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おっさんのガヤが原点!? サード吉田知那美「運と勘と縁を信じて」世界最大の舞台へ

竹田聡一郎スポーツライター
「いつも通り自分たちが一番に楽しんできます」と羽田を発った(著者撮影)

 4年前、北海道銀行フォルティウスの一員として吉田知那美はソチ五輪の地を踏んでいる。当時はリザーブとしてメンバーのサポートがメインの仕事で、彼女への期待や注目はそれほど高くなかった。

 しかし、セカンドの小野寺佳歩がインフルエンザに罹ってしまい、その代役で8試合に出場。母・富美江さんは初戦の韓国戦から現地で観戦したが、娘の晴れ舞台をスタンドに座ってから知ったという。

「まさか出るとはねえ、不安しかなかった。韓国戦、覚えてないですから」

 そう涙ぐむ。小柄でよく笑い、涙もろいところは知那美、そして末っ子の夕梨花と共通だ。

 韓国戦こそ調子が上がらなかったが、続くデンマーク戦ではしっかりと代役を果たしチームの初勝利に貢献した。さらに3戦目のロシア戦ではチーム最高のショット率を残すなど強心臓っぷりを見せつける。伸び伸びとランバックやダブルなどを決めた後の笑顔を覚えているファンも多いだろう。

 吉田知の好リリーフもあり、日本は過去最高タイの5位という結果を残すが、新シーズンに北海道銀行はチーム再編を決めていた。彼女はその構想外となり---という挫折のストーリーはもはや有名な話だ。

 次の平昌までの4年を「そんなの考えられる状態じゃなかった」と本人は振り返るが、昨秋のカナダ遠征で改めて聞いてみた。ソチ五輪からのこの4年は吉田知那美というカーラーにとってどんな時間だったのだろうか。

「すごく難しいですね、それ。でも、ソチは本当にいい思い出で素晴らしい経験をさせてもらいました。自分の技術のなさや弱さを認められた、と今は思う。そう考えると、うまく言えないけれど、ちゃんと4年経ったかな、という感じですね」

 一時はアイスに立っている姿を人に見られるのが嫌で「夜中にこっそり一人で行ったり」らしい彼女を救ったのは、主将の本橋麻里だ。他のメンバー同様、吉田知も本橋への感謝が原動力のひとつだ。

「今も氷に立てるのは本当に麻里ちゃんのおかげ。毎年、毎年、助けてくれる。あの人は本当にすごい。本当に」

 吉田知加入のきっかけのひとつは、「おっさんのガヤ」だったと、その本橋が教えてくれたことがある。

「彼女が札幌を離れることを五輪が終わった後に聞いて。まあ、カーリング界は狭いので耳には入ってきます。会ったのは、地元(常呂町)でカーリング関係の納会か食事会かな。そこに顔を出してくれたんです。おじさんがたみんなベロンベロンで、和気藹々とした雰囲気の中、誰かが『巨人がダメなら阪神あるぞー』って大声で言ったんです。ガヤです。そしたらみんなドカーンと(笑った)。本人も泣きながら笑ってました」

 その愛すべきベロンベロンおっさんが言った巨人とはおそらく北海道銀行で、阪神はロコ・ソラーレ北見を指すのだろう。言い得て妙ではある。

 本橋らチームメイトは吉田知のことを“ちな”と呼ぶが、そのちなの加入はある意味では賭けだった。

「チーム内外に色々な声がありました。だけど、いい意味での刺激は絶対に必要で、ちなのあの悔しさが当時のロコには足りなかった。あとは本人が途上のチームに入って、自分で成長できてもいいんじゃないかなとは思っていました。それはチームを作った理由のひとつでもあったから」

 当の吉田知はチーム加入時をこう語る。

「『このチームで絶対、日本代表になる』とは言い切った記憶があります。けれど、100%自信があったかといえばそうじゃなくて。一人でただただ焦って周りに迷惑かけてみんなを振り回して」

 空回りしていた、と自身を省みる吉田知だが、チームメイトは彼女の加入で本橋の狙い通りに刺激を受ける。

「気付かされることが多かった」とはセカンドの鈴木夕湖だ。

「厳しい環境でやって戦力外通告をされて。そういう場所でやってきたチナにとっては私たちはぬるま湯(に浸かっている)みたいに映ったと思うんですよね。意識を変えてくれた人です」

 リードで妹の夕梨花は、ソチ五輪に姉が出場し、多くの人に「お姉ちゃんすごいね」と言われるのが嫌でコンプレックスを抱いていた時期があった。それでも姉を「すごく勢いのある選手。私にはないものを持っている」と言う。

「最初は意見がすれ違ったりしたけれど、コミュニケーションを重ねていくうちに自立し始めて、いまはそれぞれポジションに対しての責任、選手にしての責任、アスリートとしての意識が生まれた。一人のアスリートとして尊敬しています」

 本橋の「勝利への意志をちなが伝えてくれた」という言葉通り、チームは徐々に上向き始め、藤沢五月が加入した16/17年シーズンには日本選手権で初優勝を果たし、勢いそのままに世界選手権では日本として世界大会で初となる銀メダルを獲得する。

 大会後、吉田知は「メダルはもちろん嬉しかったけれど、それ以上に、とにかく楽しかった」とそう語ってくれたが、世界の舞台でも得意なランバックをはじめ多彩なショットで魅せた。

「あの子は大舞台では強いから」

 母の富美江さんは笑う。

 ただ、今回の五輪では明らかにまだ彼女はトップフォームではない。ラウンドロビンの最終戦、スイス戦後には自身の不甲斐なさからテレビカメラの前で涙も見せた。

 今年の彼女のテーマは「斟酌」らしいが、それでもチームも本人もよく耐えた。メダルへの道はまだ続いている。本当の「大舞台」はこの準決勝、あるいはその先の決勝なのかもしれない。

「私、運と勘と縁で生きてるんです」

 彼女はそう言っていたことがあったが、江陵の地でまだその運は続いている。縁は広がり、日本中が彼女を応援している。きっと準決勝で勘は冴えるだろう。大舞台の幕はついに開いた。

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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