「なでしこのエースが選ぶ困難な道」~ブンデス100試合という通過点

「海外組」という言葉が、サッカー界で頻繁に使われるようになって久しいですが、自ら戦う環境を求めて海を渡る姿は、「国を代表する」という自負に満ち溢れたものでした。

22歳で単身渡欧

玉乃 今日は宜しくお願いします。これまで、あまり直接関わることはなかったですけれど、小さい頃からヴェルディで、同じグランドで育った者同士、今日は最高に楽しみにしておりました。

永里 宜しくお願いします。

玉乃 今ドイツ在住ですよね。冷静に考えたら凄いことですよね、フランクフルトに住んでいるって。

永里 何が凄いかはよくわからないですけれど、海外が今は好きなので、向こうでずっとチャレンジしていたいという気持ちはあります。

玉乃 こんなに急激に女子サッカーが盛り上がったのって2011年のドイツでのワールドカップ優勝ですよね? 僕はその時にカナダに住んでいましたが、向こうでも凄い盛り上がりでした。当然に日本では爆発的ななでしこブームになっていたみたいで。

永里 自分達が変わったというより、周りが劇的に変わったっていうだけで、環境自体に大きな変化はないです。ただ周りの期待度や注目度は、明らかに優勝してから変わりましたよね。

玉乃 優勝する前のなでしこリーグもプロとしての活動だったのでしょうか?

永里 プロ選手っていうのは各チームに3、4人でした。その他はプロではなかったです。今は外国籍の選手もおり、スポンサードしてくれる企業さんも増えていますので、サッカーに集中できる環境に少しずつですが近づいていると思います。

玉乃 あのワールドカップの優勝フィーバーがなければ、未だにテレビの露出もほとんどない状況だったかもしれないと思うのですが。なんと言ってもワールドカップ優勝ですから。何が起こっていきなりそうなったのでしょうか?優勝って当たり前ながらマグレでは出来るものではないと思いますので。

永里 私が思うに、その時、東日本大震災があって、やっぱり「日本のために」っていう思いが強くて、「勝とう!」ではなくて、「絶対に負けない!」っていう精神が凄い強く働きました。

玉乃 優勝後もその強さはキープされていますよね。急に大会前の感じに戻ってしまうってことは無かったですから。あの大会で急にチームとして覚醒したようなイメージを持っています。

永里 一度勝ってしまったので、自分達もそれなりのプレッシャーや責任感は大会前より格段に持つようになりましたし、それによって自分達もレベルアップして絶対に勝たなくてはいけないっていう意識が、前よりも上がったからそこまで大敗するっていうようなことがなくなったのかなっていうのは感じます。そこから海外にチャレンジする選手も増えていきましたし。

「自分で切り開くしか道はなかったんです。」

玉乃 大会前から海外にいたのは永里さんと安藤選手でしたね。それはどういったキッカケで行ったのでしょうか? まだ日本の女子サッカーが世界から注目される前だったのにも関わらず。

永里 私の場合は、北京オリンピックが終わってから、このまま国内リーグでやっていてもこれ以上自分自身成長できないのではないかと危機感がありまして。で、ヨーロッパに行きたいってなった時に、ドイツがリーグとして安定しているし、レベルも高かったので、自分で自分自身のプレーを編集して、いくつかチームに送って、興味を持ってくれたところに練習参加して、契約したという感じです。それまで日本のサッカーは、そこまで強くなかったですので、自分で切り開くしか道はなかったんです。

後編へ続く

永里 優季(ながさと・ゆうき)

神奈川県厚木市出身の女子プロサッカー選手。サッカー選手である、実兄永里源気の影響で、小学1年生からサッカーを始め、中学2年時に日テレ・ベレーザに登録。翌年U18ユース選手権を制し、大会最優秀選手となり、2004年日本女子代表に選出。2011年のFIFA女子ワールドカップではエースとして日本の優勝に貢献。

2010年、22歳のときに活躍の場を欧州に求め、ドイツ女子ブンデスリーガの1.FFCトゥルビネポツダムへ加入。2013年7月チェルシーLFC(イングランド)、2015年1月VfLヴォルフスブルグ、同年8月1.FFCフランクフルト(ドイツブンデスリーガ)とチームを移り、各チームでエースとして活躍。海外で活躍する女子プロサッカーの第一人者的存在。