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新型コロナって、インフルエンザよりも危険なんですか・・・?

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
(写真:ロイター/アフロ)

最近、よく聞かれることなのですが、感染症のリスクを比較するのは容易ではありません。「誰にとってのリスクなのか」とか、「病原性だけで語っていいのか」とか、リスクにも、様々な切り口があるからです。

私たちの業界では、疾病のリスク評価について、起きてしまったときの「重大性(影響)」と起きうるかどうかの「可能性(頻度)」のマトリックスで検討するのが一般的です。

ここで言う「重大性」とは、罹患した場合の重症化率や致命率を指しますが、医療への負荷(コスト、資源集中)や社会機能への影響などを含むことがあります。一方、「可能性」とは、それが発生する確率を示しており、国内外の流行状況や今後拡大しうるかどうかによります。たとえば、エボラは重大な疾患ですが、日本国内で感染する可能性は低いので、そのリスクは低いと評価することができます。

新型コロナに罹患したときの個人に及ぼす影響については、すでに明らかになっています。多くの若者にとってはインフルエンザと同等(あるいは、それ以下)であっても、高齢者や基礎疾患を有する者にとっては死に至ることも想定される重大な感染症です。これほど容易に肺炎を引き起こし、呼吸状態を悪化させ、次々に気管挿管へと陥れることは、インフルエンザでは経験しえないことです。

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よって、新型コロナがインフルエンザよりも危険かどうかの評価は、今後どれだけ感染拡大するかの見通しにかかっています。これは・・・ まだ分かりません。たしかに、「たいして流行しないだろう。よって警戒には値しない」との見通しを否定する証拠はありません。

ただ、2つ事実があるため、十分な警戒を続けるべきだと私は考えています。

ひとつは、この夏、これだけ人々がマスクを着用し、手洗いを心掛け、人との距離を保っているにもかかわらず、新型コロナの流行を許してしまったということ。この感染力の強さは脅威です。

もうひとつは、(日本と比して)十分な対策をとらなかった米国では、630万人の感染が確認され、そのうち19万人が死亡しているということ。平均しても1日あたり1000人が死亡していることを意味しています。4月のピーク時には、2000人を超える日も続きました。単純に日本の人口に当てはめると、連日700人以上が死亡することになります。これはインフルエンザの比ではありません。

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この「可能性」をどう読むのか・・・ ということだと思います。起きないなら起きないで良いのですが、それを支えるだけの根拠(ファクターXなど)が明らかではありません。まあ、私も米国のようなことにはならないと思いますが、インフルエンザよりも少なくて済む(から何もしなくて良い)というのは楽観的すぎます。

やはり、従来のコロナウイルスが冬に流行するという経験も重ねつつ、それなりの流行に備えるべきだと思ってます。そして、罹患したときの「重大性」と掛け合わせれば、新型コロナのリスクは大きいと言わざるを得ません。

以上、保健医療の重大性のみで論じてきました。もちろん、社会経済にとっての重大性を鑑みた調整も必要です。その領域の専門家からの発言にも耳を傾けたいと思います。そして、これからも議論を重ね、落としどころを探していく必要があります。

おそらく、4月のように社会経済を止めてまでの封じ込めはしないでしょう。ただ、軽症者は自宅かホテル療養を前提としてもなお、重症者の受け入れができないほど医療体制がひっ迫したときは、やっぱり、社会全体に影響を及ぼす決断をいいただかなければなりません。その選択肢は手元に残しておくべきです(医療側からのお願い)。

新型コロナの社会への影響を抑えていくためにも、日ごろから若者も含めて感染対策に協力いただき、何より高齢者は感染予防を心掛けるよう、お願いしたいと思います。

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミックに対応する医療体制の構築に取り組んだほか、少子高齢社会に対応する地域医療構想の策定支援などに従事してきた。臨床では、感染症を一応の専門としており、地域では、在宅医として地域包括ケアの連携推進にも取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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