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「入管に見殺しにされた」ウィシュマさん死亡事件で初弁論 遺族らの訴えと論点【7/21注記あり】

関口威人ジャーナリスト
名古屋地裁に入るウィシュマさんの遺族と弁護団(2022年6月8日、筆者撮影)

 法務省所管の名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん=当時33歳=が死亡した責任をめぐり、遺族が国を相手に約1億5600万円の損害賠償を求めて提訴した裁判の初弁論が6月8日、名古屋地裁で開かれた。

 遺族側は、ウィシュマさんが死亡直前、体を動かせないほど衰弱していたのに放置された状態で、入管に「見殺しにされた」と主張。証拠として、当時の様子が写る監視カメラのビデオ映像などの提出を国側に求めた。

 一方、国側は請求棄却を求めて争う構えを見せ、ビデオについても次回の弁論期日(7月20日)までに「何らかの意見を出す」とかわした。

 日本の入管体制の問題点を強く浮かび上がらせたウィシュマさんの死だが、一般的にはまだ関心が高いとは言えず、さまざまな疑問を持つ人たちも多いだろう。今回の法廷審理から、一つ一つの真実や問題の核心を見出していきたい。

「ビデオ見れば分かる」法廷で訴えた妹2人

 訴状によると、ウィシュマさんは2020年8月からの収容後、遅くとも翌21年1月18日ごろには体調を悪化させ、吐き気や胃液の逆流などの症状を呈するようになった。食事が十分に取れず、体重は収容当初の84.9キロから、2月23日には65.5キロにまで減った。

 ウィシュマさんと面会を重ねた支援者は、点滴や入院治療などを求めたが、入管側は応じなかった。3月に入ると、ウィシュマさんはぐったりとベッドに横たわり、看守らの問いかけにも「あー」「うー」などの声を発するだけになった。しかし、看守らは適切な治療を受けさせないどころか、「薬きまってる?」などとからかった。3月6日の午後には呼び掛けにまったく反応しなくなり、搬送先の病院で死亡が確認された。

 初弁論で意見陳述に立ったウィシュマさんの妹のワヨミさんは、昨年8月に法務省で2時間に編集されたビデオ映像を見る予定だったが、途中で気分が悪くなり、最後まで見続けられなかった様子を吐露。「あんなに残酷な状況で私の姉は死んでしまった。姉はずっと助けを求めていた」とし、自身もビデオを見た後は狭い場所に入ると「姉もこんな狭いところで閉じ込められていた」と想像し、「担当さーん」と助けを求める姉の声が聞こえるようになったという。

 その上で「裁判官と市民の皆さんに少しでも早く姉のビデオを見てほしい。日本という国で人がどう扱われて死んでしまったのか、見てほしい」と訴えた。

 下の妹のポールニマさんも「ビデオに写っていた姉は衰弱して、ベッドで上半身すら起こせなかった。ベッドから落ちてしまった姉を、職員が放置していた場面も見た」「裁判官にこのビデオを見てもらえれば、姉が見殺しにされたことが分かる。ビデオがなければこの裁判の審理は進められない」と述べた。

初弁論後の記者会見に応じるウィシュマさんの妹のワヨミさん(中央)とポールニマさん(右)ら(2022年6月9日、筆者撮影)
初弁論後の記者会見に応じるウィシュマさんの妹のワヨミさん(中央)とポールニマさん(右)ら(2022年6月9日、筆者撮影)

「安全な国」へ旅立ったまま帰らぬ人に

 2人の話やフォトジャーナリストの安田菜津紀さんの取材によれば、ウィシュマさんの家庭は父が早くに亡くなり、母のスリヤラタさんが外に働きに出る一方、長女のウィシュマさんが家事や妹たちの世話を担った。「姉はいつもやさしくて、私たちに勉強や料理、お化粧の仕方などを教えてくれた」とポールニマさんは振り返った。

 やがて、子ども好きのウィシュマさんは地元のインターナショナルスクールで英語を教える仕事を始めた。そこで日本からやってきた子どもたちに接したことや、もともとスリランカでは日本のテレビドラマ「おしん」が繰り返し放送されていたことから、ウィシュマさんはいつか日本に留学して子どもたちに英語を教えたいと思うようになった。

 留学の話を聞いた母は最初、反対したが、ウィシュマさんの熱意に負け、自宅を担保に借金をして留学費用を工面した。大切な娘を外国に行かせることに心配もあったが、「日本なら、安全な国だから大丈夫だね」と言って認めたという。

 「母は、ずっと妹の世話をしてくれた姉に、好きなことをさせてやりたかった。姉が日本で夢をかなえることが、私たち家族にとっても夢になった」とワヨミさん。2017年6月、スリランカの空港から日本に旅立つウィシュマさんを家族で見送るときは「寂しかったけれど、姉の太陽のような笑顔を見ているうちに私もいつか姉を訪ねて日本に行きたくなった。そのころには姉は日本でも学校の先生になって、日本の子どもたちに英語を教えているのだろう。あのころ、未来は明るかった」と涙声で語って、こう続けた。

 「けれど、あの日が、生きた姉を見た最後になった」

愛知県愛西市の明通寺での1周忌法要で供えられたウィシュマさんの遺影と花(2022年3月6日、筆者撮影)
愛知県愛西市の明通寺での1周忌法要で供えられたウィシュマさんの遺影と花(2022年3月6日、筆者撮影)

DVトラブルも「仮放免」認められず

 訴状や、今回の事件について出入国在留管理庁がまとめた最終報告書によれば、来日後のウィシュマさんは千葉県内の日本語学校に通いながら、アルバイトをしていた。しかし、バイト先で知り合ったスリランカ人男性と交際を始めてから日本語学校での欠席が多くなり、2018年5月以降、出席しなくなった。

 そのころ、ウィシュマさんは男性と静岡県で暮らしていたが、在留期限が同年9月に迫る中、4月には男性とともに難民認定申請をした(※7/21注記・国側は第2回弁論前に提出した準備書面で、このときの申請は9月21日だったと指摘した)。その際、「(男性が)スリランカの地下組織の関係者とトラブルになって脅された」ことを申請理由としていた。

 その申請に伴って「特定活動」への在留資格変更が許可されたが、2019年1月に更新が不許可となり、ウィシュマさんは在留資格を失い、難民認定申請も取り下げた。

 2020年8月、ウィシュマさんは「日本に身寄りがない」として交番に出頭し、入管法違反で逮捕されて翌日には名古屋入管に引き渡された。当時は「恋人に家を追い出されて、他に帰るところも仕事もなかったので、スリランカに帰国したい」と述べていた。所持金は1350円で、健康状態に問題はなかった。

 2021年1月、ウィシュマさんは一時的な身柄の解放を求めて「仮放免」許可申請をした。「スリランカ人の彼氏から暴力を受けていた」「(元交際相手が)入管にいた私宛てに手紙を送ってきた」「その手紙の中で、スリランカで私を探して罰をやる。彼氏の家族が私にリベンジするために待っているということが書かれていた」「入管にいると彼氏からまた手紙が来て脅されるのがとても不安」などの理由で、元交際相手からの手紙も入管側に提出していた。しかし、ウィシュマさんの仮放免は最後まで認められなかった。

 このころ、ウィシュマさんは身元引受人として名乗り出ていた愛知県津島市のシンガーソングライター、眞野明美さんと面会や手紙のやり取りを繰り返している。その内容をまとめた書籍の編集には私も関わっているので、ウィシュマさんのことをさらに正確に知りたい方はぜひ読んでいただきたい。

ウィシュマさんが眞野さん宛てに送った手紙のコピー。着物を着た女性や色とりどりの花やクジャクなどの絵が添えられていた(筆者撮影)
ウィシュマさんが眞野さん宛てに送った手紙のコピー。着物を着た女性や色とりどりの花やクジャクなどの絵が添えられていた(筆者撮影)

「生命健康維持義務怠った」と弁護側

 遺族側の弁護団は今回、名古屋入管が「違法な収容を継続してウィシュマさんの健康を害し、死亡に至らせた」ことと、「健康を害したウィシュマさんに対して必要な医療を提供せずに死亡に至らせた」ことがそれぞれ違法だと訴えている。

 前者については、ウィシュマさんがDV被害者であったことは明らかであり、いわゆる「DV防止法」や法務省も自ら関わってまとめているDV被害者保護施策の基本方針に照らせば、仮放免した上で保護の手続きを進めるべきだったとする。

 しかし、入管側は仮放免を認めなかった理由を「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国説得する必要あり」(最終報告書)などとしており、弁護団はウィシュマさんを帰国させる「圧力」として収容を継続したことも不当だとする。

 後者の医療提供については、入管は一定の場合に外国人の身体の自由を奪うことができるが、同時に被収容者の生命・健康を維持すべき義務を負うことは、入管法をはじめ入管の内規から国際条約までを照らしても当然であるという。

 しかし、実際はウィシュマさんの尿検査で「ケトン体3+」など「飢餓状態」を示す結果が出ていても、名古屋入管は外部病院の「精神科」に連れていき、「身体化障害あるいは詐病の疑い」があるとの診断を出させている。

 弁護団はこれらのことから、入管側がウィシュマさんに対する生命健康維持義務を怠り、死亡との因果関係もあるとして、「ウィシュマさんが死亡したことに対する賠償義務を負う」と主張。賠償額は2020年の平均賃金などからウィシュマさんの逸失利益を計算し、本人が被った精神的苦痛による慰謝料を加えたという。

 ワヨミさんは意見陳述の最後にこう述べた。

 「日本政府は姉のことで謝って、責任を認めて変わってほしい。特に日本の入管収容制度は完全に変わってほしい。こんな悲しい思いをするのは、ウィシュマと私たち家族で最後にしてほしい」

名古屋市港区の名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の建物(2022年2月2日、関口威人撮影/NAMEDIA)
名古屋市港区の名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の建物(2022年2月2日、関口威人撮影/NAMEDIA)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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