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T.M.Revolution・西川貴教は何が革命的だったのか?『HEY!×3』登場と肉体進化から考察

田辺ユウキ芸能ライター
(写真:アフロ)

2021年5月にT.M.Revolutionとしてデビュー25周年を迎えた、西川貴教。9月19日の誕生日には51歳になるがかつてと変わらずバイタリティがみなぎっており、日本を代表するアーティストとして活躍を見せている。

出身地・滋賀県の知事就任待望論も飛び出すほど幅広い層に愛され、支持されている西川。彼はこれまでどんなRevolution(革命)を起こしてきたのか。そのボーカル力やパフォーマンス力の高さは言わずもがな。今回は、衝撃的だったトークスキルと近年話題のその肉体から魅力を考察する。

まず、プロフィールを簡単に振り返る。1970年に滋賀県で生まれた西川。バンド活動を経て1995年5月、浅倉大介のトータルプロデュースのもと、ソロプロジェクト「T.M.Revolution」として始動(プロジェクト名の由来はTakanori Makes Revolution)。

1996年5月に1stシングル『独裁−monopolize−』でメジャーデビュー。1997年7月には5枚目のシングル『HIGH PRESSURE』で初のオリコンベストテン入りを果たし、同年10月のシングル『WHITE BREATH』はミリオンセラーを記録。同年『NHK紅白歌合戦』に初出場。2008年10月には滋賀県初の「滋賀ふるさと観光大使」に任命され、2009年9月に滋賀県初の大型野外フェス『イナズマロックフェス2009』を企画。2016年にはデビュー20周年事業として株式會社突風を設立。2020年10月、滋賀県文化功労賞を受賞した。

ダウンタウンとの衝撃的な初カラミ

西川が巻き起こした大きな革命のひとつは、なんといってもバラエティ番組に出演した際の立ち回りだろう。

1990年代前半までの音楽番組は、演奏の合間にミュージシャンが司会者とやりとりし、ふとしたタイミングでおもしろい発言が飛び出すものだった。だがそれをガラッと変えたのが、1994年にスタートした『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)である。

フリートークコーナーを中心に設けた同番組は、司会者のダウンタウンがお笑い芸人と接するような感覚でミュージシャンたちに掛け合い、音楽面以外の魅力も引き出していった。それでも基本的には、ダウンタウンがミュージシャンたちから笑いを引き出す構図だった。しかし西川は大きく違った。彼は番組出演時、いつもダウンタウンを食わんとする勢いでお喋りキャラを全面に押し出した。自分からアグレッシブに笑いをとりにいったのだ。

2020年9月18日にオンエアされた『アナザースカイII』(日本テレビ系)に西川が出演した際、司会の今田耕司も「なんやこの喋れるアーティストは」と『HEY!HEY!HEY!』を観て驚いたと言い、西川は「(自分のスタッフから)アーティストとして真っ当に売り出そうとしていたのに、何をしてくれたんだと怒られました」と振り返った。

それくらい西川のトークは印象的だった。同番組への初登場は1997年1月。新人紹介コーナー「だれやねん」に浅倉大介と登場した西川は、可愛らしいキャラクターのように見えたが、松本人志から唐突に「弾けまくってますね」と振られると、「巨乳です」と腕で胸を挟んだ。さらに松本から「いきましょう、スクランブルで」と脈絡がないエールを送られると「トリプル!」と返し、松本の「巻き返し、巻き返し」「グリン、グリン」には「巻き込み、巻き込み」「ローリン、ローリン」と話のすべてに乗っかった。

両者の間髪をいれないやりとりは、浜田雅功が「(松本と西川が)新しいコンビみたいに見えてきた」と称したほど。その衝撃的な『HEY!HEY!HEY!』デビューは、今なお鮮烈な記憶として残っている。

ビジュアル系全盛の時代に関西弁丸出しで喋りまくる

同年5月、2度目の出演時には浜田雅功から「こいつ、ひとりなのにT.M.Revolution(と名乗っている)」とからかわれ、名字が西川であることが明らかになり「なんやコイツ、西川って言うんか」とツッコまれると、「そうや、西川ヤスヒロの息子や! なんか文句あんのかいな」とまくし立てて爆笑させた。

当時はビジュアル系が大流行し、格好良くて美しい佇まいと非現実的なイメージで打ち出される男性ミュージシャンがたくさんいたなか、関西弁丸出しで喋りまくり、父親の名前までオープンにし、下ネタにも臆さず、ダウンタウンから胸を触られたら「なんで乳を揉むんですか。いや、もっと揉んでください」と一歩も引かない西川の姿勢は異質で、ミュージシャンと芸人のハイブリッドなおもしろさを放っていた。しかも番組ではダウンタウンとタメ口で話し、時には喧嘩腰になるなど、「対ダウンタウン」というお笑いのスタイルとしても、西川の攻防は見事だった。

特に斬新に感じたのが関西弁。書籍『この声の向こうに 初めて語られる西川貴教の半生―魂の記憶』(1999年/シンコーミュージック)内で、対談相手・浅倉大介から「西川君的にけっこう気にしてたよね。ほんとに喋っちゃっていいのかな?って」と問いかけられ、西川は「要は関西の出身で、東京に出てくる時に言葉の壁みたいなものがあるのかな?なんて」と染み付いた関西弁への不安があったことを語っていた。

一方で浅倉は「それまでチャートに出てる人で関西弁で笑わせる人っていなかったと思うんですよ、ヴォーカリストで。男性にしても女性にしても、やっぱり関西弁となると『笑ってる場合ですよ!』とか」と1980年代前半にB&B、明石家さんま、紳助・竜介ら関西芸人が出演していた番組名を挙げ、「噺家さんとかになっちゃうんですけど、そこに関西弁で喋って笑わせるヴォーカリストってたぶん西川君が初めてで、そのあとだよね、どんどん出てきたのは。そういった意味じゃ画期的で」と西川が先駆者であると話した。

書籍『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPよ永遠(とわ)に』(1998年/フジテレビ出版)の西川の紹介ページでは、「みんなを唖然とさせたのはあのふてぶてしくも絶妙な、独特の関西弁のしゃべりだろう。歌番組のトークでは向かうところ敵なし! 当番組でも強烈なしゃべくりは遺憾なく発揮され、あきれ果てたダウンタウンをよそに日本中が彼にシビレたのだった」と絶賛されている。

1990年代中頃以降、音楽番組はバラエティ化が進み、歌って踊るだけではなく喋りも達者なミュージシャンが重宝されたが、西川は間違いなくそういったムーブメントを生み出したひとりである。

西川貴教が身体を鍛え上げているワケ

西川は身体的にも進化を遂げ続けている。20年以上のトレーニングででき上がった肉体美でも話題を集めるようになった。2020年1月に出演した『みんなで筋肉体操』(NHK)の取材会では、同番組の看板的存在・武田真治が西川のボディを見て「(番組の)センターを取られるかも」と危機感を口にしたほど。同年12月には「MODEL JAPAN GOLD CLASS日本大会」で優勝し、「ベストボディ・ジャパン2021」の日本代表にも選出されるなど実績も残している。

西川は体づくりにおいてストイックな姿勢を貫いている。書籍『おしゃべりな筋肉 心のワークアウト7メソッド』(2017年/新潮社)でも、「派手に飲み歩いたり遊んでいるわけでもない。自由な時間があればトレーニングを優先するし、コンディションに影響しそうだからと遊びや飲みの誘いを断りがち」と私生活も筋トレ中心。

それにしてもなぜ西川はトレーニングに没頭するのか。理由のひとつは、万全の体調をキープして最高のパフォーマンスを見せるためだ。デビュー当初はどちらかというと人よりも華奢な体型で、奇抜な衣装を披露した『HOT LIMIT』(1999年)のときも、あらわになっていた腕、太ももは細身だった。

線は細いが体は強い方だったそうで、大病もなかったという。それでも20代半ばからずっと多忙な西川にとって、健康管理はもっとも気にするところだった。書籍『T.M.Revolution T.M.R大事典』(1998年/ソニー・マガジンズ)では、「僕ひとりの体じゃないんだっていう自覚はすごく強いよ。もしも倒れたらどれだけ多くの人に迷惑や心配をかけるか……。だから、健康管理に関しては人一倍気を使ってる」と体調への意識が高かったそうだ。

西川は、T.M.Revolutionを始める前のバンド時代、活動が停滞したことで「誰も自分のことを必要としていないのではないか、自分には価値がないのではないか」という気持ちに襲われていた。その反動として長年、ワーカホリック状態が続いているという。アーティストとしてのスイッチがずっとオンのまま走り続けている西川にとって、休養は不安要素でしかない。休まないためには身体をより頑丈にしなければならない。西川の肉体の進化をたどると、自分に関わってくれる人たちへの想いの深さ、仕事に対する情熱、「休む」ということへの恐れがあるのではないか。

一方で西川は、「現実逃避」が鍛えているワケでもあると話している。書籍『おしゃべりな筋肉』では、「トレーニング中は無になれる」とし、「自分の肉体の限界に挑戦して追い込んでいる間は、「明日のことも来週のことも考えなくていい……」って、もはや現実逃避」と述べている。これもやはり長年の忙しさからくるものなのだろう。

華奢な体へのコンプレックスも肉体改造の要因となったのではないか。『T.M.Revolution T.M.R大事典』では、「子供のころはもう少し男らしい体型や体格になりたいと思ってた」と悩みがあったと記している。彼は現実から目をそらさずにしっかり向き合い、それが自分らしさであるとポジティブにとらえた上で、「コンプレックスとの闘い」に臨んだ。コンプレックスを克服するためにはハードで苦しいトレーニングを乗り越えなくてはならない。弛まぬ努力とメンタリティが、50代とは思えない驚異的な肉体へと結びついている。

西川は尊厳をもって肉体を作り上げている。だからこそ、マッチョ化に対し一部から「どこを目指しているのか」と嘲笑われたとき、Twitterで「ガタガタ言いたいならこの体か、これ以上になってから言ってくれ」と苦言を呈したのだ。

『イナズマロックフェス』中止…それでも西川貴教は前進する

西川は2021年8月22日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止となった『イナズマロックフェス』の記者会見に出席。悔しさをにじませながら、それでも気丈に記者の質問にこたえていった。そして「まだまだこれから先、このイベントを5年、10年と続けていき、滋賀県民のみなさまとより大きなものに変えていくため、いま決断をしました」と、未来へと眼差しを向けた。

同フェスはこれまでも台風や落雷の影響でイベントが中止となるなど、さまざまな困難に直面してきた。決して順風満帆とはいえない。それでも西川は、関係者と一緒に前へ進み続けた。そもそもT.M.Revolutionは、西川の個人プロジェクトではない。関わるすべての人たちによって成り立っているプロジェクトである。西川はスタッフ、ファンのことも「T.M.Revolutionのメンバー」と言い続けてきた。『T.M.Revolution T.M.R大事典』で西川はこのように語っている。

「みんなで何かひとつ大きなことをやってみようよ、音楽が持ってる力って、みんなが考えてる以上にものすごい力があるんだよっていう……、小さなつながりがみんなの力と音楽の力でどんどん大きくなっていく。これって、楽しいじゃない?」

革命とは、現在だけではなく未来を発展させるためにおこなうものでもある。西川の活動も、時を超えてちゃんと先々にまで影響を与えてきた。2021年4月にリリースした楽曲『Eden through the rough』(作詞:Spirit Garden/作曲:藤永龍太郎(Elements Garden))では、<全て賭けて叶うまで挑み続けろ!>とパワフルに訴えかけた。その歌詞の通り、西川は同じ場所で立ち止まることは決してないだろう。次はどんなRevolutionで楽しませてくれるのか。これからも西川貴教の活動に注目したい。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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