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<シリア>ISの過激教育恐れ、学校行けず(写真8枚) 

玉本英子アジアプレス・映像ジャーナリスト
ISはイスラム法統治を推し進め、教育制度も改編された。(2015年・IS映像)

◆「誰もが犠牲者」 IS支配耐えたラッカ住民

かつてイラク・シリアにまたがって広範な地域を支配した過激派組織イスラム国(IS)。その「首都」と呼ばれたのがシリア北部のラッカだ。クルド勢力主導のシリア民主軍は激戦を経て町を制圧、3年半に及んだISの支配は終わった。2018年秋、私はラッカに入った。空爆で崩れ落ちた建物、銃弾だらけの壁。果てしなく続く瓦礫が、戦闘の凄まじさを物語る。(玉本英子/アジアプレス)

ISは独自解釈したイスラム講習を教師に受けさせた。その過程で失職や解雇、町から脱出する教員もあいつぎ、教育現場は混乱に陥った。(2015年・IS映像)
ISは独自解釈したイスラム講習を教師に受けさせた。その過程で失職や解雇、町から脱出する教員もあいつぎ、教育現場は混乱に陥った。(2015年・IS映像)

ウベイ・ビン・カーブ中学校は、ISが去ってからようやく授業が再開したばかりだった。女子中学生のクラスではちょうど宗教の時間だった。イスラム教の聖典コーランの言葉を生徒が丁寧にノートに書きとっていく。ISの掲げたイスラムをどう思っているのか、生徒たちに聞いてみた。

「信仰は人びとの心を支えるもの。残酷に人を殺すのは宗教じゃない」。

ISは独自解釈のイスラム教指導指針で教科書を作成し、支配地域に配布。ジハード礼賛や神のために死ぬことを美化する内容が盛り込まれた。(2015年・IS写真)
ISは独自解釈のイスラム教指導指針で教科書を作成し、支配地域に配布。ジハード礼賛や神のために死ぬことを美化する内容が盛り込まれた。(2015年・IS写真)

「国家」を名乗ったISは、独自解釈したイスラム法に基づく統治を布告、社会制度を次々と変えていった。女性には全身と顔を覆う黒いヒジャブの着用を義務付け、衛星放送テレビの視聴も禁止になった。背教徒として、占い師を斬首したり、同性愛者とみなした男性をビルから突き落として殺害した。敵の協力者やスパイとされた者は、広場で処刑され、遺体は数日間放置されることもあった。

ISの過激主義教育を恐れた多くの親が学校に子供を通わせなかった。男子は戦闘員に、女子は戦闘員と結婚させられるのでは、との不安が広がっていたという。(IS映像)
ISの過激主義教育を恐れた多くの親が学校に子供を通わせなかった。男子は戦闘員に、女子は戦闘員と結婚させられるのでは、との不安が広がっていたという。(IS映像)

当時、ISはイスラム理念による学校教育を映像で大々的に宣伝した。そこには男女の小学生が学ぶ姿も映っている。確かに学校は存在し、女子教育も否定しなかったが、実際にはISの過激主義に染まるのを恐れた親の多くが、子供を学校に行かさなかった。とくに女子中学生を持つ親は、娘が見知らぬ戦闘員と結婚させられるのでは、と不安が大きかったという。

教師は宗教指導を受けさせたうえ、バグダディ指導者に忠誠を誓わせた。一方、失職や解雇で生活が困窮したり、町から脱出する教師もあいついだ。

ISの拠点都市だったラッカは2017年10月、クルド主導勢力が制圧。市内には戦闘で破壊された建物があちこちに広がる。(2018年・玉本撮影)
ISの拠点都市だったラッカは2017年10月、クルド主導勢力が制圧。市内には戦闘で破壊された建物があちこちに広がる。(2018年・玉本撮影)

ラッカ市内のダライヤ地区では、近所に住むある女性教師の収入が途絶え、隣人たちが小さな地下学校を作った。子供たちをこっそり家に集め、授業を続けてもらい、教師の生活を支えた。内戦で経済は破綻し、誰もが生活苦だったが、互いに助け合った。

「学校に行けないから、毎日、家で書き取りをしていた」。

当時、勉強を続けた小学生アリ・ヒシャムくん(8)はノートを見せてくれた。鉛筆で一生懸命に書いたアラビア語の文字が並ぶ。ISに見つかれば処罰されかねないなか、住民は教師を支えた。

ひそかに隠れ教室で勉強を続けたアリ君(左)と妹。この地区で失職した女性教師を支えるため、隣人たちが隠れ教室を開き、子供たちを通わせた。(2018年・玉本撮影)
ひそかに隠れ教室で勉強を続けたアリ君(左)と妹。この地区で失職した女性教師を支えるため、隣人たちが隠れ教室を開き、子供たちを通わせた。(2018年・玉本撮影)

 

ウベイ・ビン・カーブ中学校の生徒たちは、いくつものつらい経験を語ってくれた。

「家族が戦闘に巻き込まれた」「父がISにスパイの疑いをかけられた」。

ウィア・マレハさん(15)は、あいつぐ空爆で親族あわせて41人を亡くした。最後に先生が付け加えた。「私も父と兄妹の5人を爆撃で失いました。住民の誰もが犠牲者です」。

再開されたラッカの学校の女子中学生。IS支配下、学校に行くことはなく、家でじっとしていたという。(2018年・玉本撮影)
再開されたラッカの学校の女子中学生。IS支配下、学校に行くことはなく、家でじっとしていたという。(2018年・玉本撮影)

授業の最後、女子生徒のひとりが私のために歌ってくれた。戦闘激化で、ラッカから避難した先のキャンプで広まった歌という。

「私の心は焼かれそう、ラッカよ、あなたに会いたい。家族の団らんがあったあの日に戻りたい。ああ恋しいラッカよ」。

その美しい歌声は、いまも私の心に響いている。

ウベイ・ビン・カーブ中学校の授業風景。ラッカはシリア政府軍、ロシア軍、有志連合の空爆に加え、激しい戦闘にさらされ、ほとんどの生徒が家族や親戚を亡くすなどしていた。(2018年・玉本撮影)
ウベイ・ビン・カーブ中学校の授業風景。ラッカはシリア政府軍、ロシア軍、有志連合の空爆に加え、激しい戦闘にさらされ、ほとんどの生徒が家族や親戚を亡くすなどしていた。(2018年・玉本撮影)

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年10月1日付記事に加筆したものです)

アジアプレス・映像ジャーナリスト

東京生まれ。デザイン事務所勤務をへて94年よりアジアプレス所属。中東地域を中心に取材。アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、04年ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」監督。イラク・シリア取材では、NEWS23(TBS)、報道ステーション(テレビ朝日)、報道特集(TBS)、テレメンタリー(朝日放送)などで報告。「戦火に苦しむ女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢」が評価され、第54回ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞。「ヤズディ教徒をはじめとするイラク・シリア報告」で第26回坂田記念ジャーナリズム賞特別賞。各地で平和を伝える講演会を続ける。

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