「チャンピオンズリーグ放映権を扱う初のアジア人」~岡部恭英氏の数奇な人生(後編)

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いくつかのエクスターナルファクターを経て、日本を飛び出した岡部氏はヨーロッパへ。一時は二度と見たくないとさえ思ったサッカーが常に彼の近くにあったのは、氏が気づいたようにサッカーが超グローバルなコンテンツだったからなのでしょう。2,000を超える国や地域で競技されるスポーツに導かれるように、岡部氏は熱いパッションでサッカービジネスに切り込んでいきます。

最高のパートナーと挑んだ、ヨーロッパサッカー最先端への道

玉乃 いよいよここから「TEAM MARKETING AG」へ入社するまでの軌跡が語られるわけですね。初公開ですかね。

岡部 そう。サッカービジネスに身を投じようと決意して…そのためにはサッカーのメッカ、中心地に行かなければならないとすぐに思って、そのためにはどうすればいいのかと考えたわけ。当時そんな奴はアジア人ではいないから、売り込まないとならないよね、自分を。まず欧州では誰でも知っているところでMBAとらないといけないなと考えて、スタンフォードとかハーバードとか、名門に通っていた方々に相談にいったわけ。その相談した人の一人がのちに妻になるんだけれど(笑)。

玉乃 おお!!なんという綺麗なストーリー。あまりによすぎる話だったら掲載時にはカットさせていただきます(笑)。

岡部 彼女、慶應のSFC(湘南藤沢キャンパス)からスタンフォード、賢いよね。で、僕に言うんだ。「駐在員も悪くないけれど、好きなことを仕事にしたほうが…」って。そんな素晴らしい夢が見つかったなら絶対やったほうがよいと。異質を受け入れるアメリカのメンタリティを持っていたわけだね。で、ものすごくサポートしてくれて。そのサポートのおかげもあって、僕の意志も固まってきて…ケンブリッジを受験することにした。出会って1年くらいで結婚したんじゃないかな。これで僕は最高のパートナーを手に入れた。

MBA授業料は年間500万円程度かかるんだけれど、当時勤めていた会社が出してくれるって言ってくれたんだよね。MBA取ったら戻ってきてもよいという条件もくれて。ところが、ここで妻の金言があるわけ。「絶対に断れ!」って。「これから進もうとする道は前人未到の大変な道だ。だからすべての退路を断っていきなさい!」って。会社辞めて…無収入。さらにそう言った妻も仕事をやめてついてきてくれて…二人で無収入。

ここからが彼女のスゴイところなんだけれど、気づいたら、僕の通っていた学校の助手になっていたわけ。僕のクラスの教授の助手しているんだよ。

玉乃 はあああああああああああああああ!?

岡部 そういうリアクションになるよね(笑)。

玉乃 同い年ですか?

岡部 僕の2つ下。

玉乃 ええええええええええ!! ということは、当時29歳?

岡部 ははは。ケンブリッジで助手。スゴイでしょ。たいしたもんだよ(笑)。妻に食べさせてもらいながら勉強していた(笑)。パートナーは超重要!今偉そうにヨーロッパサッカーの最先端にいます云々だけれど、すべては妻のおかげ。

玉乃 ハンパじゃない!この取材をそろそろ切り上げて、奥さまへの取材に変更してもよろしいですか?

岡部 ははははは。それはねえ、今の会社の最終面接のときにも社長に言われた。「君の奥さまと契約すべきだった」(笑)

それでもね、ヨーロッパサッカーの最先端で働くにはケンブリッジの卒業証書なんてなんの意味を持たないわけ。だってほとんどの向こうのサッカー人、すなわちプロ選手になれなかった人、サッカー好きな人、あらゆる人が夢見る職業だから。FIFA、UEFAやレアルマドリー、FCバルセロナにいきなり訳のわからない日本人が入れるかっていったら、そりゃ入れないよね。どんな名門校のカリキュラムを経たって、欧州サッカー界の真中にアジア人はまず入れない。ということは事前のリサーチで分かっていたけれどね。普通に行ってもアポすらとれない。

売り込まなきゃいけないのにアポすらとれない…妻と作戦会議。結局、修士論文用のインタビューという名目で、会社やクラブを訪問したんだよね。アポが取れたらチャンス到来、とにかくそのクラブやマーケティング会社のことを事前に徹底的に調べて、修士論文用のインタビューをさせてもらうだけのはずなのに、「貴社はもっとこういうふうに戦略を立ててビジネス展開していくべきだ」とプレゼンするわけですよ。MBA風に説明するわけ。「自分はあなたたちにこういう貢献ができます」「ビジネスの世界はギブアンドテイクだ。修士論文用のインタビューを答えてくれた代わりに、僕なりに分析してきたものから、あなたたちにアドバイスをさせて下さい」と。だから5分だけくれって言って…5分が20分になり、1時間になり。

そういうことをやっていたら3つのクラブからインターンのオファーが来たわけ。「お前、面白いな。」って。それがプレミアリーグのエバートンとセリエAのインテルとユベントス。当時プレミアリーグのビジネスが一番進んでいると僕なりのリサーチ結果があったから、エバートンに行った。もちろんその選択も妻に相談して決断したんだけれど(笑)。

玉乃・岡部 ははははは。

玉乃 いやぁ、何かとんでもなく壮絶なことをしてきていますよね。岡部さんの飾らない口調からだと、ついつい簡単なことのように思えてしまいそうですが、異次元なトライの連続だと思います。

徹底した事前準備でチャンピオンズリーグ・ビジネスへ猛烈な売り込み

岡部 それでね、エバートンにインターンで決まって。それはそれですごくよかったんだけども…。「全然、たいしたことないな」って…。

もちろん取締役クラスだとスゴイなって思うんだけれど、マネージャークラスだったら、アメリカやアジアで国際ビジネスを経験してきた僕の方がはるかにできるなって思った。インターン行きながらMBA取得して、僕も経験値が上がっていったんだろうね。このときに、次のステップはクラブではないなと思うようになったんだ。

やっぱりFIFAやUEFA。ワールドカップはFIFA、クラブ単位のトップビジネスだったらチャンピオンズリーグ(UEFA)が圧倒的一番の価値だと、ヨーロッパで生活していて思ったんだよね。「ここで、仕事がしたい!」って、調べる過程で、今働いている「TEAM MARKETING AG」と出会うことになったんだよね。

ターゲットが決まったらあとは猛烈に売り込むだけ。ここに至るまでの100を超える売り込みの経験を駆使してここでも面接までこぎつけた。例の修士論文とセットの方式ね。ここまで、散々門前払い喰らったし、いくつもの壁にぶち当たってきたから、そのときの経験値は半端ないよね。もう、慣れたもんだったよ(笑)。

事前に調査したことを1ページにまとめるんだよ。“To the Point”で相手に「うわっ」って思わせないといけないわけ。でも、考え抜いたものってすごくシンプルだからね。案の定、最初は相手にしてくれないけれど、必死に電話越しの相手に、「僕には、こういう経験があって、ああでこうでこう!」みたいな。

で、なんとかメールアドレスだけはゲットして、論文用のインタビューオファーに加え、「自分はあなたたちにこういう貢献ができます」って、レジュメ添付してメールしたの。情熱が評価されたのか、迅速な行動が奏功したのか、すぐに電話がかかってきた。また、「お前、面白いな」って。会社で放映権を扱う部門のトップがたまたまケンブリッジの出身だったんだよね。それでチャンピオンズリーグのビジネスを自分なりに分析して、自身の見解と今後の展望を持っていった。

玉乃 とんでもないバイタリティー…。

岡部 むこうが面白いと思ってくれたら採用面接まで漕ぎつけられると思っていたから事前準備を徹底的にやった。だけどさ、相手は放映権の第一線の人でしょ。難しい質問がきたら答えられるわけないじゃない。だから自分で用意した質問に自分で答えたプレゼンを用意して行ったわけ。そこで熱弁の嵐!ほかの質問をされないように。かっこよく言えばネゴシエーションタクティスね(笑)。これが報われて「きみ、面白いね」ってなり、面接の機会を得ることができた。「オッケー、きみを人事・取締役に推薦する」

玉乃 すげぇ(笑)。こういうのを嘘みたいな本当の話というのですよね。

岡部 で、いざ会うでしょ、採用担当の役員に。「フランス語とイタリア語ができるマーケッターをちょうど探していた」って言うんだよ。つまり採用枠が1つあったんだよね。チャンス到来。そこで最大限偉そうに、「フランス語とイタリア語ができる優秀な人材を探しているわけですね?オッケー。でも、今後伸びていく市場はどこだと思いますか?アジアやアメリカじゃないですか?」って言って、「それでもどうしてもイタリア語とフランス語ができる人が必要なら、やりますよ。ほら、今日本人の僕は、何語であなた方と話していますか(英語のネイティブスピーカーと対等に)?」と付け加えた。さらに「僕は、アメリカでもITやセールス&マーケティングで、アジアとアメリカを結ぶビジネスを経験してきた」と追い打ちをかけた。

玉乃 もう想像ついてきました、岡部流(笑)。

岡部 そこ(会社)に今まで規模の小さかった仕事を成長させると言って、晴れて「TEAM MARKETING AG」の一員になったんです。もちろん僕は今もフランス語とイタリア語一言もしゃべれません…。あのとき「必要」とされていたフランス語とイタリア語が話せる人材は、10年経った今やっと入社してきたけどね。

玉乃 うおおおお、痺れる!

岡部 それから10年。この会社で放映権とスポンサーシップに携わってはいるけれど、夢の第1ステップでしかないと思っている。

「場所を変える」ことが劇的な変化を生み出す

玉乃 サッカービジネス界において第一線のヨーロッパで活躍する日本人がなぜ余りいないのでしょうか?

岡部 なぜ、日本人があまりいないのか…?徹底的な準備をしていないからだと思うよ。自分のゴールに向かって徹底的にリサーチして準備をしないとね。あと、僕が持っていたような夢に向かうパッションが足りないのも原因の一つかな。僕のように最高なパートナーに出会っていないからかもしれない(笑)。

ただ言えるのは繰り返しになるけれど、本当にやりたいんだったら徹底して準備するしかないってことだと思う。それは今でも変わらないよ。僕が今いる環境だって、自分自身のバリュー(価値)が出せなくなったら即クビだからね。日本の終身雇用みたいな形態じゃないから。プロ集団の中に身を置いている以上、準備を怠ることなんてあり得ないのは、当たり前かもしれない。

玉乃 大変すみません。冒頭に申し上げたように、岡部さんのことを、ただの酔っ払いかと思っていたのですが、完全にそうではなかったみたいです。素直に謝ります(笑)。

岡部 はははは。でも本当紙一重だよ。慶應時代の友達からすると本当に笑い話だもん。誰に会っても「あの金髪・ロン毛・ピアスの、あのバカな岡部が?」って(笑)。逆に言えば、夢に向かって徹底的にやれば誰でもできるってことだよね。本田選手も岡崎選手もそうじゃない。彼らより上手い選手はいっぱいいたはずだよ。けれど、夢への徹底した準備具合がトップレベルだったということでしょう。

玉乃 最後に。みんな、一番難しいのではと考えてしまう、「夢を見つける方法」って何かありますか?これまでの会話の中にたくさんヒントがあるように思えますが。

岡部 好きなことを徹底して追求し続けること。アンテナを張り続けること。人生を変えたかったら、大前研一さんなんかも言っているけれど、会う人を変える・読む本を変える・時間の使い方を変える・お金の使い方を変える。これらを劇的に変えるのが「場所を変える」こと。

好きなことや興味をもっていることがあるとするでしょ。例えば「サッカーだ!」って発見するでしょ。だったらそのサッカーのメッカ、中心地に移っちゃえばいいんですよ。そうすれば、劇的に環境が変わって自然にドライブがかかってくるから。好きなこと以外にドライブがかかることなんてないよ。それは僕自身の経験で会得している。

やりたくもない興味のない仕事の職場で、新聞を読んでいるだけでもお給料をもらえる人生なんて全然面白くないじゃない。極東の島国の常識感だけにとらわれず、若い連中がどんどん外に出て行って欲しいと心底思っている。日本のためにもね。

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岡部恭英(おかべ やすひで)プロフィール

1972年生まれ。慶應義塾大学卒業後、東南アジア、米国で商社勤務を経て、ケンブリッジ大学でMBA取得。

2006年TEAM Marketing AGに入社し、UEFAチャンピオンズリーグの放映権販売などを手掛ける。アジア・パシフィック&中東・北アフリカ地区統括営業責任者。UEFAチャンピオンズリーグにかかわる初のアジア人として、放映権ビジネスで沸くスポーツビジネス業界で一躍「時の人」となっている。