伝説のBAR「ボルドー」、八十九年の歴史に幕

「ボルドー」の一階、そのまま博物館と表現して酔いだろう (撮影:南條良明)

ボルドー…それは東京・銀座でもっとも古いBARのひとつ。そんな老舗がこの12月、ひっそりとその灯を消そうとしている。

本当にこの「ボルドー」が消えゆくのか… (撮影:南條良明)
本当にこの「ボルドー」が消えゆくのか… (撮影:南條良明)

昭和初期から平成の今日に至るまで、ボルドーは一軒家として銀座八丁目にてその威風を誇示して来た。昼間の銀座にしか縁のない者は、蔦のかかる古びた洋館を横目に足早に通り過ぎるだけ。BARに興味のない者は18時になると、うっすらと点る「Bourdoux」のサインを目にし「なんだろう」と訝しがるだけ。そこが歴史あるBARだと知っているのは、銀座界隈に縁があるか、BAR好きのどちらかに限られてしまうのだろうか。だが、その秘密の居城を知る者たちは、自身が知るかつての昭和の匂いを求め扉を開き、BARの価値を新たに知った猛者は歴史の重みを嗅ぎ付けやって来る。

ボルドーは1927年(昭和2年)、宮大工の手により建てられた木造石造りの一軒家BARである。地元消防署によると1925年(大正14年)に建築の届けが出されていると言う。開業当時は、まだまだ物珍しかったボルドー・ワインをグラスで愉しむことができる一軒だったという説もある。当時流行りだったビアホールと一線を画すため、ビールさえ置かなかったとも聞く。今となっては誰もその真偽のほどを確認しようがない。

落ち着きと畏怖が同居するカウンター (撮影:南條良明)
落ち着きと畏怖が同居するカウンター (撮影:南條良明)

数年に一度「ついに閉店」という噂が流れ、物見遊山の客が泡喰って訪れる事件も起こる。だからこそ、今回「閉店らしい」という話題が耳に飛び込んで来た際も「いつも噂に過ぎない」と少々高をくくっていた。だが、閉店の知らせが印刷された挨拶状が各所に届くようになると、そうも言えなくなった。ある日、この洋館の前を通りかかったので、足を踏み入れカウンターで一杯…。「こんな話を聞いたのですが…」と訊ねると、まさに青天の霹靂である。「噂」だけではなかった。

衝撃をもたらした挨拶状
衝撃をもたらした挨拶状

重い扉を開け、歴史の堆積した空間に足を踏み入れると、「ここでいつまで酒が呑めるだろう」と畏怖を感じてしまうのも致し方ない。テーブルでマティーニを呑んでいると、自身の小さな人生も、その堆肥した時の重みと比べると、それはそれで「幸せだ」と思える不思議な一軒。女性給仕が一緒してくれるBARも、いまや滅多にない。そんな店の終わりは、永遠にやって来ない…とさえ思われた。

無作為に置かれたように見えるカウンター、大きく設えた暖炉、当時は奇をてらったように見えなかったであろう階段、柱のひとつひとつ、調度品それぞれ、どこからどう眺めても、文化的遺産として差し支えないだろう。歴史的建築物として、文化庁かどこかがしっかり保存すべきたとは思うものの、今のところ、そのような予定はないとのこと。この建築物が、本当にこの世から消え去ってしまうのだとすると、日本にとって文化的、歴史的損失だ。

これまで散々書き連ねられて来たが、先の大戦中まで連合艦隊司令官・山本五十六の行きつけとして知られており、二階の奥のテーブルに腰掛けては、太平洋戦線の動きや、日本の将来の行く末が論じられたとされる。彼が案じていた日本は残り、歴史の生き証人…彼の行きつけは消えゆかんとしている。

山本五十六がよく足を踏み入れたという二階 (撮影:南條良明)
山本五十六がよく足を踏み入れたという二階 (撮影:南條良明)

来年創業90周年を迎えるはずだった。ひょっとしたら、日本では初めてとなるかもしれない「100年BAR」までもう10年。そんな矢先だけに、いまだ悪い夢なのではないかと信じられない気分でいる。

歴史は12月22日をもって閉じる。