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ワクチンが開発されても、ウイルスは根絶されない

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
(写真:ロイター/アフロ)

厚生労働省は、6月16日、3都府県で実施していた新型コロナウイルス抗体検査の結果を発表しました。東京都では1971人中2人(0.10%)、大阪府では2970人中5人(0.17%)、宮城県では3009人中1人(0.03%)が抗体陽性と判定されたとのこと。

ただし、使用した検査キットによって判定に違いがありましたし、この結果が、どれくらい「過去の感染」を反映しているかは不明ですね。抗体の持続期間(もっと正確に言うと、検査で陽性となるだけの血中濃度を維持する期間)が短ければ、当然、結果はバラつくことでしょう。分かったのは、抗体陽性者の数であって、感染者数ではないという当然の理解が必要です。

また、母集団に対する陽性者数が少なすぎるため、単純に人口に乗じて感染者数を導くようなことをしてはいけません。そういう基本的な理解のない報道があまりにも多くて仰天しました。

たとえば、東京都の陽性者数は2人でしたが、もう1人発見するだけで、陽性率は1.5倍になります。こうした疫学データは、信頼区間をもって論じるべきであり、さらには検査の特性(偽陽性率など)を考慮する必要もあります。要は、この結果から言えるのは、「それほど感染は広がってなかったようだ」という質的な結果のみです。

なお、抗体検査の結果が陽性であることは、おそらく過去の感染を意味していますが、今後の感染から守られることを保証しません。免疫というのは複雑なシステムであって、抗体だけで決まるものではないからです。たとえば、インフルエンザワクチンを接種すれば抗体は誘導されますが、重症化は予防できても感染防御は十分でありません。

その反対に、抗体検査の結果が陰性であっても、ウイルス感染から守られる免疫が成立していることもあります。たとえば、B型肝炎ワクチンを接種してから時間が経つと、抗体検査の結果が陰性になることがあります。ところが、感染防御効果は続いていることが分かっています。

今後、ワクチンが開発されれば、誰しもが感染から守られるようになり、集団免疫に到達してウイルスが根絶されると期待する人もいるようですが… たぶん、話はそんなに単純ではありません。

以下、新型コロナウイルスに対するワクチンと免疫の考え方について、いつものようにQ&A形式でお話しします。

―― ワクチンが開発されれば、私たちは感染しなくなるのか?

感染防御効果が明白で、十分な持続期間のあるワクチンが開発されれば、私たちは感染しないだけの免疫を獲得し、運が良ければウイルスを根絶できるかもしれません。ただ、これはもっとも楽観的なシナリオと言えます。

感染防御効果は期待できず、重症化予防のワクチンしか開発されないことも考えられます。この場合、感染と発症は予防できないため、高齢者や基礎疾患を有する人に対する定期接種が必要になります。新型コロナウイルスは、季節性の感染症として人類に定着するでしょう。

ワクチンに感染防御効果があったとしても、免疫の持続期間が短ければ、集団免疫へ到達することはできません。長きにわたり散発的流行が繰り返されるでしょう。もちろん、そもそも有効かつ安全なワクチンが開発できない可能性も考慮しておく必要があります。

―― 感染防御効果のあるワクチンが開発されれば、ウイルスは根絶できるか?

おそらく無理です。有効なワクチンが供給されたからといって、皆さんが接種するとは限りません。ワクチンの強制接種はできません。マスクや手洗いと違って、ワクチンには副反応のリスクがあります。このウイルスが大きな脅威とはいえない若者たちに接種が進むのか、少し冷静になった方がよいと私は思います。

たとえば、麻疹を例に挙げてみましょう。麻疹ワクチンには感染防御効果があり、2回接種すれば感染の可能性をゼロに近づけることができます。でも、私たちは根絶できていません。2018年には世界的な流行があり、世界保健機関(WHO)と米疾病対策センター(CDC)によると970万人以上が感染し、14万2300人が死亡したとされています。ヨーロッパでも乳幼児を中心に200人の死者が出たとされますが、子どもに予防接種を受けさせないワクチン懐疑派が増えてきていることが主たる原因と考えられています。

安全なワクチンが開発されることを期待していますが、多少なりとも副反応の疑念がある場合には、若者たちを接種へと駆り立てない方がよいでしょう。臨床研究が不十分なワクチンを輸入することには、とくに慎重であるべきです。ワクチン全体の信頼に関わる問題となりかねません。

もうひとつ、根絶が難しそうな理由があります。イヌやネコなどの動物も新型コロナウイルスに感染していることです。香港では、ヒトの飼い主から複数のイヌへの感染事例が確認されています。ちなみに、イヌは無症状だったそうです。また、ネコ同士で感染することを、東大の河岡先生らが確かめています

コロナウイルスの一種によるMERSが根絶できない理由のひとつに、ヒトコブラクダが保有宿主になっていることがあります。同じくコロナウイルスの一種によるSARSのときには、ウイルスを媒介する動物(ハクビシンなど)との接触を断つことで制圧しましたが、中東の人たちにとってラクダは生活の一部なので無くせないのです。

そして、今回の新型コロナウイルスを媒介しうるイヌやネコもまた、私たちの生活には欠かせぬ存在です。つまり、ヒトへのワクチン接種を徹底したとしても、動物からの感染が続くかもしれません。まだ不明のことが多いので、今後の研究が進むことを期待しています。

このあたりの考え方は、日本脳炎への対策が参考になります。日本のブタ、イヌ、ウマの一部は、いまでも日本脳炎ウイルスを保有していますが、1967年から1976年にかけて、日本人全体にワクチンを接種した結果、劇的に感染者が減少しました。

つまり、新型コロナウイルスを自然界から根絶することは難しくとも、ワクチンの定期接種化によって、被害を最小化できる可能性はあると思います。小児期に接種するか、高齢者になってから接種するか、それは免疫の持続期間によって決まります。ただ、開発されるのは生ワクチンではなさそうなので、おそらく高齢者用になるのではないかと推察します。

―― ワクチンの接種順位はどうやって決定するのか?

重要な課題です。高齢者や基礎疾患を有する人のあいだでは、接種の優先順位をめぐって葛藤が生じる可能性があります。新型コロナウイルスの病原性については、いまだ不明な点も多く、これを決定するプロセスは困難を伴うかもしれません。

たとえば、70歳と90歳では、明らかに90歳の方がハイリスクですが、活動性は70歳の方が高いでしょう。どちらを先に接種すべきでしょうか? 同じ60歳でも男性の方が女性よりハイリスクと考えられていますが、女性を後回しにしてよいでしょうか? あるいは、80歳の高齢者と10歳の喘息小児は、どちらを優先すべきでしょうか? こうした話し合いを詰めていく必要があります。

2009年の新型インフルエンザのときは、厚生労働省が中心になってワクチンの接種順位を決定しました。一方、米国では、予防接種諮問委員会(ACIP)が中心的な役割を果たしています。日本でも、そうした専門性が活かされる組織を立ち上げるべきだという意見があります。私も同じ意見ですが、米国のACIPに対して、政府も、議会も、そして市民も、絶対的な信頼を寄せていることを忘れてはなりません。信頼関係のないところに、いくら専門組織を立ち上げたとしても混乱が助長されるばかりでしょう。

つまり、専門組織を立ち上げれば信頼が得られるのではなく、信頼関係のもとに専門組織を設立する必要があるはずです。ただ、国会の参考人質疑を拝聴していると、専門家と政治家のあいだにすら不信が根強くあるように感じます。

―― どうすれば信頼関係が取り戻されるか?

わかりません。わかりませんが、いま、大きな変化が始まろうとしています。2020年は大きな変化の年になるのでしょう。大切なことは、この流れを止めないことだと思います。

情報空間が大きく変わったため、構造的な問題や不正を市民は目の当たりにするようになりました。新型コロナウイルスの被害状況は、人種や貧富における格差の問題を浮き彫りにしました。健康格差、デジタル格差、アクセス格差… アメリカから世界へと抗議デモが連鎖しています。世界でも、日本でも、パンデミックは「目覚まし時計」の役割を果たしていると思います。

とくに日本では、未来世代との公平性の問題。当初予算、第1次、第2次補正予算を合わせた2020年度の歳出は160兆円を超えています。経済の回復に努めることに異論はありませんが、所得税や消費税の改革なしに、この巨大な借財をどう処理するつもりなのか。さらに、ワクチンにどれだけの予算を組むつもりなのか…。

ワクチンを心待ちにする前に、私たちは、こうした矛盾と真剣に向き合う必要があります。日本の政治には、世代を超えた連帯と協調を築くリーダーシップを発揮してほしいと思います。そうした準備を果たすことなく、ワクチンの供給を始めてしまうと、分断と憎悪の引き金をひくことにもなりかねません。その意味で、残された時間は限られていると心配しています。

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミックに対応する医療体制の構築に取り組んだほか、少子高齢社会に対応する地域医療構想の策定支援などに従事してきた。臨床では、感染症を一応の専門としており、地域では、在宅医として地域包括ケアの連携推進にも取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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