「若い世代にプレーしてほしい」ーー「元祖メガネ先輩」が語る2022年北京五輪ホスト・中国のカーリング

王氷玉さん。英語も堪能でWCF(世界カーリング連盟)からの信頼も厚い(筆者撮影)

 5月15日、2022年北京冬季五輪まで1000日となった。市内朝陽区の北京五輪公園では残りの日時をカウントダウンする時計を始動させるなどのイベントが開かれたが、ここは2008年北京夏季五輪のメインスタジアムがあるエリアだ。

 08年の夏季五輪閉幕以降もオリンピック・グリーンの愛称で市民の憩いの場となっていて、1000日後の冬季五輪は雪上競技の多くは北京から150km北西の河北省張家口市で開催されるが、それ以外は北京市内で開催予定だ。開会式閉会式などのメインイベントもこのオリンピック・グリーンで行われる。

 カーリング会場は、08年の夏季五輪で水泳の競技場として使用された「ウォーターキューブ」こと北京国家水泳センターを改築する。カーリング会場のほかスケート競技も含めた総合スポーツセンターとしての機能も持たせ「アイスキューブ」に進化したのち、五輪終了後も氷上競技のトレーニング施設として通年で運用する構想だ。既に着工しており、カーリング会場は年内、スポーツセンターは来年2月にそれぞれ完成予定となっている。

アイスキューブに進化すべく工事中(2019年5月/筆者撮影)
アイスキューブに進化すべく工事中(2019年5月/筆者撮影)

中国におけるカーリング事情

 そもそも中国の人々はカーリングについてどれだけ知っているのか。興味を持っているのだろうか。

「中国で人気のスポーツはバスケットボールと、最近ではサッカーです。卓球も人気ありますね。冬季競技ではスピードスケートとフィギュアスケート、あとはホッケーでしょうか。でも徐々にカーリングへの関心も高まってきた気がします。世界選手権などではテレビのニュースで扱ったりもするんですよ」

 そう教えてくれたのは、先日、北京で開催されたカーリングW杯のグランドファイナルで、日本代表のロコ・ソラーレに通訳として帯同した林(リン)さんだ。大学で日本語を学び、貿易会社に就職した関係で、流暢な日本語を話す。

アジア人として初の世界選手権金メダリスト、王さん(筆者撮影)
アジア人として初の世界選手権金メダリスト、王さん(筆者撮影)

 カーリングは中国語で「冰壺」と表記し、「ビンフウ」と発音する。ストーンは「石壺」(シーフウ)だ。ウィンタースポーツ自体が盛んではない中国において、20年ほど前はほとんどの人が知らない競技だったが、徐々に知られていった歴史と経緯には、日本に所縁と共通点がある。

 日本にカーリングが「伝来」した時期と場所は諸説あるが、本格的に普及が始まったのは1980年の北海道とカナダ・アルバータ州の姉妹都市提携からだとされる。それに前後して両都市で文化スポーツ交流が行われ、カーリング体験会なども開催された。特に競技に熱心だった常呂町(現北見市)で継続されてゆき、多くのカーラーを生み、五輪出場などで徐々に認知されていった。

 同様にアルバータ州は1981年、中国最北の省・黒竜江省と姉妹都市として提携している。その縁で86年、北海道と黒竜江省も友好提携を結び、のちに常呂町と同じように黒竜江省都・哈爾浜(以下ハルビン)にもカーリングが伝来された。つまりハルビンは日本でいう常呂町のような、中国におけるカーリングのオリジナルの土地なのだ。

五輪初出場でメダルを獲得した中国代表

「多くの人がカーリングを知ったきっかけは五輪のメダルかもしれません」

 林さんがそう言う、「五輪のメダル」とは2010年バンクーバー五輪の中国女子チームが獲得した銅メダルだ。ハルビン出身のスキップ・王氷玉(ワン・ビンユウ)は国民的英雄として讃えられ、一気にカーリングが全土で認知されたという。このあたりの経緯も今回の日本の平昌五輪のメダル獲得と類似しているかもしれない。

北京のカーリング会場にて(筆者撮影)
北京のカーリング会場にて(筆者撮影)

 そして、バンクーバー五輪で男女通してカーリングは初出場だったにもかかわらずメダルを獲得し、大きなサプライズを起こした王氷玉は、その後も世界の第一線で戦い続けた。バンクーバーに続いて2014年のソチ五輪も出場し、結婚や出産で一度は引退も考えたようだが、現場やファンの要望で復帰を果たし、昨年の平昌五輪にも出場。ラウンドロビン(総当たり予選リーグ)日本代表のロコ・ソラーレに黒星をつけている。余談だが、平昌五輪では韓国代表のスキップ・金恩貞が「メガネ先輩」の愛称で人気となったが、コアなカーリングファンの間では「元祖メガネ先輩は彼女だ」という指摘があった。

 その五輪3大会連続出場で世界選手権を制したキャリアも持つ、中国カーリング界の生きるレジェンドは平昌五輪後に競技からの引退を宣言し、現在は北京五輪のカーリング競技のディレクターとして活動している。元々、カーリングの代名詞的選手なので普及と周知に一役買っているのは当然ながら、選手目線からの大会運営など細かい段取りもこなしているそうだ。

 今季から新設されたワールドカップも大会運営に携わり、W杯のグランドファイナルも連日、会場の首鋼アリーナに足を運んでいたが、彼女の人気は健在で、彼女と一緒に写真を撮りたいファンが人だかりを作った。

着実に進む冬季五輪の準備

 また、今回の会場だった北京の西側にある石景山区の鉄鋼メーカー・首都鋼鉄の工場跡地こそが、2022年の北京五輪の拠点となる。

首都鋼鉄の工場跡地(筆者撮影)
首都鋼鉄の工場跡地(筆者撮影)

 元々、1919年に創業した製鉄所だったが、大気汚染などの理由で郊外に移転。面積8平方キロの広大な跡地については、テーマパーク化やショッピングモール建設などの活用案が出たが、現在は公園として公開されているほか、組織委員会のオフィスビルをはじめ、オリンピックの概要や歴史、工事計画などをジオラマやパネルで展示したエキシビションセンターが開館している。

 この春からはW杯の会場だった冰球館(アイスホッケー)に加え、冰壺館(カーリング)、花樣滑冰館(フィギュアスケート)、短道速滑館(ショートトラック)の4施設が同時にオープン。敷地内ではナショナルウエアを着たアスリートを頻繁に見かけた。さらにスノーボードのビッグエアで使用される可能性のある滑雪大跳台(ジャンプ台)も廃炉などを活かして建設中だ。

 施設を見学したIOC幹部による「準備活動は順調に行われている」というコメントが現地紙には掲載されていたが、確かにどの施設も素晴らしいものだった。今回のカーリングW杯も常時100名以上の警備員を投入し、セキュリティは万全な印象を受けた。W杯は来季以降も中国主導で開催されるので、さらに無駄のない運営に洗練されていく期待が持てる。

 それに関しては大会後に中国メディアがスウェーデンやスイス、カナダや日本などの各国選手にインタビューをし「中国開催の大会はどうだった?」「2022年に向けて一言」という質問を繰り返していた。

W杯での中国メディアの取材の様子(筆者撮影)
W杯での中国メディアの取材の様子(筆者撮影)

 スイスのある選手は「素晴らしいコンペティションで、またここに戻って来られるように願っている」と模範的な談話を戻していたが、「その同じコメントをこっちのカメラにもしてくれ」「こっちも頼む」と3度ほど、リピートさせられていたのはいかにも彼の国らしいとも言える。

「五輪への期待は高いと思いますよ」とは前述の林さんの弁だが、カーリングのさらなる普及という意味での期待はどうなのだろう。W杯終了後、王さんを直撃すると、笑顔で丁寧に応じてくれた。

「やはり世界での成功(世界選手権の金メダルと五輪の銅メダル)から徐々に知ってもらえるようになったけれど、これからの部分もある」

 今回のW杯では観客は日によってまちまちだった。そして彼らは「相手の石をハウスから出す。円の中心に近いほうが勝ち」というベースの知識は持っているのだが、例えば、中国代表が「相手の石を少し押したい。でも出したくない」といった狙いのショットで、相手の石が出てしまったケースでも万雷の拍手を送っていた。そのあたりの理解もこれからだろう。

 続いて競技力という意味でも王さんは語ってくれた。

「私たちはカーリングをする施設が少ないという問題を抱えています。中国にはまだ13の施設しかない。ここ北京には3つ、あとは上海や私の故郷のハルビンにありますが、ホッケーアリーナと兼ねている場合も多い。まずは2022年の五輪で特に若い世代や学生に興味を持ってもらって、競技者を増やさないといけないと考えています」

近所の小学生などが観戦に来ていたが平日はガラガラだった(筆者撮影)
近所の小学生などが観戦に来ていたが平日はガラガラだった(筆者撮影)

 来季、W杯はまず9月に第一節が中国国内で行われる予定だ。11月にはパシフィックアジア選手権が、これも中国で開催されるとの情報があるが正式発表はまだされていない。「アイスキューブ」の完成予定が「年内」とされているので、こけら落とし興行に使用するとの意見もあるようだ。いずれにしても来年5月のW杯グランドファイナルは当地で開催されるだろう。その機会でまた理解は進むことが期待される。

 その頃には9月末に開業予定の世界最大サイズの新空港「北京大興国際空港」はじめ、その空港と市内を結ぶ高速鉄道や、滑雪大跳台なども完成している見通しで、公式マスコットも発表となっているはずだ。引き続き、五輪への準備や熱の高まりと共に、カーリングへの興味も広がっていくことを願う。

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