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「テロとの戦い」20年の果てに 「アメリカは私たちを見捨てた」(写真12枚)

玉本英子アジアプレス・映像ジャーナリスト
シリア北部の米軍。後方の壁の先はトルコ領。(2019年・玉本撮影)

◆米軍撤収でトルコ軍がシリア越境攻撃

今からちょうど2年前のことだ。私の目の前で大規模な戦闘が始まった。2019年10月、シリア北東部カミシュリを取材していた時、国境を隔てた先に展開するトルコ軍が、シリア側に砲撃を加えてきたのだ。(玉本英子/アジアプレス)

米軍部隊はこの数日後、北部の国境地帯から突如、撤収。そのタイミングにあわせてトルコ軍がシリアに侵攻し、越境攻撃を開始。(シリア北部テルアビヤッド・2019年10月・撮影:玉本英子)
米軍部隊はこの数日後、北部の国境地帯から突如、撤収。そのタイミングにあわせてトルコ軍がシリアに侵攻し、越境攻撃を開始。(シリア北部テルアビヤッド・2019年10月・撮影:玉本英子)

◆シリア北東の国境地帯が戦火に

炸裂する砲弾が地面を揺らし、激しい音が響いた。標的は、シリア北部を拠点とするクルド人主導のシリア民主軍(SDF)。だが、無差別の砲撃で住民に多数の死傷者があいついだ。北東の国境地域の町は戦火に包まれ、20万人以上が避難する事態になった。

<シリア>トルコ軍によるシリア越境軍事攻撃、住民が砲撃の犠牲に

2019年10月上旬のシリア。トルコ軍とその支援を受けたシリア反体制派は、クルド主導のシリア民主軍(SDF)が展開するテルアビヤッドとラース・アル・アインに進撃し、街や村を制圧。民主軍側も反撃し、双方に死傷者が出た。(地図:アジアプレス)
2019年10月上旬のシリア。トルコ軍とその支援を受けたシリア反体制派は、クルド主導のシリア民主軍(SDF)が展開するテルアビヤッドとラース・アル・アインに進撃し、街や村を制圧。民主軍側も反撃し、双方に死傷者が出た。(地図:アジアプレス)

トルコ軍機の爆撃で、重傷を負った女性。搬送された病院で錯乱し、兄が介抱する。女性の夫は死亡した。(シリア北部ティル・ターミル・2019年10月・撮影:玉本英子)
トルコ軍機の爆撃で、重傷を負った女性。搬送された病院で錯乱し、兄が介抱する。女性の夫は死亡した。(シリア北部ティル・ターミル・2019年10月・撮影:玉本英子)

トルコ軍の攻撃が激しかった町の一つがラース・アル・アインだ。教師のジハン・アヨさん(35=当時)は、姉の結婚式で、夕刻、新郎の家族を出迎えるところだった。そこに上空から爆撃があった。一家はそのまま、町から脱出した。

「故郷も家も、未来も失った」

彼女の表情は、苦悩に満ちていた。

ラース・アル・アインから脱出してきた住民。ハサカの小学校の空き教室の仮設避難所に身を寄せていた。(シリア・ハサカ・2019年10月・撮影:玉本英子)
ラース・アル・アインから脱出してきた住民。ハサカの小学校の空き教室の仮設避難所に身を寄せていた。(シリア・ハサカ・2019年10月・撮影:玉本英子)

教師だったジハン・アヨさんはラース・アル・アインの戦闘で、家も職も失った。現在も戻ることはできない。「アメリカに翻弄された」と話す。(シリア北部ティル・ターミル・2019年10月・撮影:玉本英子)
教師だったジハン・アヨさんはラース・アル・アインの戦闘で、家も職も失った。現在も戻ることはできない。「アメリカに翻弄された」と話す。(シリア北部ティル・ターミル・2019年10月・撮影:玉本英子)

◆「ISと戦ったクルドを使い捨てにしたアメリカ」

世界各地で襲撃事件を引き起こした過激派組織イスラム国(IS)。欧米人のほか日本人も殺害された。ISと最前線で戦ってきたのが、クルド人が主体の民主軍だった。アメリカは軍事支援し、米軍部隊を派遣した。

一方、トルコは、民主軍の背後にはトルコ国内で武装闘争を続けてきたクルド労働者党(PKK)がいるとして、軍事攻撃を示唆。国境地帯に展開する米軍の存在が、トルコ軍の越境を食い止めてきた。その合意があったからこそ、民主軍は犠牲を払いながらもIS掃討戦を戦い抜いた。

世界の脅威だったISと戦ったクルド主導のシリア民主軍を「支援する」としてきたトランプ大統領(当時)。ツイッターでは民主軍と対峙するトルコを牽制していたが、突如、その方針を翻した。(シリア北部テルアビヤッド・2019年10月・撮影:坂本卓)
世界の脅威だったISと戦ったクルド主導のシリア民主軍を「支援する」としてきたトランプ大統領(当時)。ツイッターでは民主軍と対峙するトルコを牽制していたが、突如、その方針を翻した。(シリア北部テルアビヤッド・2019年10月・撮影:坂本卓)

トランプ大統領(当時)は、IS壊滅は自分の功績だと誇った。ところが、アメリカはトルコとの駆け引きの中で、国境地帯から突如、撤収する。その結果、住民はトルコ軍の越境攻撃にさらされた。

ラース・アル・アインから逃れてきた避難民は、口々に怒りをにじませた。

「アメリカはISとの戦いでクルドを利用し、使い捨てにした」

<シリア>「イスラム国」に包囲された町で 砲撃絶えず、女性も銃を手に前線へ

ISとの戦いでは、クルド側に多数の犠牲が出た。住民たちは戦死者の写真を掲げ、トランプの方針転換を「裏切り」と非難した。(シリア北部カミシュリ・2019年10月・撮影:坂本卓)
ISとの戦いでは、クルド側に多数の犠牲が出た。住民たちは戦死者の写真を掲げ、トランプの方針転換を「裏切り」と非難した。(シリア北部カミシュリ・2019年10月・撮影:坂本卓)

◆20年におよんだ「テロとの戦い」で

2001年の米国同時多発攻撃で、アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権が事件の首謀者ビンラディンをかくまっているとして戦争を開始。この「テロとの戦い」は、イラク戦争へと拡大する。

住民を巻き添えにする米軍に、イラク人の怒りは高まった。

「市民を殺すことが正義の戦いなのか」

<イラク戦争開戦から17年>希望はどこに... バグダッド反政府デモ 青年の死(写真5枚)

2001年、アフガニスタン攻撃で始まった「テロとの戦い」。写真はタリバンの本拠地だったアフガニスタン、カンダハルを走る米軍車両。(アフガニスタン、カンダハル・2002年8月・撮影:坂本卓)
2001年、アフガニスタン攻撃で始まった「テロとの戦い」。写真はタリバンの本拠地だったアフガニスタン、カンダハルを走る米軍車両。(アフガニスタン、カンダハル・2002年8月・撮影:坂本卓)

2001年のタリバン政権崩壊後、働くことが認められなかった女性が仕事を持てるようになった。抑圧から解放された住民がいた一方、タリバンは残存して活動を続けた。今夏、全土を制圧、政権は復活することに。写真は取材する筆者。(アフガニスタン、カブール・2002年3月・撮影:坂本卓)
2001年のタリバン政権崩壊後、働くことが認められなかった女性が仕事を持てるようになった。抑圧から解放された住民がいた一方、タリバンは残存して活動を続けた。今夏、全土を制圧、政権は復活することに。写真は取材する筆者。(アフガニスタン、カブール・2002年3月・撮影:坂本卓)

「テロとの戦い」は、のちに大量破壊兵器を隠し持っているとしたイラクに及ぶ。フセイン政権崩壊後、武装勢力の攻撃が激化。写真は爆弾事件で周辺住民を一時拘束する米軍。こうしたやり方に、住民の反発が広がった。(イラク、バグダッド・2004年5月・撮影:坂本卓)
「テロとの戦い」は、のちに大量破壊兵器を隠し持っているとしたイラクに及ぶ。フセイン政権崩壊後、武装勢力の攻撃が激化。写真は爆弾事件で周辺住民を一時拘束する米軍。こうしたやり方に、住民の反発が広がった。(イラク、バグダッド・2004年5月・撮影:坂本卓)

結局、戦争の理由とした大量破壊兵器は出てこなかった。フセイン政権崩壊後の混乱のなかで、イスラム過激組織各派が台頭し、イラクはスンニ派・シーア派の宗派抗争の泥沼に至る。その後、ISが勢力を拡大し広範な地域を支配、世界各地でのテロを扇動した。

そして今、アフガニスタンでは米軍撤収とともにタリバンがほぼ全土を制圧し、政権が復活した。イラクではシーア派政党が勢力基盤を固め、隣国イランの影響力がさらに高まっている。

<アフガニスタン>タリバン首都制圧の混乱の中で 大阪大学元留学生 カブール現地からの声(写真5枚)

2004年、イラク・ファルージャで武装勢力掃討戦を進めた米軍。空爆や戦闘で子どもを含む多数の住民が犠牲に。墓地が足りず、遺族はサッカー場に遺体を埋葬。住民の怒りが、その後、IS台頭を招く。(イラク、ファルージャ・2004年5月・撮影:玉本英子)
2004年、イラク・ファルージャで武装勢力掃討戦を進めた米軍。空爆や戦闘で子どもを含む多数の住民が犠牲に。墓地が足りず、遺族はサッカー場に遺体を埋葬。住民の怒りが、その後、IS台頭を招く。(イラク、ファルージャ・2004年5月・撮影:玉本英子)

◆多数の犠牲生んだ戦争

アメリカ史上最長の戦争となった「テロとの戦い」。抑圧や独裁政権から解放された住民もいた一方、米軍の空爆や誤射だけでなく、揺れた政策の結果、苦難に直面した人も多い。見えないゴールのために多額の戦費が投じられた。

失われたのは米兵の命だけではない。その何十倍もの市民が犠牲となった。被害に対する責任も補償もあいまいなままだ。

2004年、バグダッドで米軍の誤射で死んだ高校生の息子の写真を手にする父親。米国史上、最も長い戦いとなった「テロとの戦い」は、テロと関係のない市民の犠牲をいくつも生み出してしまった。(イラク、バグダッド・2004年4月・撮影:玉本英子)
2004年、バグダッドで米軍の誤射で死んだ高校生の息子の写真を手にする父親。米国史上、最も長い戦いとなった「テロとの戦い」は、テロと関係のない市民の犠牲をいくつも生み出してしまった。(イラク、バグダッド・2004年4月・撮影:玉本英子)

現在も故郷に戻れず、避難生活を送るジハンさんは言った。

「私たちはアメリカの都合で翻弄され、見捨てられた」

果たして、これはアフガニスタンやシリアだけのことだろうか。20年におよんだ戦争は何だったのか。それを支持した国にも向けられる問いだ。

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年10月27日付記事に加筆したものです)

アジアプレス・映像ジャーナリスト

東京生まれ。デザイン事務所勤務をへて94年よりアジアプレス所属。中東地域を中心に取材。アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、04年ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」監督。イラク・シリア取材では、NEWS23(TBS)、報道ステーション(テレビ朝日)、報道特集(TBS)、テレメンタリー(朝日放送)などで報告。「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」が評価され、第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。「ヤズディ教徒をはじめとするイラク・シリア報告」で第26回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞。各地で平和を伝える講演会を続ける。

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