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活動を再開すれば、いずれウイルスは持ち込まれる

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

沖縄県では、1ヶ月以上にわたって新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いています。この間、求められていたイベント自粛は解除され、閉ざされていた学校も再開しました。私の子どもたちも、ようやく学校に通えるようになりました。それにしても、結局、オンライン授業が実現しなかったのは残念でなりません。

全国でも流行が収束してきていることから、沖縄県では、段階的に観光客を受け入れ始めています。美ら海水族館や首里城公園などの観光施設も営業を再開しました。今月19日には、東京都や福岡県など一部地域に残されていた渡航自粛要請についても全面解除とする予定です。

沖縄県の社会経済活動は活発になっていきます。とても良いことだと思います。とはいえ、新型コロナウイルスが日本から消えたわけではありません。いわんや、世界では大きく流行している国や地域があります。私たちが世界とつながっている以上は、沖縄へとウイルスが持ち込まれるリスクは常にあります。

もちろん、じっと閉じこもっていることにも、暮らしや教育、仕事が犠牲になるというリスクがあります。私たちは、どのようにリスクと向き合っていくべきなのでしょうか? メディア関係者からよく質問されるテーマです。ここでは、観光と教育の再開を足掛かりにして、「新型コロナウイルスのある世界」における暮らし方について提案します。

―― 沖縄が観光を再開するが、どうすれば持ち込みを防げるか?

無理です。防ぐことはできません。先日、観光事業者との話し合いの場にて、私は次のように申し上げました。

「いかに水際対策を強化しようとも、それでウイルスが持ち込まれなくなるとは思わないでください。観光を再開するならば、ウイルスが持ち込まれることを前提として、それをいかに早期に発見し、拡大させないかをそれぞれの事業者で考えていただければと思います」

観光に限らずですが、今後の感染対策を考えるうえで、重要なポイントがあります。それは、世界のほとんどの国が、新型コロナウイルスの封じ込めを諦めて、このウイルスと共存する道を選んだということ。私たちは「新型コロナウイルスのある世界」を受け入れたのです。

日本政府もまた、国内における感染拡大を防止すること、とくにオーバーシュートと呼ばれる爆発的拡大を防止することを基本的な方針としています。理屈上は封じ込めることも可能かもしれませんが、そのために犠牲となる社会経済があります。そもそも、欧米諸国が封じ込めを諦めているのに、日本がコロナフリーを維持しようとするのは現実的ではありません。

というわけで、私たちは「地域で新型コロナを発生させない」ではなく、「地域で発生することはあるが広げない」ことを目標にして、感染対策をとっていくことになります。観光の現場でも、観光客や従業員が発症することはあると思います。大切なことは、そのことに早期に気づき、適切な治療を受けさせ、地域に感染を広げないことです。

ただし、このウイルスは高齢者や基礎疾患を有する人には高い病原性を有しています。若い人でも、死亡リスクは低いとはいえ重症化することがあります。ですから、「感染しても仕方がない」と無頓着になって、必要な感染対策を疎かにすべきではありません。

事業者ごとに顧客の特性(高齢者が多いなど)があり、従業員との関係性(密接さなど)もあるでしょう。感染リスクをどこまで許容できるかは、事業者ごとに決める必要があります。

―― 学校でも発生する可能性がある。仕方ないのか?

この感染症は社会に広がっています。いまは一時的に収束していますが、いずれまた流行します。そのプロセスにおいて、ずっと休校しているなら、学校で発生することはないでしょう。でも、市中で子どもたちは感染するでしょうが…。

観光の再開と同じで、学校を再開する以上は、ウイルスが持ち込まれるリスクがあります。このウイルスは、乳児については不明な点もありますが、小児にとって病原性は高くないことが分かっています。もっぱらインフルエンザよりも症状は軽く、死亡することは極めて極めて稀です。

沖縄県の教育部局が一斉休校の判断をしたときに、専門家会議で強く念を押したことがあります。

「子どもたちにとってリスクの高い感染症ではありません。子どもたちが持ち込んだ感染症でもありません。大人たちを守るために、子どもたちに協力してもらうことを忘れてはなりません。子どもたちに学校を休ませながら、一方で、大人たちがゴルフだ飲み会だと楽しむとすれば本末転倒です。それなりの覚悟で大人たちも取り組むべきです。そして、今回の休校措置のあいだに、学校を閉じなくてもよい方法をみつけましょう」

結果的に、あまりにも長い休校となりました。小学校への入学を楽しみにしていた1年生たち。新品のランドセルを眺めながら、どうして学校に行けないのかと寂しく思っていたことでしょう。子どもたちにとって、成長のために大切な1日1日だったはず。

私たちの国は、若い世代にツケを払わせながら高齢者を支えてきました。財政とのバランスを欠いた手厚い年金、高齢者負担を極端に減免した医療…。あれこれ言うつもりはありませんが、高齢者を感染症から守るためにと、子どもたちの未来を奪うことはやめましょう。もっと、直接的に高齢者を守る方法をとるべきです。

―― 今後、どのタイミングで休校するのが適切か?

科学的な根拠に基づきつつ、地域ごとに話し合って決める必要があります。私自身は、発生するかもしれないからと、ずっと学校を閉じておくことには反対です。発生したときにどうするか、きちんと決めておけばよいと思ってます。

まず何より、症状のある子どもは確実に休むことをコンセンサスとしなければなりません。これが大前提です。そして、同じクラスや部活動などで2人以上の病休が出たら、医療機関を受診させてPCR検査を受けさせること。ちょっと大変ですが、当面は地道にやっていった方がよいでしょう。

生徒への新型コロナへの感染が確認されたとき、学校を休ませるのは、感染者と濃厚接触者(同じクラス、部活動など)までとします。ただし、サーベイランスは強化する必要があり、やはり広がっていくようであれば、収束するまでは全校休校とすることも考えられます。

その一方で、基礎疾患のある子どもを守る必要があります。我が家にも免疫抑制剤を内服している子がいるのですが、地域で感染経路不明の患者が出たときなど、たしかに不安になります。そういうとき、気軽にオンライン授業へと切り替えられるようにしてくれると助かります。

新型コロナに限らず、学校に行けない子どもたちがいるので、これをきっかけに整備してほしいところですね。いまできないんだったら、もう、日本の教育は変われないんじゃないでしょうか?

―― 対策を維持すべきところ、緩めてよいところの判断が難しい。

実は、新興感染症の流行初期とは、こんなものなのです。最初の流行は徹底して封じ込めます。4月の流行がまさにそうで、住民は大変でしたが技術的には難しくありません。

難しいのは、ウイルスの特性を見切って、対策を緩めていくプロセスです。これには科学的な根拠が必要ですし、強弱のつけ方について住民とのコンセンサスが求められます。

2009年の新型インフルエンザのときもそうでした。最初は5月に大阪・兵庫で小流行がありましたが、やはり徹底して封じ込めました。学校は休校、イベントは中止、濃厚接触者を含めて全員がタミフル内服。しかし、病原性と感染力の理解に基づいて、6月以降は運用指針を緩めていきました。

新型インフルエンザと新型コロナは違うウイルスですが、いま、同じように調整が求められています。高齢者においてウイルスの病原性は高いですが、(東アジアのライフスタイルでは)感染力はインフルエンザほど強くはありません。社会経済を止めるほどではなく、突破口を見つける必要があります。

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミックに対応する医療体制の構築に取り組んだほか、少子高齢社会に対応する地域医療構想の策定支援などに従事してきた。臨床では、感染症を一応の専門としており、地域では、在宅医として地域包括ケアの連携推進にも取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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