「声に想いを乗せて」~実況・下田恒幸アナウンサー

その落ち着いた話し口でサッカーファンの支持を集める下田アナは、年間200試合前後のサッカー中継を担当する実況の名手と言われ、個人的にも幼い頃からテレビ中継を通してお世話になっていた憧れの方です。テレビのサッカー中継を何倍にも面白くしてくれる下田氏のものごとへの造詣の深さはどこからくるものなのでしょうか。その半生、気になって仕方ありません。

玉乃 下田さん、お忙しいところありがとうございます。

いつも横並びで実況解説をしておりますので、こうやって対面すると恥ずかしいです。なんか日頃の謝罪の場みたいな気分です。

下田 え、どうして?(笑)

僕と玉乃くんの実況と解説のやりとりをオモシロイと思ってくれている人もいるけれど、「あの実況、ひどいですね。」って言うテレビのディレクターもいるみたいだよ。

玉乃 それこそ、どうしてですか?

下田 要するに、玉乃くんのコメントを無視しているって思うみたい。ただあれは無視じゃなくて玉乃くんが拾いようのない事を言うから拾わないだけなんだけれどね(笑)。

玉乃 本当にすみません。やっぱりご迷惑おかけしているんですね。

下田 迷惑ではないけど「もうちょっと拾ってあげなよ。」って感じる人もいるんだね。まぁ、僕の言い分としては「あくまで試合の実況をやっているのだから、あれは拾えない。」と。拾った方が、試合の中継が壊れてしまうからね。拾った方が中継的にメリットあると思えば当然拾うし、そうじゃないときは拾わないよということ。

玉乃 僕は光栄でしかないです。下田さんとご一緒できて。僕を嫌いにならないで下さい。

「怒り新党」後の人生

玉乃 「怒り新党」で取り上げられたとき(編集部注/テレビ朝日で放送されるトークバラエティ番組で下田氏と玉乃が「絶妙な実況解説コンビ」としてとりあげられた。)、身内の人にこぞって言われました。「下田さんにちゃんとお中元送りなさい」って。

下田 ははははは。送られてきたことないなぁ。あれ(「怒り新党」)でたときは、僕にも知り合いから連絡あったけれど、別にそれほど反応があったわけではないな。玉乃くんの方が色々広がったでしょ。

玉乃 そうですね。反響はものすごかったです。あのとき僕は別の仕事もしていて、普段僕が解説業をやっていることを知らない取引先もいましたからね。相当にびっくりしていました。夢にも思っていなかったのでしょうね。普段強張った顔で交渉していた人が、もう席に着くなり終始ニヤニヤみたいな…(笑)。

下田 少しギャラ分けなさい。

玉乃 別にギャラが上がったわけではないですけれど…。

下田・玉乃 はははは。

玉乃 僕は下田さんの中継の「声」で育ってきましたから…それこそ選手のときからずっと。下田さんが喋ると何かこう、ビッグマッチ感がでるというか。チャンピオンズリーグの予選でも、なぜか、ものすごく大事な試合のように聞こえてくるんです。見逃せなくなるというか。なんでだろう?と。そんな「声」の下田さん、エリートで帰国子女の生い立ちに迫りたいと思います。

異国の地で「実況」と出会う

下田 別にエリートじゃないよ。帰国子女っていわれても、父親の転勤の都合で小学校3年から中学1年までの4年間、サンパウロに住んでいただけだから。当時を振り返ると、ポルトガル語をもう少し勉強しておけばよかったかな。日本人学校に行っていたからその機会には恵まれなかったけれど。でもブラジルでサッカーに出会ってね。だからこそ、今がある。とにかくサッカーだから、みんな。当時の日本はスポーツ=野球の時代で、父が巨人ファンだったから、僕も巨人ファンで野球好きの少年だったですよ。で、ブラジルに住んでからサッカー中継を見たり、聴いたりするようになったわけ。

玉乃 そのときを振り返って、日本の実況解説とブラジルの実況解説に違いはありましたか?

下田 それまでは特にスポーツ実況に対して意識はなかったけれど、ブラジルでサッカー中継を見たり、ラジオで聞いたりするようになってから、これはオモシロい!と思うようになり…そこで初めて「実況」というものを意識するようになったのかな。たぶん、小学校4年のとき。とにかくインパクトがあって。ずぅっと喋っているでしょ、向こうの実況って。リズムが良くてね。ポルトガル語が理解できなくても、選手の名前と、プレーの種類、パスとかドリブルとか、いくつかの知っている単語をつないでいくと、どの辺で何が起こっているのかが頭に浮かんでくるんだよね。それがすごく魅力的で。実況を真似するクラスメートがいたぐらい。学校でも凄く人気があったよね。ブラジルの実況は、とにかくよく喋る!ただ、あの実況を日本でやったら相当叩かれると思うけれど。

玉乃 サッカーの本場ブラジルで「実況」との出会いがあったわけですね。中学で日本に帰ってきてからはどのような歩みだったのでしょうか?

下田 普通につくし野中学に通って、普通に高校受験して都立町田高校に入学して、運よく慶應大学に入り、で、卒業して運よく仙台放送に入るという、ごく平凡な、山も谷もない人生ですよ。サッカーのプレー経験は…運動神経もなかったし、その頃はメンタルもすごく弱くてすぐ諦めるタイプの人間だったから高校1年生でやめちゃいました。

玉乃 想像つかないです。初志貫徹で職人気質のファイター系かと思っていました(笑)。帰国されて、好きだったブラジルの実況と離れちゃったわけですよね?

下田 そう。で、今度は野球の中継を聞くようになるわけ。親もテレビばかりは見させてくれないので、部屋で勉強しながらラジオの野球中継を聞いていたの。当時の日本にはサッカーのプロリーグがあったわけではなく、当然中継もないから野球だよね。で、ブラジルで実況の面白さを感じていたから「実況目線」で聞くようになって。小5の時の担任から「君は、よく喋るから将来アナウンサーになったら?」って言われていたこともあって、「実況」ってのは、いつも意識していたと思う。

玉乃 小学生のときにご自身の将来の職業を決めていたんですね!自立するのが早すぎです。それはその業界でトップの人になりますよね!

下田 玉乃くんが、小さい頃からサッカー選手になりたいと思うのと同じ感覚じゃないかな。それが「実況」だったというだけで…。

玉乃 すごく狭き門なのでしょうか、アナウンサーって?

下田 その年の新卒で採用されるアナウンサーは、基本的に1人、2人だし、地方局でも多くの応募があるから、狭き門なのかな。採用されるには、滑舌の問題もあるし、喋り方、声質もあるから、誰でも、というわけにはいかないとは思います。僕は運よく仙台放送に入社し、15年半、仕事をさせてもらいましたけど、ここでアナウンサーとしての自分の骨格を作る事ができたのは確か。いい中継するためにどういう準備が必要かとか、競技との向き合い方とか。色々なスポーツ中継にもチャレンジさせてもらいましたし。

玉乃 スポーツのジャンルに関係なく楽しめるものですか?競技によって好き嫌いが出て、実況にも影響してしまいそうな気がしますが。

下田 僕は何をやっても楽しいと思っちゃうタイプ。例えば、同じサッカーでも、国が違ったり、カテゴリーが違ったり、同じ競技の中でも好みとかいろいろあるでしょ。でも、僕にとっては、それはあまり関係ない。やればやるだけ全部好きになっちゃう。「実況」という仕事を通じてね。バスケだって、バレーだって、ドッジボールだって(笑)。

玉乃 「実況」という仕事を通じて様々なジャンルのスポーツに関わってこられたんですね。僕は逆かと勝手に想像していました。サッカーが好きだからサッカー中継の実況をやられていると。

フリーアナウンサーの世界

玉乃 アナウンサーの方が独立するとき、もうタレント並みか、それ以上の存在になっているイメージです。フリーで仕事がくるってすごいことですよね?

下田 僕はそんな華やかなイメージのフリーへの転身じゃないですよ。別に誘われて東京に出てきた訳ではないから。

じゃあ、なぜフリーになったかというと、「まだまだ自分に伸びシロがたくさんあるな」って思ったから。入社15年目に古巣がJスポーツさんの下請けでJ2中継を制作したんだけれど、そこで年に十数試合サッカー実況出来たわけ。実は、ローカル局って年に1回くらいしかサッカー中継が出来ないのが現実なの、色々な事情で。で、年に十数回やってみると、見えるものや分かるものが増えてきて、なんかこう積み重ねて続けることで凄く成長できるって感覚が持てたのね。15年間、実況の仕事を積んできたけれど、自分の実況って、まだまだ全然伸びる余地があるんじゃんと。ただ、翌年、様々な社内事情があって、その下請けの仕事を局が断っちゃったわけ。そうなると、マイクに向き合ってサッカー実況する機会が大幅に減ってしまうでしょ。つまり、自分が成長していく場もなくなるってことだなって思ったの。

もちろんフリーになるのは、もの凄くリスクあるのは百も承知。ローカル局だったけれど安定して非常にいい給料を貰っていたし。でも、せっかくアナウンサーになれた訳だし、実況者としての自分にはそれなりの手応えはあったし、人生1回しかないんだから、だったら自分の実況者としての可能性をとことん突き詰めたほうが人生悔いはないかなと。そんな思いが湧いてきたんでフリーになるという選択をしたわけです。

おかげで今でもいつでも新人と一緒です。プロデューサーが変わりました、という理由で、明日にでも仕事がゼロになる可能性だってあるし、放映権元が変わったり、キャスティング側が変わったりすれば、価値観も変わるから、いつでもゼロになってしまう立場。だからいつになっても実績なんか無いに等しいと思います、フリーの場合は。局にいれば仕事が少なくなっても、異動になっても給料は必ず貰えます。だけどフリーはいつも背水の陣です。

もしアナウンサーになりたいと思っている方がいらっしゃったら、一度は放送局に入るべき。ディレクターや技術の人たちがどう大変とか、理解すること大切ですからね。制作スタッフ全員で一つの番組を作っているわけで、そういうことを勉強する意味でも局に入ることはマストだと思います。しかも、できれば、最低でも10年くらいは局で仕事を続けた方がいい。番組作りやスポーツ中継の全体像を把握するために、そのくらい、時間がかかるんじゃないかなぁと。4、5年では足りない気はします。

年間200試合前後の中継を担当

玉乃 石の上にも10年なんですね、アナウンサーの世界は。

ちなみに現在は年間何試合ぐらいの試合を担当されているのでしょうか?

下田 トータルで200試合前後担当させてもらっていますかね。大変そうに思われるかもしれませんが、常に中継をしている方が、より精度は上がっていきます。ただ、自分の時間はとにかくないですね。家でひたすら試合を見ていますので。自分の小さな書斎にこもって。時に玉乃くんに突っ込みいれつつ。「何じゃ、そりゃちょっと無責任だろうよ。」とか。「お!今のは中々面白い」とか…(笑)。

一同 爆笑

玉乃 そんなにこもっていて、家庭は大丈夫ですか?

下田 睡眠時間も1日5時間程度の状況ですし、なかなか大丈夫ではないとは思います(笑)。

玉乃 そんな多忙を極めている中、僕との中継…。なんか申し訳ない気持ちになってきました。急に慌てて褒め讃えるわけではないのですが、

下田さんの中継の冒頭でのポエム?ありがたいお言葉?…あれがいつも楽しみで大好きです。

「伝えたい想い」

下田 あ、それは「イントロ」の事だね。他の局は知らないけど自分の周辺は「イントロ」って言い方をしています。今は、「イントロ」で毎回、何か謳っている訳ではないけれど、若い頃は中継の数自体が少ないので前の日にしっかり考えて臨んでいたよね。若い頃って、カッコつけたいでしょ(笑)。今は、放送の10~15分前に殴り書きする程度。ただ、「伝えたい想い」が明確にあることがある時、例えばワールドカップで代表が惨敗した直後のJの中継とか。そういう時は、ある程度、準備して練って考えますし、そういう時はだいたい長い謳い文句になるので、「長くなるけど大丈夫?」と放送直前にプロデューサーに確認する事もあります。Jスポーツで言うと、ツッチー(土屋プロデューサー)に最終確認して放送に臨んだり。ただ、練って作ったけれど自分の中で「これ、やりすぎ」って感じた時は放送の直前に準備したものを全部捨てて、至って普通の「イントロ」で入る事もあります。

玉乃 そうだったんですね。次の試合も一層楽しみになってきました。どんなイントロが聞けるのか。

ところで、下田さんはアナウンサーとして70歳、80歳まで続けられる予定ですか?

下田 できるわけない(笑)。引退があります、実況の世界は。実況アナってアスリートと同じ類の職種だから。「実況は目で見て、脳を通してから喋っていたら間に合わない。目で見て、そのまま言葉にする瞬発力が必要。良い実況アナになる素材かどうかは目と口が繋がってる瞬発力があるかどうか次第。」って実況アナの上司から言われた事があったけど、ホントその通り。目で見たものがそのまま口に出てこないようだと実況としては成立しないよね。この部分はいずれ年齢的に衰えてきます。だから引退はあるのですよ。

僕ももうすぐ50ですから、これからは衰えと向き合う事になるんだな、否が応にも。そこはサッカー選手と同じなんじゃないかな。フリーの実況アナなんて、衰えた後の保証も、辞めた後の保証も、なんもない厳しい世界。なので、日常をコツコツ積み重ねて、その日暮らしで一生懸命生きていくしかない、せつないもんですよ。

下田恒幸(しもだ・つねゆき)プロフィール

父親の仕事の都合で、幼少期をブラジルで過ごし、「実況」の世界と出会う。帰国後は慶應義塾大学経済学部を卒業後、1990年に仙台放送へ入社。音楽番組やスポーツ中継を多く担当し、2005年仙台放送を退社しフリーアナウンサーに転身。現在はCS放送中心に活動中のサッカー中継のエキスパート。10、11、15年ヨーロッパリーグ決勝、12、16年チャンピオンズリーグ決勝の現地実況を担当。歴史的な「ミラノダービー日本人対決」も現地サンシーロの放送席から実況した。10年ワールドカップの日本対カメルーン戦での「イントロ」は密かに評価が高い。また、モータースポーツ実況も定評があり、多くのファンから高く支持されている。