Yahoo!ニュース

「愛知目標」はなぜ達成できなかったのか? コロナとも関わる生物多様性の危機

関口威人ジャーナリスト
愛知目標の最終評価が示された国連の「地球規模生物多様性概況第5版(GBO5)」

 「愛知目標」というと何だかローカルな地域政策のようにも思えてしまうが、世界的に通用する「Aichi Biodiversity Targets」、生物多様性に関する国際目標だ。

 2010年に名古屋市で開かれた国連の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、世界各国が2020年までに取り組むべき20の目標として採択された。その期限である今年、コロナ禍で当初の予定よりずれ込んだが、最終評価を盛り込んだ報告書「地球規模生物多様性概況第5版(GBO5:Global Biodiversity Outlook5)」が9月15日、国連の条約事務局から公表された。

 残念ながら、完全に目標を達成したのは、20項目中「ゼロ」。各項目の内容を細分化した60の要素で見ると達成されたと言えるのは7つあるが、それでも全体の12%に過ぎない。コロナのような感染症対策も含む大事なテーマである生物多様性に何が起こっているのか、今後どうなるのかを読み解きたい。

10年前の「COP10」で決まった国際目標

 そもそもの出発点は1992年。ブラジル・リオサミット(環境に関する国連の会議)で採択されたのが生物多様性条約だ。同時に生まれた地球温暖化防止に関する気候変動枠組み条約とは「双子」の関係だと言われる。

 その条約ごとに開かれる会議をCOP(Conference Of the Parties)と言い、97年に京都で開かれた気候変動の第3回締約国会議はCOP3だった。ただし、毎年開かれる気候変動の会議に対し、生物多様性の会議は2年ごとの開催のため、COPいくつ、にずれが生じる。また、一般レベルで関心の高い気候変動=地球温暖化のテーマに比べて、生物多様性はイメージがしにくく、ニュースなどで取り上げられることも少ない。それは日本語圏であろうと英語圏であろうとあまり変わらないようだ。

 そんな生物多様性のCOP10が10年前、名古屋で開かれ、当時条約を締約していた193カ国・地域中、179カ国と関連国際機関やNGOなどの関係者1万3000人以上が参加。本会議は10月18日から29日の日程で開催された。

 私も地元のフリー記者として取材したが、初めての国連会議で勝手が分からず、とにかく右往左往した。本会議も思った以上に紛糾、29日の閉会予定を過ぎても深夜まで交渉が続き、30日未明に当時の松本龍環境大臣が木槌を振り下ろして決まったのが愛知目標と、名古屋議定書と呼ばれる遺伝資源の取り扱いに関するルールなどだった。

2010年10月に名古屋市で開かれたCOP10で、未明まで続いた大詰めの最終会合を見守る参加者(筆者撮影)
2010年10月に名古屋市で開かれたCOP10で、未明まで続いた大詰めの最終会合を見守る参加者(筆者撮影)

 愛知目標については、国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)が中心となって立ち上げた「にじゅうまるプロジェクト」が分かりやすい日本語訳と20のアイコンで紹介している。ちなみに名称が愛知目標だと、やはり愛知「県」の目標と誤解されてしまうらしく、このプロジェクトでは「愛知ターゲット」と表現している(本稿でも以降は「ターゲット」とする)。

 実際に見てみると「目標1(普及啓発)みんなが、生物多様性は大切なんだと知ろう。その気持ちをもって、行動しよう」「目標2(各種計画への組み込み)国や地方は、生物多様性を大切にする計画を立てよう」…など、かなりざっくりしたスローガン的な目標が多い。

 中には「目標11(保護地域)陸地の17%、海の10%は、なにがあっても守る場所に決めよう」「目標15(復元と気候変動対策)傷ついた生態系を、15%以上回復させよう。それによって気候変動や、砂漠化の問題に貢献しよう」といった数値目標もある。スローガン的なものも、それぞれ分解していくと数値やデータで評価できるようにはなっている。

「にじゅうまるプロジェクト」で作られた愛知ターゲットの20のアイコンと日本語訳
「にじゅうまるプロジェクト」で作られた愛知ターゲットの20のアイコンと日本語訳

 ただし、これら一つ一つは各国に課せられた義務ではなく、20目標をまるっと合わせて「2020年までに生物多様性の損失を止めるための効果的かつ緊急な行動を取る」のが各国のやるべきこと。この辺りも妥協的というか、最大公約数的に決められた背景がある。

中間評価では「Good but Not Enough」

 IUCN-Jの事務局を担う日本自然保護協会は、今回の最終報告書の内容も分かりやすく解説しているので、そちらのページもぜひ見てほしい。解説を担当する道家哲平さんは、日本のNGOの立場で継続的に生物多様性の国際会議に参加し、最も状況をよく理解している日本人の一人だ。COP10後の愛知・名古屋にも何度も足を運んで状況を報告してくれた。

 道家さんによれば、2014年に出された中間評価(GBO4)では「良いこともあるけれど、達成には不十分(Good but Not Enough)」という総評だった。保護地域の数値目標は世界的に達成されつつあることや、生物多様性国家戦略がほとんどの締約国で策定、改定を見込んでいることなどが「Good」の面だと聞き、私も楽観的に受け止めてしまった。

 しかし結局、それらの「Good」は達成されたものの一握りにとどまり、ほとんどの目標は「Not Enough」のまま時間切れになったと言える。道家さんも「残念な結果。せめて、なぜ達成できなかったのかをしっかりと深く見つめ、次代に正しい改善策を提案しないといけない」と指摘する。

 ただ、未達成項目の状況からも、学べるものはあるという。例えば「目標12(種の保全)絶滅危惧種を絶滅から防ぎ、ふつうの種に戻していこう」については、絶滅危惧種の置かれている状況は引き続き厳しいとされているが、この10年間の保全活動がなければ、哺乳類や鳥類の絶滅のリスクは今の2倍から4倍も高かっただろうと推定されている。そうした成功事例の一つとして、日本のトキの保護と野生復帰の取り組みが挙げられている。

コロナ禍で注目される「ワンヘルス」の考え

 ところで、生物多様性の国際目標が未達成だったのは、今回が初めてではない。2002年に「生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という「2010年目標」が立てられたものの、21あった個別目標は、やはりすべて達成されなかったのだ。

 愛知ターゲットはその“落第”を踏まえての、いわば「追試」だったというのが生物多様性条約事務局で2年間、勤務した経験のある名古屋大学大学院環境学研究科の香坂玲教授だ。

 試験に例えると、陸地や海の保護地域を設定する「保護区」関連は「もともと環境系の得意科目」で、今回も「そこそこ数字を上乗せできた」という。

 しかし、問題は苦手科目の克服だ。香坂教授は「農林や観光、インフラ、金融」などを挙げ、「それらへの(環境セクターの)食い込み、横への広がりが足りなかった」と指摘する。つまり、課題を横断的に解決しなければ、いつまでたっても地球から“合格点”をもらえないというわけだ。

 壮大でややこしい話のようだが、これは今まさに我々が直面している問題につながる。新型コロナウイルスだ。

 コロナのような新興感染症は、その4分の3が動物由来とされている。今回の新型コロナも(人為起源説はひとまず除外して)コウモリ由来と考えられている。

 人が環境を侵す(生物多様性を破壊する)ことで野生生物との距離が“密”になり、動物由来のウイルスが広がる。つまり環境の病、動物の病が人の病となる。

 これまではそれぞれ環境学、獣医学、医学の問題だったが、これを一体的に捉える「ワンヘルス(アプローチ)」という考え方が注目され始めた。その流れの中でパンデミックを起こした新型コロナはまさに「生物多様性の直球ど真ん中の問題」だと香坂教授は言うのだ。

報告書(GBO5)で示された変革を要する8つの分野とその関連性を示す図。左下に杖に絡みつくヘビの絵とともに「ワンヘルス」が記されている
報告書(GBO5)で示された変革を要する8つの分野とその関連性を示す図。左下に杖に絡みつくヘビの絵とともに「ワンヘルス」が記されている

コロナ禍でCOP15は延期、日本は国家戦略の改定へ

 今回のGBO5でも、この10年の生物多様性の取り組みを生かしてさらに変革が必要なのは「土地利用、農業、淡水、漁業、食料システム、都市とインフラ、気候アクション、ワンヘルス」の側面で、それらは互いに関連しているとする。アフターコロナの社会づくりに、生物多様性の視点は欠かせないのだ。

 しかし今、世界で最もコロナに苦しむアメリカは、生物多様性条約に入っていない。(現在、締約しているのは196カ国・地域)

 一方で、実は中国は当初から条約を結び、今年10月にはCOP15の開催地となる予定だったものの、コロナ禍で来年5月に延期になった。なんとも皮肉な話だ。

 日本は2018年に「生物多様性条約第6回国別報告書」を国連に提出。愛知ターゲットの達成は2割、進展はあるが未達の目標は5割強としており、GBO5の結果を踏まえて出される最終評価は、やはり明るいものではないだろう。生物多様性国家戦略も改定の時期を迎えており、菅政権下でどのような方針が打ち出されるのか、ひそかに注視したい。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

関口威人の最近の記事