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新型コロナウイルス感染症 定点把握への移行で直面する3つの課題

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
沖縄県新型コロナウイルス感染症対策本部・総括情報部(筆者撮影)

新型コロナウイルス感染症については、現在、全数把握が行われています。すなわち、診断した医師は、患者の名前や住所、電話番号などの個人情報を保健所に報告することになっていて、各都道府県が集計して毎日公表しています。

いま、これを定点把握へと切り替えるべく、厚生労働省が検討を始めています。定点把握とは、インフルエンザなど一部の5類感染症において実施されているもので、定点として選定された医療機関(人口30万人の市であれば5か所ぐらい)が、週当たりの発生数を保健所へと報告するものです。

たしかに、これにより医療機関の負担はかなり軽減されます。個別の患者情報を速やかに報告するという手間がなくなれば、日々の診療にあたる私たちとしては助かります。まあ、私たちは電子カルテに病名入力しているので、これを吸い上げて集計すれば、全数把握は続けられるのにと思いますが(台湾はそうしている)・・・ これは別の話。 

また、保健所も間違いなく楽になるはずです。人数(正確には、性年齢階級別の集計)だけが伝えられ、個人情報は伝えられないので、個別に健康観察をする必要がなくなる、というか「できなくなる」からです。受診先や入院先の調整も不要になります。定点把握への移行で最も恩恵を受けるのは保健所でしょう。というか、これまで大変すぎました。

「いいことづくめなら、さっさとやれ」と思うところですが、話はそんなに単純ではありません。当然、制度を変えれば、困ったことも起こりえます。むしろ、より事態は深刻になる可能性があります。このあたり、あまり語られてないようなので、ここでは現場目線で解説したいと思います。

その1 感染者の行動制限は自主性に委ねられる

誰が感染者であるかを行政が把握しなくなれば、個人に対して行動制限をかけることはできません。もちろん、新型コロナが「新型インフルエンザ等感染症」である限り、感染者には「感染を防止するための協力」が求められます(感染症法44条)。ただ、行政が感染者の個人情報を把握しているからこそ、そうした求めができるのであり、実際に協力しているかの確認も行えるのです。

たとえば、沖縄県では、夏休みに入ってから毎日50人前後の観光客において感染を確認しています。医師は県に個人情報を報告し、県は当該観光客に対して、「発症から10日間はホテルから出ないでください。また、飛行機に乗って帰ってはダメですよ」と足止めをかけています。観光客も大変だと思いますが、おおむね協力いただけています。

しかし、これが定点把握へと移行すれば、個人情報を持たない保健所は制限を伝えることはできなくなり、飛行機に乗ったとしても気づくことはありません。その後、咎める人もいないでしょう。つまり、感染者の行動制限は自主性に委ねられ、公的な行動制限がかからない社会に変わっていきます。

もちろん、現状でも把握されている感染者とは一部に過ぎません。ただ、この一部の人たちに行動制限を求めていることで、ある程度の意識づけが社会全体に効いています。実際、自己検査でコロナ陽性を知りながら、仕事に行ったり、飲み会に行ったりする人は、いまだ少ないと思います。しかし、この一部の人にすら制限がかからなくなれば、社会のタガは完全に外れていくでしょう。

当たり前ですが、定点把握になっても医療ひっ迫は生じます。ただでさえ、この夏の医療現場は大変なことになってますが、定点把握となることで、より気づくのが遅れがちになり、より長引くようになりかねません。

今後、医療崩壊の危機が明らかとなったとき、どのようなブレーキをかけることができるのか、あるいは医療供給を拡張する施策があるのか、議論を詰めておく必要があるはずです。

その2 受診や入院先の調整は現場任せとなる

現在、コロナ感染が確認された患者については、健康観察が行われるとともに、行政により受診や入院先の調整が行われています。

現実、医療崩壊してしまうと調整困難な状態となりますが、それでも最重症の方を優先的に調整するなどできることはあるのです。ところが定点把握へと移行することにより、この最低限の機能すら失われることに、気づいておく必要があります。

たとえば沖縄県では、HER-SYSというシステムに全例を入力し、日々の健康観察の内容とともにハイリスク者を重点的に管理しています。また、感染者全員に専用の電話番号を伝えており、県庁内に設置した健康観察センターにおいて受診相談(24時間)を受け付けています。

看護師で判断できるときは、そのまま受診先の紹介をします。状態が不安定であったり、妊婦、透析患者、あるいは認知症など調整を要する場合には、当番医が引き継いで受診先を決定しています。移動手段がない方の場合には、県が搬送車の手配までしています。なお、受診先の調整にあたっては、各医療機関の病床稼働状況、あるいは職員の休職状況も見据えて決定しています。

こうした仕組みにより、患者さんの状態に応じた受診や入院先を決定し、医療を効率化させるとともに救命率も上げてきました。しかし、定点把握になると、患者さん自身で受診先を探さなければなりません。あるいは、診療所が入院できる病院を探さなければなりません。

現場任せにすることで、間違いなく行政側は楽になるでしょう。ただ、受診先が見つけられない患者さんが多数発生し、一部の救急病院に受診が集中することになるでしょう。定点把握への移行により、さらに医療提供が非効率となり、ひっ迫しやすくなる可能性を私たちは危惧しています。

これを回避するため、沖縄県では、受診先が見つからない患者さんのためのコールセンターを新たに立ち上げることを検討中です。なにしろ日本では、コロナの検査費や医療費が無料です。ドラッグストアで薬を買うより、救急受診した方が安くすみ、自宅で療養しているより、入院していた方が食費すらかからず安くすみます。お年寄りにとっては安心です。

今後も自己負担を求めないつもりなら、医療ひっ迫が起こりやすいことを覚悟して、受診や入院の調整機能を維持させる必要があります。ただし、定点把握になれば、コロナ感染者の登録はされていないので、有症者なら誰でも電話できるオープンな相談窓口にしなければなりません。かなりな拡充が求められ、人材確保も含めて悩ましいところです。

各医療機関の入院状況と受け入れ可能数をリアルタイムで把握(沖縄県)
各医療機関の入院状況と受け入れ可能数をリアルタイムで把握(沖縄県)

その3 高齢者施設の集団感染が気づかれにくくなる

現代社会において、もっとも感染症に脆弱なのは高齢者施設です。ハイリスクの高齢者が集団生活をしており、かつマスク着用など日常的な感染対策をとることが難しい方も少なくありません。

沖縄県では、県庁内に施設支援班を設置し、医師と看護師を登録したうえで、徹底して高齢者施設の支援に取り組んできました。高齢者施設からの連絡を待つのではなく、医師からの報告において、高齢者施設の入居者や介護従事者の感染を確認したときに、こちらから連絡をとって支援を開始しているのです。

しかし、定点把握になると、高齢者施設で感染者が発生していても、施設側から相談がなければ介入することはできなくなります。施設の中には、自己流の感染対策をとりながら、事態を楽観視するところがあるかもしれません。いずれ相談にくるとしても、一手も二手も遅れてしまい、さらに大きなクラスターとなってしまうことも考えられます。

筆者作図
筆者作図

もちろん、こうしたプッシュ型の支援には限界があります。すでに第7波では回り切れておらず、求めに応じた支援へと切り替えていく必要があります。沖縄県においても、添付の図のように、「各施設において自主的に対応していただきたいこと」を明示したうえで、必要に応じて施設支援班が介入する仕組みを提案しているところです。

ただ、かなり丁寧に施設支援に取り組んできた沖縄県においても、この定点把握への激変に備えられているとは言い難いのが正直なところです。よって、定点把握になったとしても、高齢者施設における感染者発生を早期探知するようなサーベイランスが必要だと思います。

高齢者施設で感染対策の指導をする支援看護師(筆者撮影)
高齢者施設で感染対策の指導をする支援看護師(筆者撮影)

以上、定点把握への移行に伴って生じてくるであろう3つの課題について、沖縄県で取り組んできた視点から説明させていただきました。

誤解のないように申し添えますが、私は定点把握への移行は必要だと考えています。ちょっと遅いぐらいです。ただ、どうも現場の負担軽減ばかりが語られていて、どのような影響が医療や社会に生じるのか、議論されていない、備えられていないようで心配しているのです。

これまでの全数把握では、行政が個人情報を把握してプッシュ型での介入が行われてきました。これに対して定点把握になれば、行動制限も感染対策も個人の自主性に委ねられるようになります。これが決定的な違いです。

多くの人にとっては、行政の介入なんて、まっぴらゴメンなわけで、定点把握は大歓迎なことでしょう。ただ、社会のなかのリスクが高まることは許容しなければなりません。たとえば、飛行機に乗ったときに、「隣にコロナ感染者がいることもあるよね」ということ。

また、世間には、自主的に管理することが難しい人たちがいます。高齢者施設の入所者もそうですが、独居の高齢者のなかにも少なからずおられます。いえ、多かれ少なかれ、私たちは自主的な管理を苦手としているのです。

だからこそ、いきなり行政側の負担軽減として「あとは自己管理です」と大きく舵を切るのではなく、ここで指摘したような課題について、しっかりとした備えをお願いしたいと思います。

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミックに対応する医療体制の構築に取り組んだほか、少子高齢社会に対応する地域医療構想の策定支援などに従事してきた。臨床では、感染症を一応の専門としており、地域では、在宅医として地域包括ケアの連携推進にも取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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