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「人が死なないと世の中は変わらないんですか?」 …木村花さんのご冥福を祈ります。

竹内和雄兵庫県立大学環境人間学部准教授
(写真:アフロ)

「人が死なないと世の中は変わらないんですか」

学生がつぶやいた言葉です。

SNSでの誹謗中傷で、とても悲しいことが起きてしまいました。花さんの気持ちを考えると涙が止まりませんでした。心からご冥福をお祈りします。

私は学生達と一緒に、長く子どもたちのネット啓発に取り組んできました。年間、300回以上、学生達は小中高校に出向いて、ネットの使い方を子どもたちと一緒に考えています。彼らは長く子どもたちに「ネットでは文字だけだから想いが伝わりにくい」「思いやりを持って投稿しよう」と言い続けてきました。にもかかわらず、大人社会であまりにも悲しいことが起きました。

学生たちの想い

「ネットでの誹謗中傷は犯罪の可能性があります」

「絶対にしてはいけません」

彼らは実体験を元に子どもたちに強いメッセージを発していますが、あまりに悲しい事件です。今回の悲しいことは、まだ詳細はわかっていませんが、SNSでの誹謗中傷がきっかけだったようです。彼女の命は帰ってきませんが、せめて二度と同じようなことが起きない社会にしていかなければいけないと強く思います。

もっと言えば、人が死ななくてもしっかり議論できるような成熟した社会を、私たちは目指したいです。そのためのツールにネットはなってほしいと強く願います。

法律が時代に追いついた例

SNSでの心ない書き込みへの素早い対応を国も検討を始めました。私は長年、教育だけでなく、法律等での対応の必要性を説いてきましたが、残念ながらこんなにも悲しいことが起きてしまいました。

2011年滋賀 中2自死。いじめ苦と報道されています。

2013年東京 高3刺殺。「リベンジポルノ」と報道されています。

これまでも若い命が失われる悲しいことが起きました。それぞれをきっかけに法整備が進みました。そのいくつかに私も関わりました。

例えば、いじめ苦の自殺が社会問題になって、文部科学省のいじめの定義も刻々変わっていき、2013年「いじめ防止対策推進法」が施行されました。文部科学省のいじめの定義も変わりました。

文科省のいじめ定義 ~2005年 

 1.自分より弱いものに対し

 2.一方的に

 3.継続的に

 4.身体的心理的攻撃を加え

 5.深刻な苦痛を与える

いじめ防止対策推進法 2013年

 1.一定の人間関係があり、

 2.精神的な苦痛を与える

教員研修等でこれらを提示すると先生方は、「以前の定義は、なんとなく私たち教員が持っている「いじめ」観に沿っている」と話されますが、いじめ防止対策推進法でのいじめの定義は、違和感を持つ人もいます。A君がB君の頭を一回叩き、B君が精神的に苦痛を感じるといじめです。先生方は「私たちが思っているのは、ジャイアンがのび太にずっと暴力をふるっているのをいじめと思っていた」と話します。「Cちゃんが算数の問題を解いていたとき、もう少しで答えがわかったのにDちゃんが良かれと思って答えを教えた」場合、Cちゃんが精神的な苦痛を感じるといじめです。これらを提示すると多くの先生方が違和感を持たれますが、法的には正解です。この2つの例は、文部科学省の説明会で立場のある方が使われた例で、私の思い付きではありません。いじめで大切な命が失われたことをきっかけに、私たちの社会は大きく舵を切りました。

リベンジポルノ防止法

東京の刺殺事件では、当時「被害女性が警察等に保護を求めましたが、当時法律では『メール』での脅迫等は犯罪として扱えたが、SNSは対象外。保護が遅れた」と報道されました。この事件がひとつの契機となり、「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律(リベンジポルノ防止法)」ができ、SNSでの脅迫も犯罪として扱えるようになりました。これも、大切な命をきっかけに法律が時代に追い付いた例です。

社会が変わるとき

今回の事件をきっかけに具体的に社会が変わらなければなりません。法律ももちろんですが、国を挙げた対策が必要です。道徳なのか、情報モラル授業なのか、話し合いなのか、そのすべてが必要なのか。

どんなに取り組んでも命は帰ってきませんが、これからの命を守ることはできます。

そんなこんなを学生に話しました。冒頭の言葉はそのときの学生の言葉です。2つの意味で重い言葉です。

1つ目。貴重な命が失われる前に、大人がしっかり対応しなければなりません。これまでも危険性はいろいろな場面で指摘されてきました。今、しっかり考えないと同じようなことがまた起きてしまいます。

2つ目。悲しい、あまりに悲しいことが起きたので、せめて私たちの社会はここで立ち止まって対策をしなければなりません。ネット上では、「加害者」の特定が急ピッチで進んだりしているそうですが、今回のことだけで終わらせるにはあまりに悲しいです。

新聞には政治家が法改正含めて検討していることが書かれています。

高市総務相 ネット上の誹謗中傷、発信者特定へ制度改正検討

森山国対委員長 立法府の役割大事

菅官房長官 ネットリテラシーの啓発が必要

慎重な姿勢は必要

韓国では、SNSでの誹謗中傷をきっかけにアイドルの自殺が相次ぎました。2007年「インターネット実名制」を導入し、大規模サイトへの書き込みには、本人確認などが必要となりました。しかし、この法律は2012年違憲と判断されて廃止されました。

日本でも、憲法で保障されている表現の自由との整合性を問う声も多いです。もちろん、慎重になる必要はありますが、私は元中学校教員として、子どもたちを守るべき大人として、悪口を自由に表現する自由への制限は必要だと思います。幼稚園児が悪口を言って、友達をやっつけていたら、当然私たち「仲良くしなさい」と大人は叱ります。そんな大人社会で今回のような悲しいことは二度と起きてほしくないです。

私の発言は、法的には問題があるのかもしれません。しかし、人を死に追いやるような言葉が、たとえネット上であっても許されるべきではないと私は強く思います。

私自身も悲しい経験があります。あるテレビでの「いじめ事件」でのコメントをきっかけに攻撃的(と私には思える)メールが多数届きました。コメントの最後に「加害者の責任は重大ですが、それでもネットで彼らの顔写真等の個人情報を暴き、社会的に抹殺しようとするのは間違いです。彼らも大切な私たちの社会の子どもです」と言ったことがきっかけです。「おまえは加害者の味方か!?」「見損なった」「犯罪者の肩を持つのか」「教師の風上にも置けない」…。テレビで発言することにしばらく恐怖を覚えるようになりました。パソコンに向かうのも怖くなりました。少年法の理念からも私の発言は間違っていないと思いましたが、悲しい気持ちでしばらく寝込みました。半日ふて寝して、その後私は復活し、同様のコメントを別の局で話しました。以後、私へのメールはなくなりました。ネットの人たちが「竹内に言っても効果がない」と思われたのかもしれません。私には発言をやめることができない経験と、強い思いがあるので復活できましたが、当時を振り返って、あのまま発言できなくなったり、精神的に病んでしまう可能性はあったと思います。

ネット社会を生きる大人として

私は元中学校教員です。私は、教員として、人の死を防げませんでした。ここでは詳しく書けません。私は私なりにこの種の問題に誠心誠意取り組んでいるつもりですが、二度と命を失いたくない、そんな気持ちが強いです。子どもたちを被害者にも、加害者にもしないために、今、社会全体でしっかり議論し、根本的な解決策を考える時です。

兵庫県立大学環境人間学部准教授

公立中学校で20年生徒指導主事等を担当(途中、小学校兼務)。市教委指導主事を経て2012年より現職。生徒指導を専門とし、ネット問題、いじめ、不登校等、「困っている子ども」への対応方法について研究している。文部科学省、総務省等で、子どもとネット問題等についての委員を歴任している。2013年ウィーン大学客員研究員。教育学博士。

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