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木を売らなかった林業

田中淳夫森林ジャーナリスト
今も山村では自家用の薪を取る「林業」がある。

一般に「林業とは木材生産をする産業」と理解されているだろう。もちろんキノコなど「特用林産物」もあるにはあるが、天然林を伐採するにしろ、苗から育てる育成林業にしろ、木材というマテリアルを得ることが目的である。

そして、産業というからには、利益が出ていたと考える。むしろ「山主」という言葉には「大金持ち」のイメージがある。広大な山林土地を所有していることは、町の人々には憧れでもある。

しかし、本当に昔から林業で儲けていたのか、という疑問が湧き上がってきた。

山村の住民でも、一家が持つ山林面積は非常に狭い。今でも林家の所有森林面積は、9割近くが5ヘクタール以下である。いくつもの山を持つ大山主はごくわずかだ。だから常時木材を出荷できた山村民(林家)はかなり限られている。たとえば1年に1ヘクタール分の山を伐採するとして、伐期を60年に設定すると60ヘクタールの山を所有しないと回転しないことになる。実際にはすべての山に利用できる木が育つわけではないから、100ヘクタール以上の山が必要だ。

むしろ所有権を持たず入会権だけで山を利用するケースが多かった。山は、燃料としての薪を採取したり、農地に入れる堆肥用の落ち葉や枝葉を得る場だった。ときには木炭を焼いたり、山菜などの収穫も行う。山の利用の大部分がそういった内容だった。木の利用は、せいぜい自分たちの家を建てたり木の道具を作る程度だった。

そして歴史的に調べると、どうも山で儲かった時期はほとんどなかったのではないか、と思えてきた。木を売る「林業」を行っていた林家は極めて少ない。集落や村単位でも恒常的に山の木を伐って町に売っていたような地域は数えるほどしかない。大多数の山村は木を売っていなかった、と気がついたのである。

もちろん都や町を築くには、莫大な木材が求められる。住居はもちろん城や神社仏閣、宮殿などの建築に欠かせない。そのための木材産地は必要だったろう。しかし、歴史を振り返ると、木材産地は次々と移り変わっている。つまり伐採して山に使える木がなくなると、別の山に映るのだ。常時計画的に木を出してきた林業地は数少ない。

そもそも苗を植えて木を育てる育成林業は、そんなに普及していなかった。たいていの山は、天然林だったのだ。その中から太い利用できる木を選んで伐採し、その後は放置する(禁伐する)ことによって自然の力で回復することを期待していた。育成林業が日本で広く行われるようになったのは、少なくても明治以後、大半の人工林が誕生したのは太平洋戦争後なのである。

普通の山村の小規模な山主が、木を売って儲けた時期があったかどうか怪しい。林業家はいたが、実は山だけでなく田畑も持ち、普段の仕事は農業だったり、ほかの事業を手がけていた。現金収入を木材から得る割合は低かったようだ。木材で金を得るのは、非日常のことだったのである。その意味で、日本のほとんどの山村に、林業は成立していなかった。

しかし山村でも、完全な自給自足は不可能だ。衣類や金属などを手に入れるには、現金も必要だろう。それらを得るための換金商品も必要である。それは薪や木炭だったのではないか。つまり燃料である。

町は、食料や資材、燃料などを外部から運び込まないといけない。そして燃料の大半が、薪と木炭だったのである。それは山で生産し、町に輸送して販売された。日常の煮炊きや暖房だけでなく、製鉄・製塩・製陶……などの産業でも、必要なエネルギーは薪と木炭に頼っていた。化石燃料が普及するのは明治以降だが、それも都市の一部であって庶民レベルまで広がったのは戦後である。

裏を返せば、昔の山村はエネルギー供給基地であり、燃料供給が最大の産業だったといえる。マテリアルとしての木材を売る林業ではなかったのだ。木材を売って手にする現金は、たまに出るボーナスみたいなものである。

だが、戦後になって化石燃料が普及すると、急速に薪や木炭の需要は落ちた。山村は最大の収入源を失ったことになる。

ただ木材価格は一時的に暴騰することがある。たとえば新しい都市の建設や、火事の発生時に大量の木材が求められた。最近では、戦後の復興景気から高度経済成長の頃は、木材価格は非常に高かった。需要は膨らんだが、木材輸入が制限されていたために木材バブルが発生したのだ。この時に、これまで森林を維持するために費やしたコストを取り戻して余りある利益を上げることができる。そのため「林業は儲かる」気持ちになってしまった。

このように考えれば、林業は数十年という非常に長いスパンで収支を合わせて経営しなければならないことがわかる。

どうやら林業の好不況を比べる基準を間違っていたのではないか。異常に景気が良かった短い時期と比べると、どうしても現状は不振に感じてしまう。しかし長い歴史から見ると、木材生産の林業はあまり成立していなかったのだから、現在の山村経済が疲弊している理由を(木材生産の)林業だけに追わせるのは無理がある。

本来「林業は儲からない」、そして「非常時の産業」として捉えてみてはどうだろう。そのうえで、森林環境を保全することを大義とし、非常時に備える意図を持って森林経営を行うべきなのかもしれない。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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