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「逃げ場」少ない山頂 「答え」のない安全対策 御嶽山噴火8年、地元の模索続く

関口威人ジャーナリスト
いまだに噴気の上がる御嶽山山頂(9月21日、ドローン撮影・吉田尚弘)

 戦後最悪の火山災害となった御嶽山(長野、岐阜県境)の噴火から8年が過ぎました。山頂の立ち入り規制は大幅に解除される方針もありましたが、今年の春先に噴火警戒レベルが一時引き上げられ、今なお規制は続いています。

 筆者は噴火翌年の2015年から、取材と慰霊を兼ねてほぼ毎年のように御嶽山への登山を続けてきました。災害の全体像を知るには、現場を多様な角度から見ることが欠かせません。今年は行政の許可を得て、立ち入り禁止区域を含む山頂のドローン撮影をカメラマンと一緒に行いました。

 噴火災害の教訓を生かし、噴火を想定した避難訓練の実施やシェルターの設置が進められるなど、自然との共生を目指して半歩でも前に踏み出そうとする人々もいます。地域の模索と合わせて、噴火から8年後の「今」をお伝えしたいと思います。

2022年の入山規制図(木曽御嶽山安全対策情報サイトから)
2022年の入山規制図(木曽御嶽山安全対策情報サイトから)

王滝口登山道のルートと規制図。9合目避難小屋から王滝頂上へは10月12日午後2時まで入山できる(王滝村公式サイトから)
王滝口登山道のルートと規制図。9合目避難小屋から王滝頂上へは10月12日午後2時まで入山できる(王滝村公式サイトから)

(入山規制図・出典)https://www.ontake-volcano.jp/wp/wp-content/themes/responsive_261/pdf/kisei/kisei20220710-2.pdf

(王滝口登山道・出典)https://www.vill.otaki.nagano.jp/bousai/documents/ontake_kisei_20220704.pdf

いまだ噴気上がる噴火口近くの登山道「八丁ダルミ」を見る

 長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山。8年前の9月27日、山頂付近には数百人の登山客がいたとされています。気象庁が発表していた御嶽山の噴火警戒レベルは「1」。当時は「平常」という呼び掛けでした。しかし午前11時52分、山頂部南西側の「地獄谷」と呼ばれる噴火口から突如、水蒸気噴火が発生。大量の火山灰や噴石が登山客を襲い、死者・行方不明者63人という大惨事になりました。

 長野県の王滝村側の登山道からたどり着く王滝頂上には、山の神々を祀る「御嶽神社」があります。8年前の噴火で損傷した本殿は再建されていました。しかし、その裏に続く登山道はまだ立ち入りができません。それが「八丁ダルミ」です。

 八丁ダルミでは、噴火で亡くなった58人のうち、3割近くの17人が発見されました。まだ行方の分かっていない5人の中にもこの付近にいたとみられる人たちがいて、今なお家族らが捜索を続けている場所です。

 王滝頂上から、さらに130メートルほど高い位置にあるのが御嶽山の最高峰「剣ケ峰」(標高3067メートル)。八丁ダルミはその頂上同士を結ぶ尾根筋の定番コースですが、もともと草木はまったくといっていいほど生えていない道でした。そのため当時、噴火による噴石や火山灰が直接、無防備な登山者に降りかかったのです。

 今回撮影したドローン映像で見ても、八丁ダルミの周辺にはひたすら赤茶けた砂と石が広がっています。一方で、現在も水蒸気(噴気)が立ち上っている地獄谷の噴火口は、数百メートル先のなだらかな斜面の下にあり、登山道からはほとんど見通せないことも見て取れました。

今シーズンも一般登山者の立ち入りが規制されている登山道「八丁ダルミ」。途中に立つのがモニュメント「まごころの塔」と仏像群(9月21日、ドローン撮影・吉田尚弘)
今シーズンも一般登山者の立ち入りが規制されている登山道「八丁ダルミ」。途中に立つのがモニュメント「まごころの塔」と仏像群(9月21日、ドローン撮影・吉田尚弘)

 また、登山道の脇には「まごころの塔」と呼ばれるモニュメントと仏像群があります。噴火時はその基壇の裏に身を隠したものの、噴石をよけ切れなかったと証言する被災者もいます。

 御嶽山の地元自治体の一つである王滝村は今年、この塔周辺と、そこから剣ケ峰までの間にある「大岩」周辺に鋼鉄製のシェルター計2基を設けた上で規制を解除する方針でした。しかし、今年2月に火山性地震の増加が観測され、気象庁が噴火警戒レベルを「1(御嶽山噴火後は「平常」ではなく「活火山であることに留意」の呼び掛けに変更)」から「2(火口周辺規制)」に引き上げたことでシェルターの設置作業は遅れ、規制解除は見送られました。

 警戒レベルは6月に再び「1」に戻されたものの、村の担当者は10月6日現在、「台風の影響などでなかなか飛べなかったヘリコプターがようやく山頂までシェルターの部材を運べるようになり、基礎工事などには入っているが、まだ完成のめどは立っていない」と話しています。

 一方で気象庁は、地震計や傾斜計、監視カメラなどを置く御嶽山の観測点を、8年前の噴火当時の9地点から、噴火後は35地点に増やしました。2月の警戒レベル引き上げは、その新しい傾斜計が噴火口付近の隆起を示す地殻変動を観測したためです。

 同庁以外にも中部地方整備局や国土地理院、防災科学技術研究所(防災科研)、名古屋大学、長野県や岐阜県も独自に観測機器を増やしており、わずかな噴火の予兆も見逃さない監視・体制作りが機能し始めているといえるでしょう。

噴火の記憶伝える2つの施設が麓にオープン

 今年8月、2つの「御嶽山ビジターセンター」がオープンしました。8年前の噴火の教訓や火山防災などの情報を伝えるための施設で、その1つが王滝口登山道の入り口に開設された県立施設「やまテラス王滝」です。

王滝口に今年8月オープンした長野県立御嶽山ビジターセンター「やまテラス王滝」(9月22日、筆者撮影)
王滝口に今年8月オープンした長野県立御嶽山ビジターセンター「やまテラス王滝」(9月22日、筆者撮影)

 「やまテラス王滝」はこれから御嶽山の登山道に向かう登山者が山の情報を得る窓口でもあり、登山前後の休憩スペースとしても利用できます。また、「御嶽山が火山である」ことを知ってもらうため、山の成り立ちや歴史、植生などの自然、山と人との関わりについての展示室を設けています。8年前の噴火災害についてはパネルや映像などを通して解説しており、実際に飛んできた噴石や、噴石によって穴の開いた祈祷所の壁などの実物展示もあります。

 八丁ダルミについては、被災した愛知県の男性の証言が映像で流れます。

 噴火の瞬間、八丁ダルミでは音はまったく聞こえず、「何だあれは?」という他の登山客の声で男性が振り向くと、目の前の山肌からモクモクと煙が立ち上っていたといいます。

 男性の近くにはたまたま大きな岩があり、その岩陰に隠れてリュックで頭や背中を覆いましたが、「噴石が横殴りで」飛んできて足などに当たりました。やがて黒い噴煙で自分の手も見えないくらいに覆われ、「サウナよりも熱い」熱気に包まれました。

 「八丁ダルミにいる人にできることは少なかった」。男性は命からがら下山した様子までを振り返ります。その強烈な体験は簡単に想像できるものではありませんが、八丁ダルミがいかに噴火口に近く、逃げ場のない場所であったか、現状と重ね合わせて理解ができました。ぜひ多くの登山者に見てほしい映像です。

「やまテラス王滝」の展示の一部。左上は2014年噴火の噴石で穴が開いた祈祷所の壁(9月22日、筆者撮影)
「やまテラス王滝」の展示の一部。左上は2014年噴火の噴石で穴が開いた祈祷所の壁(9月22日、筆者撮影)

研究者も参加した初の避難訓練で見えた課題

 もう1つの施設は「さとテラス三岳」です。「やまテラス王滝」から14キロほど麓に下った場所に開設されており、地元の木曽町が運営主体となっています。展示物は「やまテラス王滝」と重なるものもありますが、もともとあった道の駅に隣接していることもあり、より一般向けに幅広く、分かりやすく山の怖さと魅力を伝えようとしている印象を受けました。

木曽町にできた御嶽山ビジターセンター「さとテラス三岳」。災害の伝承のほか、御嶽山の歴史や文化、自然の恵みに関する展示が並ぶ(9月22日、筆者撮影)
木曽町にできた御嶽山ビジターセンター「さとテラス三岳」。災害の伝承のほか、御嶽山の歴史や文化、自然の恵みに関する展示が並ぶ(9月22日、筆者撮影)

 この展示には、名古屋大学の「御嶽山火山研究施設」が関わっています。これまでは木曽町役場の三岳支所内にありましたが、テラスのオープンに合わせてこの施設内に移転。展示内容の検討やオープンまでの準備も、研究者が一緒になって進めたそうです。

 今年4月に着任したばかりの専任研究員・金幸隆特任講師は、専門の地形地質学の分野から御嶽山の研究に取り組んでいます。同時に、テラスの開設に続いて9月17日には木曽町が実施した御嶽山での「避難訓練」にも協力しました。

名古屋大学御嶽山火山研究施設の専任研究員として4月に着任した金幸隆特任講師(9月22日、吉田尚弘撮影)
名古屋大学御嶽山火山研究施設の専任研究員として4月に着任した金幸隆特任講師(9月22日、吉田尚弘撮影)

 木曽町側にある剣ケ峰には、町が4年前からコンクリート製のシェルター3基と鋼鉄製のシェルター1基を設置。今年度中に鋼鉄製の2基をさらに追加する予定です。避難訓練は、設置済みのシェルターの存在や使い方を知ってもらう目的で町が初めて実施。名大や防災科研も参画しました。

 当日は、実際に山登りに来た人に「サイレンが鳴ったら頭を守る」「避難施設を探す」などの指示書とビーコン(発信器)を配布。正午過ぎに防災無線のスピーカーから噴火発生を示すサイレンを流すと、山頂付近にいた登山者30人が剣ケ峰に設置されていた4基のシェルターに逃げ込むなどし、その様子を町職員らが撮影しました。

剣ケ峰に設置されたコンクリート製のシェルター。御嶽山では今年9月17日に初めての避難訓練が行われた(2018年、筆者撮影)
剣ケ峰に設置されたコンクリート製のシェルター。御嶽山では今年9月17日に初めての避難訓練が行われた(2018年、筆者撮影)

 「登山者は非常に協力的で、意識も高かった」と金特任講師。その上で「情報伝達や避難行動のあり方など、課題が多いことも分かった」といいます。

 訓練時の山頂は雨風が強く、スピーカーの音が聞き取りづらい場所もありました。「スピーカーの性能をいくら上げても、天候次第で聞こえないことはあります。そもそも噴火は放送より早く来るかもしれません」。予定していた音声での呼び掛けが流れないトラブルも発生。シェルター付近以外の場所では体を隠し切れなかったり、どこに逃げたらいいか迷ったりする人も。この訓練の結果から、金特任講師は次のように指摘します。

 「その場所や状況によってどう避難すればいいのか、どちらに逃げたらいいのか、答えはありません。『頭を守る』などの自助努力はもちろん必要だけれど、生存の確率を上げるためには、それなりのハード対策がもっと必要です。費用対効果の問題も含め、今回のデータやアンケートの内容などをよく精査し、関係者間でしっかり検証していかなければなりません」

「さとテラス」内にある名古屋大学御嶽山火山研究施設。金特任講師のほか、地元の「火山マイスター」である研究協力員の竹脇聡さんも常駐する
「さとテラス」内にある名古屋大学御嶽山火山研究施設。金特任講師のほか、地元の「火山マイスター」である研究協力員の竹脇聡さんも常駐する

「難しい自然」学ぶ研修などの受け入れ体制も

 一方、今シーズンの設置作業が遅れている王滝村側の2基のシェルター設置について、金特任講師は詳しく把握していないとしつつ、私たちの撮ったドローン映像で八丁ダルミの様子を確認すると、「ハード対策もソフト対策も、道半ばですね」と感想を漏らしました。

 また、噴火警戒レベルの議論には直接携わっていないと前置きした上で、「警戒レベルを(火山の状況に応じて)適切に上げられればいいですが、完全な前兆の把握はまだ難しい。一方でレベルが上がらなくても噴火する可能性はある。自然を相手にすることは、本当に難しい」といいます。

 ただ、こうも付け加えました。「高山特有の地形や景色は素晴らしい。施設では火山について学んだ後、実際に山を見たり、登ったりできます。コロナで大人数での受け入れが難しい分、学校の先生など少人数での研修の場などに活用してもらえれば」

「やまテラス」「さとテラス」には御嶽山の地形模型にハザードマップなどを重ね合わせるプロジェクションマッピングも見られる(9月22日、筆者撮影)
「やまテラス」「さとテラス」には御嶽山の地形模型にハザードマップなどを重ね合わせるプロジェクションマッピングも見られる(9月22日、筆者撮影)

 被災者の遺族たちにとっては、8年前から時間が止まったままであることでしょう。安全対策と観光など地域経済の活性化のバランスを探る地域の事情は、コロナ禍が加わってより複雑になったといえそうです。課題は本当に多いことを実感します。

 一方で、金特任講師のような新しい人たちが地域に加わり、ビジターセンターでの火山学習などの受け入れ環境も、8年目にしてようやく整いつつあります。筆者自身も今回の取材であらためて山の魅力や奥深さを知りました。

過去も噴火繰り返す活火山との共生の道は

 噴気を上げながらも今は落ち着いたように見える御嶽山。しかし、過去には1979年にも同じぐらいの規模の水蒸気噴火を起こした後、1991年と2007年にも小規模な噴火を繰り返しました。そもそもが何万年という火山活動の一部です。

 「自然が猛威をふるったら、人間の力では何もできない」と八丁ダルミからの生還者は吐露しましたが、啓発活動や避難訓練、シェルター建設など、人間にできることは最善を尽くさねばなりません。自然とともに生きる地域での、「答えのない」模索は続きます。

<メモ>さとテラス三岳」は年末年始以外、無休。「やまテラス王滝」は10月23日まで開館予定です。王滝口登山道の8合目から王滝頂上までの規制緩和は10月12日まで。木曽町側の黒沢口登山道につながる御岳ロープウェイの運行は11月6日まで。御嶽山の活動状況は気象庁のサイトを、現地の総合的な情報は木曽御嶽山安全対策情報サイトを参考に。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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