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改革はどこへ行ったのか:岸田首相の経済政策

竹中治堅政策研究大学院大学教授
総選挙中「岸田ノート」を掲げる岸田文雄首相(写真:アフロ)

去年は改革に前向きだった岸田首相

 今回の選挙では与野党が共に分配政策を掲げ注目を集めた。岸田首相は成長策も訴えたがその方策として経済・社会の改革を熱心に訴えることはなかった。

 一方、国民が改革に関心を持っていることは明らかである。それは改革を正面から訴えた唯一の政党である「日本維新の会」が比例区の得票数を前回と比べ450万票以上伸ばしたことに現れている。

 首相は元々改革に前向きな姿勢を示していた。岸田首相は昨年9月の総裁選出馬に際し『岸田ビジョン』という本を出版している(岸田文雄『岸田ビジョン』2020年、講談社)。この本の中で特に経済・社会のデジタル化について「オンライン教育や遠隔医療などの面でも、我が国の現状は満足できるものではありません」(『岸田ビジョン』26ページ)という認識を示している。その上で、遠隔医療、ドローン、自動運転に対する規制をイノベーションの進展に伴って、「適宜見直していく必要」があると規制改革の必要性を明言している(『岸田ビジョン』55)。

総選挙の隠れたテーマ:菅義偉政権からの決別

 にもかかわらず、首相はなぜ改革に積極姿勢を示さないことになったのか。これを解く鍵は総裁選の経緯と総裁選と総選挙のタイミングにある。岸田首相と自民党が総裁選の論争をひきずりながら総選挙に突入したため、改革にそれほど積極姿勢を示さないことになったと考えられる。

 9月29日の自民党の総裁選で岸田文雄元外相が勝利を収め、現職の菅義偉総裁は出馬しなかった。しかしながら、岸田氏が8月26日に総裁選に出馬した時には、菅総裁に挑むことを考えていたはずである。

 岸田氏は昨年9月総裁選にも出馬しており、その時に用意した政策をもとに今回の総裁選に向け、準備を重ねてきたことは間違いない。現職の菅総裁に対抗する以上、その内容は菅政権の政策を意識したものとならざるを得ない。

 岸田氏が総裁選に際し用意した政策は党改革、コロナ対策、経済政策、外交・安全保障政策の四つの柱があった。

 外交・安全保障政策については日米同盟の強化、自由で開かれたインド太平洋構想の推進など菅政権の路線と違いはなかった。しかし、他の三つの政策分野では違いを際立たせようとした。

 総選挙では首相は立憲民主党・共産党を中心とする野党と対決した。このため成長を強調した。しかしながら、総選挙の隠れたテーマは岸田政権の菅政権からの決別であった。このため改革を全面的に掲げることが難しくなってしまった。

党改革

 まず、党改革から見ていこう。岸田氏は「権力の集中と惰性を防ぐ」ことを理由として、役員任期を「1期1年・連続3期」に制限することを約束した。これは2016年8月から第二次安倍政権の下で幹事長を務め、菅政権でも続投した二階俊博元幹事長を念頭に置いた公約であることは間違いない。つまり岸田氏が総裁に就いた場合の二階氏の続投を予め否定したわけである。

コロナ対策

 コロナ対策について岸田首相は新型コロナウィルス感染症への対応の基本原則として「「多分よくなるだろう」ではなく、「有事対応」として常に最悪を想定した危機管理」を掲げた。これは菅前首相のコロナ対策への批判である。菅前首相はコロナ対策としてワクチン接種が最も有効と判断し、迅速な接種拡大に尽力した。菅前首相は今年の初めにも「ワクチンさえ打てば夏には雰囲気はガラリと変わる」(『読売新聞』2021年7月23日)と周囲に語り、6月ごろ「ワクチンのおかげで重症化しやすい高齢者の感染者は減っている。病床の逼迫(ひっぱく)は抑えられる」(『朝日新聞』2021年7月9日)、7月上旬にも「感染状況はこれから良くなる」(『朝日新聞』2021年7月20日)と考えていたという。

 実際には、10月上旬に第3波が始まり、2021年3月中旬には第4波が、7月上旬からは第5波が日本を襲う。菅政権の行動制限の発動は遅れ、いずれの波でも大都市部で病床が不足し、自宅待機者が急増する。また、独立行政法人国立病院機構法や独立行政法人地域医療機能推進機構法に基づいて二つの機構に病床確保のために協力を求めることも行わなかった。

 菅政権の対応を踏まえて、岸田氏は総裁選で徹底した人流制限を実施すること、検査を拡大すること、第3回接種の準備を進めること、国公立病院をコロナ重点病院化することなどの方針を打ち出した。また、国と地方が、人流抑制や医療資源を確保するため、より強い権限を持つための法改正を行うことも約束した。首相就任後も総裁選の公約に沿った方針を示している。特に病床の確保のために現在の法的権限を活用することを明言し、10月18日に後藤厚労大臣が法律に基づいて国立病院機構と地域医療推進機構に第5波で確保した病床より2割多くのコロナ感染者用の病床を確保するよう求めた。また経口治療薬の年内実用化を目指す方針を示している。

 総裁選以降示してきた方針を自民党も基本的には公約に盛り込んでいる。

経済政策

 注目したいのは岸田首相が掲げてきた経済政策である。

 岸田氏は総裁選に出馬し、経済政策を説明する際に「小泉改革以降の新自由主義的政策これを転換する。」「世界はすでに単純な規制改革、あるいは構造改革路線から脱却し」ていると、新自由主義政策や構造改革を批判した。

 菅前首相は官房長官時代の頃から農協改革やビザ規制の緩和など従来の政策の見直しや規制緩和に熱心に取り組んだ。首相就任後もデジタル庁の設置、リモート診療規制緩和などの行政改革、規制緩和を進めた。

 岸田氏が、新自由主義的政策や構造改革を批判したのは菅前首相との立場の違いを明確にしようとして行ったことは間違いない。これは昨年の総裁選に際して、岸田氏が掲げた主張や出版した『岸田ビジョン』の内容と比較するとはっきりする。昨年の総裁選では、今回の総裁選で行ったような新自由主義や構造改革についての批判を行っていない。またデジタルトランスフォーメーションやデジタル技術など先端技術の「社会実装」も訴えている。

 岸田氏は、『岸田ビジョン』の中で「新しい資本主義」という言葉を掲げ、アベノミクスのもとで格差が広がったことに警鐘を鳴らしている。さらに資本主義のあり方の見直しを強調している。しかし、そこで訴えているのは「新自由主義の転換」ではなく「功利主義の転換」である(『岸田ビジョン』28ページ)。そして、冒頭紹介したように改革に前向きだった。

総裁選から総選挙へ

 衆議院議員の任期は元々10月21日に満了する予定となっていた。このため岸田首相は就任後、そのまま総選挙を迎えなければならなかった。首相は10月14日に衆議院を解散、10月31日に総選挙が実施されることになった。首相は総裁選の時に訴えた政策の多くをそのまま自民党の公約として掲げて総選挙に臨む。

 首相就任直後も首相は改革に積極的に取り組む姿勢を示さなかった。10月8日の所信表明演説においては改革という言葉を一回も使っていない。10月10日には、フジテレビ系の報道番組「日曜報道THE PRIME」に出演、この中で、改革には「市場原理主義とか」「冷たいイメージ」が付いているとまで述べている。

 自民党総裁選や総選挙は世論の一部には経済・社会の改革を求める根強い意見があることを示している。自民党総裁選において改革論者で知られる河野太郎前ワクチン担当相が最も多くの一般党員票を獲得したこと、総選挙における維新の躍進にこれは現れている。

 そもそも、メディアが少子化、所得の伸び悩みなど日本経済、社会の問題について論じない日はない。こうした中で政治が世直し、経済・社会改革に背を向けることは考えにくい。指導者は改革に取り組むことで将来への期待を作ることができる。政治学者のファン・リンスは民主的指導者は改革により「一部の社会的部門の期待を満足させることで、まだ自分の要求を満たす即効的なアウトプットを実感していない人々にも希望を抱かせる」ことができると説く(ファン・リンス、横田正顕訳『民主体制の崩壊』岩波文庫、2020年、64頁)。

デジタル化とシェアリング化

 岸田首相は「新しい資本主義」を自らの経済政策の看板として成長と分配を掲げる。ただ、世界的に見れば、資本主義の「新しい」潮流はデジタル化とシェアリング化である。これを進めるために規制改革や政策の見直しが必要である。例えば、リモート診療の初診には規制が残る。またリモート診療の診療報酬は対面に比べ低く抑えられており、医療機関にリモート診療を導入するインセンティブを十分つけることができていない。

 現在はデジタル化に注目が集まるが、これと密接に関わっている経済のシェアリング化のあゆみも遅い。例えば、世界の主要都市でライドシェアサービスが使えないのは日本の大都市くらいのものである。民泊にも制限が残る。ライドシェアや民泊への一連の規制の緩和を進めるべきである。

 例示した規制改革はいずれも生活者本位のもので、我々の生活を今よりも便利にするものである。

 もっとも首相は改革への姿勢を徐々に修正している。紹介した報道番組でも「デジタルなんていうのは規制改革の集約した分野ですのでこれを思いきりやる」と経済のデジタル化を進めるために規制改革に取り組む姿勢を滲ませる。10月14日衆議院解散後の記者会見では「新しい時代を開拓するためには、デジタル改革、規制改革、行政改革を一体的に進めていくことが重要」であると明言し、総裁選の時に公約したように改めてデジタル臨時行政調査会を立ち上げることを表明している。

参議院議員選挙と生活者本位の改革

 首相にとっての今後の課題は参議院議員選挙の乗り切りである。このためには政策で成果を上げることが求められる。首相が成長策の柱として打ち出す科学技術振興のための投資や経済安全保障の観点に立った重要な産業基盤の国内整備はいずれも成果を短期間に生むことは容易ではなく、我々国民が理解するのにも時間を要す。やはり短期的に首相が国民に世の中が変わりつつあると実感させるためにデジタル化・シェアリング化を進める姿勢を鮮明にすることであろう。

 例えば、ライドシェアの解禁を目指す方針を示せば、政権が生活者本位で経済・社会を変革し、我々個人の生活をより便利にしようと志向していることは明確になる。

 首相はさらに姿勢を鮮明にし、首相に今後成長のための経済・社会の改革に取り組んでくれることを期待したい。

政策研究大学院大学教授

日本政治の研究、教育をしています。関心は首相の指導力、参議院の役割、一票の格差問題など。【略歴】東京大学法学部卒。スタンフォード大学政治学部博士課程修了(Ph.D.)。大蔵省、政策研究大学院大学助教授、准教授を経て現職。【著作】『コロナ危機の政治:安倍政権vs.知事』(中公新書 2020年)、『参議院とは何か』(中央公論新社 2010年)、『首相支配』(中公新書 2006年)、『戦前日本における民主化の挫折』(木鐸社 2002年)など。

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