるか確実に読みきれない。しかし「美しさ」を基準に考えると、さほど大きな失敗はしないとする。これは経験則から生まれたのだろうが、私自身も多少の経験からそれに納得する。

2、森林官の職業上の満足感は、美と関係がある 

日本の場合は、森林官ではなく森に携わる人全般と捉えた方がよいが、報酬さえもらえば満足というわけではなく、仕事の意義を評価されることが大切だ。自分の行う仕事が、森によくない仕打ちだと感じればモチベーションが落ちる。しかし「美しい森をつくる」という意識が備えられれば、作業の質はガラリと変わる。満足感を得られることは、やりがいとなる。

3、森林美による民衆の好感は、森林にも役に立つ 

森林周辺の人々、さらに遠くからの来訪者が、森林景観に寄せる好感を寄せれば、長い目で見てきっと森林によい影響を与えるだろう。森にゴミを捨てようとはしないし、仮に外部の人が盗伐しようとしても咎めるかもしれない。また森林作業にも協力的になるだろう。

4、近郊の森林の美に対する喜びは、民衆を定住せしめる 

これは、もっとも現代的な意義になるかもしれない。美しい森林のある地域には、人々が定住するというのだ。地元住民の流出を止めるだけでなく新住民の流入も見込めるとする。過疎が進む地域にとっては切実な課題だ。

さらにザーリッシュは、美しい森からは収益も上がるとする。高品質の木材が多く生産できるというのだ。さらにキノコなど森の幸も増えるだろう。

さて、私の山林では、実際にどんな作業をすればよいだろうか。ごみ拾いに加えて、まず大木を含めてある程度木々を切り払い、林床を明るくすることからスタートしたい。そのためには結構な作業になるだろう。私一人では労力も技術も足りないから、ボランティアの応援も頼みたい。そして数年後には、通り掛かる人が「美しいな」「よい風景だな」と感じる森になってくれたら本望である。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

田中淳夫の最近の記事