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死後1年後に届いた督促状~相続放棄をしたのに借金を背負う恐怖

竹内豊行政書士
相続放棄をしたのに借金を背負うという踏んだり蹴ったりの事態に陥ることがあります。(写真:ideyuu1244/イメージマート)

田中二郎さんは父が亡くなって一周忌の席で兄から「親父の遺産は預貯金で300万円ほどなんだよ。俺がもらってもいいかな」と告げれました。

兄の一郎さんは、5年前に母が死亡してから残された父と同居していました。そして、3年前に父が脳梗塞で倒れてから夫婦で亡父の介護を亡くなるまでしてくれました。一方、二郎さんは高校卒業後、大学入学のために東京に上京してから約30年間実家を離れています。そこで、二郎さんは兄の申し出を受け入れることにしました。

「兄さん、わかったよ。俺は親父の財産はいらないよ。じゃあ、相続放棄をすればいいのかな」と相続放棄をすることを申し出ました。

すると兄の一郎さんは、「相続放棄は親父が死んでから3か月以内に家庭裁判所に申し出ないといけないんだよ。親父が死んでから1年経ってしまっているから、もうできないんだ。いろいろ調べたんだけど、俺が『全財産を取得する』という内容の遺産分割協議書にサインしてくれればよいそうだよ」と言いました。

そして、二郎さんは後日、兄から送られてきた次の書類に署名して実印で押印して印鑑登録証明書を添えて返信しました。

遺産分割協議書

田中一郎は、亡田中太郎の全ての遺産を取得する。

衝撃の事実が発覚

遺産分割協議書に署名押印してから一月ほど経った頃、兄一郎さんから電話が入りました。

「落ち着いて聞いてくれよ。実は、今朝、親父宛てに貸金業者から500万円の請求書が届いたんだよ。お前も相続人だから半分の250万円を負担してもらうことになるかもしれないから覚悟しておいてくれ」と言い残して一方的に電話が切られてしまいました。

その後、真面目を絵に描いたような亡父には家族が知らない顔があったことがわかりました。亡父の友人に聞いてみると、たまたま誘われて行ったスナックのママに入れ込んで貢いでいたのです。そして、店に通うために借金を重ねていたというのです。

「事実上の相続放棄」では債務は免れない

二郎さんがサインした「一郎さんが全ての遺産を取得する」という内容の遺産分割協議書は、事実上の相続放棄とよばれるものです。

 事実上の相続放棄は、遺産分割において、特定の相続人がすべての遺産を取得するために、他の相続人が遺産の取得分をゼロとする内容の遺産分割協議書に署名押印する方法で行われます。相続放棄は家庭裁判所に申述しなければならないので、その面倒を避けるためによく用いられます。

「事実上の相続放棄」の落し穴

ただし、事実上の相続放棄には落し穴があります。債権者に対抗するには法定の相続放棄をしなければならず、事実上の相続放棄では、債権者からの請求を免れることはできないのです。したがって、もし、貸金業者からの督促状の内容が事実であれば、二郎さんは法定相続分の2分の1、つまり500万円の半分の250万円を支払わなければならないおそれがあるのです。

「相続放棄」をすべきだった

結論から言えば、二郎さんは家庭裁判所に相続放棄の申述をすべきでした。相続放棄をすれば、その相続に関しては初めから相続人にならなかったものとみなされる(民法939)ので、被相続人が残した債務を引き継ぐことはないのです。

民法939条(相続の放棄の効力)

相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。

「熟慮期間」に注意

しかし、相続放棄には「自己のために相続が開始したことを知った時から3か月以内に家庭裁判所に申述する」という期限があります。

ここで注意したいのは、「被相続人が死亡して3か月以内」ではないことです。二郎さんは父親が死亡してから1年が過ぎた頃に父親の借金にはじめて気づきました。もし、借金のことを知っていたら相続放棄をしたはずです。したがって、家庭裁判所に相続放棄を申述すれば、受理される可能性は残されています。

事実上の相続放棄は慎重に!

このように、事実上の相続放棄では、債権者からの請求を免れることはできません。したがって、遺産はもらえないのに借金を引き継ぐという踏んだり蹴ったりの事態に陥ることもあります。事実上の相続放棄をする場合は、被相続人に負債がないことを十分確認してから行うようにしましょう。

行政書士

1965年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、西武百貨店入社。2001年行政書士登録。専門は遺言作成と相続手続。著書に『親に気持ちよく遺言書を準備してもらう本』(日本実業出版社)『行政書士のための遺言・相続実務家養成講座』(税務経理協会)等。家族法は結婚、離婚、親子、相続、遺言など、個人と家族に係わる法律を対象としている。家族法を知れば人生の様々な場面で待ち受けている“落し穴”を回避できる。また、たとえ落ちてしまっても、深みにはまらずに這い上がることができる。この連載では実務経験や身近な話題を通して、“落し穴”に陥ることなく人生を乗り切る家族法の知識を、予防法務の観点に立って紹介する。

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