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第33エンド「MD世界戦6日目フィンランド戦、今大会ベストゲームも惜敗し平昌への道は途切れる」

竹田聡一郎スポーツライター
試合前、スタンドに挨拶する阿部と小笠原。このペアで戦う最後の試合となってしまった

「一番、いいゲームでした。(NHKの)生放送で良かったです」

「最後の最後、ちょっとだけツキがあっちにあった。それくらいタイトな試合だった」

日本代表の小笠原歩と阿部晋也がフィンランド戦後、それぞれそう語ったように、予選7試合でもっとも好ショットの応酬が見られ、彼らのストロングポイントが出たゲームだったのではないか。

阿部はスイープを懸命に続けストーンを運び、戦局を変えるランバックも決めた。小笠原も大会を通して「まっさらなところで投げるのは難しい」と言い続けてきた1投目を試行錯誤しながら投げ一定のアベレージを残した。特にフィンランド戦の後半は、持ち前の勝負強さを発揮し、スキップショットを強い位置に送り込んだ。

命運を分けた最終8エンドも阿部が2点を取るセットアップを果たした。先攻のフィンランドのラストロックを前にハウス内にN0.1と2を作って、ミスが出れば小笠原の最終投を待つまでもなく日本の勝利が決まるシーンだった。

フィンランドのOona KAUSTEが狙ったテイクはガードをかすめ、ミスショットのように見えたが、次の瞬間、彼らの赤石に当たり、その赤石が日本の黄色だけを弾き、中央に止まった。怪我の巧妙というか、狙ってもできないミラクルショットだ。

「スポーツなので何があるか分からない」と阿部は悔やみ、小笠原も「これもカーリング」と割り切ったが、あまりにも不運な敗戦だった。グループリーグ敗退と平昌五輪への挑戦が終わってしまった。

五輪を逃したことについては「申し訳ないです」と小笠原はコメントしながら、レスブリッジまで応援に駆けつけた友人やチームメイトへの感謝も口にした。

今回、炊飯器持参でチーム阿部に帯同し、食の部分で大きなサポートを果たした小笠原の盟友・船山弓枝の存在も彼らの健闘の大きな要因だろう。

同時にコーチを務めた佐藤浩の存在もあった。毎日、全試合が終わったあと、ナショナルコーチのジェームズ・リンドと共にナイトプラクティスでストーンチェックを行い、チームに貢献した。佐藤は阿部、小笠原の常呂中学校の先輩で生徒会長だったこともあり、特に小笠原からは今も「会長」と呼ばれ慕われている。所属の4REALでチームメイトである阿部は「佐藤君がコーチボックスに座っているだけで頼もしい」と全幅の信頼を寄せているが、今回も佐藤の助言は心強かったはずだ。

最後に小笠原は、ペア結成からを振り返り「公式戦だけでも20試合くらいかな」と漏らした。世界で戦うには圧倒的に経験が不足していたし、新競技への戸惑は確実にあったはずだ。それを国内のライバルとのゲームや、帯同してくれた盟友や頼もしい先輩の献身が、限りなく軽減してくれたに違いない。カーリングが美しいスポーツだ、と思えるのはこういう時だ。

「魅力ある競技なので挑戦し続けるべき」

小笠原はそうも言う。

阿部は今季、所属の札幌4REALがチームとしての活動をするかどうかまだ未定で、小笠原は試合後に「私には愛するチームの仲間がいる」と語り、所属の北海道フォルティウスでの活動継続を示唆した。このペアは解散となってしまうが、この新種目の魅力やゲーム性、これからの取り組みについて多くの経験と課題を残してくれた。協会と選手、ファンも含めて強化の道を探らなければならない。

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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