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飯舘村長選公開討論会書き起こし(その1)

関口威人ジャーナリスト
飯舘村長選挙の立候補予定者による討論会(「e-みらせん」の動画キャプチャー)

福島県飯舘村長選に立候補した現職の菅野典雄、新人の佐藤八郎両候補は告示日に先立つ10月2日、南相馬市の原町青年会議所が主催した公開討論会で互いの主張を明らかにした。その内容を大まかに書き起こす。(敬称略、発言趣旨を変えない範囲で言い回しなどは筆者が編集)

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自己紹介及び政策の重点項目について

佐藤八郎

私は高校を卒業しているだけ。特別な経歴はないが、私の生きざま、生い立ちを伝えながら私の選挙での決意を理解いただければ。私は高校在学中に深谷地区の田植え踊りの踊り子を、飯舘高校卒業後は青年団、生産組合、農協青年連盟、直売所連絡協議会などをやり、常に村の中で村民と一緒に歩んできた。その間、深谷の同級生や親戚など多くのご指導により、村議会議員として働かせてもらった。議員の役割は村民の声、願い、提案を村に届け、議会がどのように討議し、成果を上げ、そのことが村民のためになっているか発言をし、皆さんにきちっと報告をすること。その報告を届けることで、さらに皆さんからの声を聞く、循環的な活動をさせてもらった。しかし、この5年6カ月、個人情報保護法により、70-80%の村民がどこに居住しているか分からない状態。そういう中での私の決意だ。

菅野典雄

私は村長職5期20年、村の舵取りをさせていただいた。この間、合併問題もあり、までいライフもつくった。さらに、この全村避難という大変なところで、そのつどそのつど重要な判断をさせていただいた。常に村民の立場を重んじ、どう村民の生活を守るかを考えたが、この全村避難は東京電力と国との交渉の連続だった。交渉するときのスタンスが非常に重要になってくる。どなたが村長になっても、しっかりと交渉をやって、復興を進めていかなければならない。常に村民の立場で、村民の生活を守り、どう村の再生をしていくか。そのために徹底した除染と情報開示、村内での営業・営農再開の支援、地域コミュニティーの推進、飯舘ならではの教育、「陽はまた昇る基金」で新たな村づくり、村民の生活環境をしっかり守るのが、これから大切なんだろうと思っている。

第1部・立候補者への質問事項(○×の紙を掲げる形式)

(1)避難指示解除準備区域及び居住制限区域の解除は平成29年3月末日にすべきだ。

菅野 ○

解除時期が妥当なのかどうかの前に、他の自治体はもうすでに解除されている。29年3月としたのは、飯舘村が勝ち取った最大で最長の期間。条件は人それぞれ。あと何年かかるか分からないと、帰りたい人までいつまでも帰れなくなってしまうのではないか。したがってこの29年3月、帰れる人だけが帰って、しっかりした環境整備を村と一緒になってやってもらいながら、1人でも多くの人に帰ってもらえる環境をつくるというのが本来のこと。ただただ解除時期を延ばして、いつになれば帰れるのかという不安を村民に与えるべきではないと思っている。

佐藤 ×

この問題、1つはなぜ被害を受けた私たちが決めるのではなくて村長が、国が決めるのか。2つには、村民の中には、特にADR(裁判外紛争解決手続き)の方たちが文書で村、議会に要望しているように、村民の合意が必要。私が活動の中で聞く声を紹介する。「戻りたくても汚染物の入った1トン袋がある中では生活できない」「避難解除になっても農業はできない。どうやって生活するのか」「除染が村面積のわずか15%しかやらなくて、とても子どもや孫は戻せない。若い人が戻らなくて高齢者だけで暮らすのか」「避難解除されたら生活支援がなくなるのではないか」など、村民は分からない、見通しが持てない状況だ。県内ではすでに解除された地域があるのだから、その実態を調査し、結果を村民に知らせた上で行政としてやるべきことを村民と共同で進めることが基本。村民が安心安全を理解できないまま、何が何でも避難解除とするのは国も村も責任と役割を放棄していることになる。実態としては、解除されたら、おそらく1年後に慰謝料打ち切り、住宅支援打ち切りとなる。来年3月については白紙撤回するべきであると私は考える。仮設、公営住宅、借家での生活、家族、知人、友人と分かれさせられての生活は本当に大変なものがある。精神的、身体的に悩み、ストレスを抱えている方は村に戻ることを希望するが、国は現状で村内から避難しない生活も長期宿泊も認めている。もっと柔軟に工夫すれば、戻って暮らしたい村民のためになる。決定するのは、被害を受けた私たちではないか。

(2)放射線量が下がるまで除染は山林も含めて徹底的にすべきだ。

佐藤 ○

汚された自然環境をどのように改善していくのかが古里、この飯舘村に戻って暮らすには重要なことだと基本的に思っている。元のような緑豊かな自然あふれる安心安全な大地だ。放射性物質を除去する技術は世界的にも確立されたものはない。しかし、実証でも本格的でもよいが、除染という放射性物質除去を加害者である東電、国に実行してもらうことは当然。ここ数年、私自身も専門家の協力を得て実証したが、自然災害のようにできないのが、見えない、におわない放射能だ。村の全面積は230平方キロメートルであり、そのうちの住居を中心とした約15%の除染が進行中だが、現状は1トンバッグ220万袋が村中にある。85%ある残りの放射性物質は、半減期があるので放射性濃度は数値としては当初より下がっているが、下がる要因としては自然災害や水、空気の流れで移動していることが多い。普通の災害のように、工期優先や加害者が決めたマニュアル優先でなく、避難移住している市町村のように、国内法で決められた1人ひとりが生活できる年間1ミリシーベルト以下を目指さなければならない。そのためには中長期的な除染、村民の合意ある除染としなければならない。当初より提案されている村民による、村民のための独立したチェックと除染専門の行政としての窓口が必要だ。

菅野 ○×(両方掲げる)

○の方は当然、われわれの古里が汚されたわけだから、徹底的に除染をしてもらわなければならないからだ。これまでもイグネを切っていただいたり、農地は全部剥ぎ取りをしてほしいと、他の自治体ではない対応を求めて実現している。今もホットスポットやガンマカメラを使ったり、いろいろなことをやっているが、残念ながら、これで十分というわけではない。これからもしっかりやってもらわなければならないと思っているが、山林を含めて徹底的にということになると、もうこれはいつになるか分からない。確かに山林がそのままで帰っていいということにはならないが、いつになるか分からないという、まさに先の見えない不安を村民に与えるべきではない。ただ、山林、里山はわれわれの生活の拠点であるから、当然そこはしっかりやっていただく必要があるということで、いま飯舘村では「里山再生交付金」を20年間にわたってよこすようにという要望を、5年間続けている。国がモデル事業でやると、また使い勝手が悪いから、われわれに全権を委ねる交付金という形でよこしていただいて、それをしっかりと住民の皆さんと相談して、これから20年間コツコツと、次の世代のために頑張るよという人と、村が責任をもって使うことが大切ということで、徹底的に山林の除染をしなければ帰れないというのには×とさせてもらった。

その2に続く)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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