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<ミャンマー>クーデターと住民弾圧 「あたりまえの日常」にしてはならぬ (写真8枚+地図)

玉本英子アジアプレス・映像ジャーナリスト
2012年、獄中生活から解放された当時のミンコーナイン氏。(ヤンゴン・玉本撮影)

◆軍事政権と戦い続けた闘士

ミャンマーで起きた軍事クーデター。路上で抗議する若者たちに容赦なく実弾を撃ち込む兵士や、逃げ惑う人びとの姿。市民が撮影した生々しい映像は、ネットで世界に拡散した。国軍による住民弾圧は、突如として始まったわけではない。

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2021年2月に起きた国軍によるクーデターに抗議するミャンマー市民。(2021年2月、タニンダーイ管区ベイ市内・BayBay撮影)
2021年2月に起きた国軍によるクーデターに抗議するミャンマー市民。(2021年2月、タニンダーイ管区ベイ市内・BayBay撮影)

1988年の民主化運動、それに続く2007年のサフラン革命と、軍は力づくで民衆の声を封じてきた。そのたびに多くの命が失われた。

私がヤンゴンでミンコーナイン氏(当時49歳)に出会ったのは9年前。ミンコーナインとは彼の呼び名で「王を打ち倒す者」の意味を持つ。1988年の民主化運動を主導した学生リーダーの一人で、延べ20年間にわたって投獄されていた。ミャンマーが「民政移管」に転じ、獄中から解放されたばかりのときだった。

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2010年、軍政下にあったミャンマーでの総選挙。ヤンゴン市内の各所に治安部隊が配置され、緊張していた。(2010年10月・玉本英子撮影)
2010年、軍政下にあったミャンマーでの総選挙。ヤンゴン市内の各所に治安部隊が配置され、緊張していた。(2010年10月・玉本英子撮影)

アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が参加した2012年の連邦議会補欠選挙で、NLDを応援する支持者たち。スーチー氏のポスターを手にしている。(2012年3月・玉本英子撮影)
アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が参加した2012年の連邦議会補欠選挙で、NLDを応援する支持者たち。スーチー氏のポスターを手にしている。(2012年3月・玉本英子撮影)

刑務所では、水槽の中に長時間立たされ続けるなど、数々の拷問を受けた。絞首台に立つ亡霊の姿が、夢に幾度も現れるまでに精神が追い詰められたという。

釈放後は「民主化への思いを文化活動でも表現したい」と、軍政下で禁じられてきた「タンジャッ」という政治風刺を織り込んだ囃子歌(はやしうた)を復活させ、路上ライブを開いた。「権利を求めるなら国民は勇気を持とう!」仲間とともにリズムにあわせ、ミンコーナイン氏は声を張り上げ歌った。

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獄中から解放されたミンコーナイン氏は24年にわたり禁止されていた「タンジャッ」を復活、学生を中心とした仲間たちとヤンゴン市内で路上ライブを行った。(2012年4月・玉本英子撮影)
獄中から解放されたミンコーナイン氏は24年にわたり禁止されていた「タンジャッ」を復活、学生を中心とした仲間たちとヤンゴン市内で路上ライブを行った。(2012年4月・玉本英子撮影)

民主化運動のシンボルだったアウンサンスーチー氏が国会議員として国政に参加し、民主化へとシフトしたかに見えたこの国の変化に、私はかすかな期待すら感じていた。一方で、国軍が権力の座に居座ることに懸念を抱いた人も少なくなかった。

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カレン民族解放軍(KNLA)は70年以上にわたり、ミャンマー国軍と戦闘を続けてきた。国軍のクーデター後、再び戦闘が激化し、情勢は緊張。(2012年4月、ミャンマー南東部・玉本英子撮影)
カレン民族解放軍(KNLA)は70年以上にわたり、ミャンマー国軍と戦闘を続けてきた。国軍のクーデター後、再び戦闘が激化し、情勢は緊張。(2012年4月、ミャンマー南東部・玉本英子撮影)

◆軍政を信用しなかったカレンゲリラ

2012年、ミャンマー南東部のジャングルで、私は反政府ゲリラ、カレン民族解放軍(KNLA)第5旅団のボジョーへー司令官(当時47歳)を取材した。

2012年に取材したカレン民族解放軍(KNLA)第5旅団のボジョーへー司令官(現:KNLA副総司令官中将)。「民政移管」後でも、国軍が権力にとどまることに警戒を緩めなかった。(2012年4月、ミャンマー南東部・玉本英子撮影)
2012年に取材したカレン民族解放軍(KNLA)第5旅団のボジョーへー司令官(現:KNLA副総司令官中将)。「民政移管」後でも、国軍が権力にとどまることに警戒を緩めなかった。(2012年4月、ミャンマー南東部・玉本英子撮影)

ゲリラの多くは家族や親戚が国軍に殺されたり、村を焼かれたりした怒りから、自ら志願して解放軍に加わった。

民政移管を受け、半世紀以上続いた戦闘の停戦協定を結んだものの、ボジョーへー司令官は警戒を緩めなかった。「国軍は前線の境界線から部隊を撤収させようともしない。ならば停戦も和平交渉も意味がない」。彼は厳しい顔つきで言った。

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ミャンマー地図。カレン州(カイン州)はタイとの国境に接する。(地図作成:アジアプレス)
ミャンマー地図。カレン州(カイン州)はタイとの国境に接する。(地図作成:アジアプレス)

◆苦境のミャンマー市民に関心を

今回、軍部がクーデターを遂行したのは、スーチー氏率いる国民民主連盟が昨秋の選挙で大勝したことが背景にある。弾圧が日増しに強まるなか、今年4月、反軍政勢力は、国民統一政府(NUG)の樹立を宣言した。ミンコーナイン氏もこれを支持し、身を隠した先からネットを通して国民に支持を呼びかけた。

クーデター後の2021年4月16日、ミンコーナイン氏はネットを通じて国民に国民統一政府(NUG)の支持を呼び掛けた。軍政への抵抗の意志を示す三本の指を掲げている。(連邦議会代表委員会(CRPH)のサイトより)
クーデター後の2021年4月16日、ミンコーナイン氏はネットを通じて国民に国民統一政府(NUG)の支持を呼び掛けた。軍政への抵抗の意志を示す三本の指を掲げている。(連邦議会代表委員会(CRPH)のサイトより)

NUGはミャンマーの正統な政府になることを目指し、住民を弾圧から守るため、「国民防衛隊(PDF)」を創設するという。カレン民族解放軍などもこれを支援する予定だ。国際社会も力なく、大規模な内戦の懸念さえ広がる中、人びとが、そこまで追い詰められていることに胸が痛む。

イラクの宗派抗争やシリア内戦で、いくつもの悲しみの現場を取材してきた私は、ミャンマーの行く末を案じずにはいられない。シリア内戦が始まった当初、住民犠牲を大きく報じたメディアも、時間がたつにつれ、関心は薄れていった。

10年前も今も、人の命の重さは同じのはずなのに、シリアでの殺戮が「あたりまえの日常」になってしまった。ミャンマーの人びとが直面し続ける苦悩を「あたりまえの日常」にしてはならない。

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年7月20日付記事に加筆したものです)

アジアプレス・映像ジャーナリスト

東京生まれ。デザイン事務所勤務をへて94年よりアジアプレス所属。中東地域を中心に取材。アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、04年ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」監督。イラク・シリア取材では、NEWS23(TBS)、報道ステーション(テレビ朝日)、報道特集(TBS)、テレメンタリー(朝日放送)などで報告。「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」が評価され、第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。「ヤズディ教徒をはじめとするイラク・シリア報告」で第26回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞。各地で平和を伝える講演会を続ける。

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