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茨城ロボッツを率いるグレスマンが語るコーチ人生。「私はコーチ以外の仕事を見つけることができなかった」

青木崇Basketball Writer
茨城のB1昇格に大きく貢献したグレスマンコーチ 写真提供/B.LEAGUE

 2016-17シーズン終了後、ヘッドコーチだったジム・フェリーが解任されたことにより、リチャード・グレスマンはNCAAディビジョン1のアトランティック10に所属するデュケーン大のアシスタントコーチとしての仕事を失ってしまう。“コーチは解任されるために雇われる”と言われるだけに、他のチームで新たな仕事を見つけなければならない状況になるのは世界共通。グレスマンは他の大学での機会を探りながらも、海外でコーチしてみたいという思いもあった。

 世界のバスケットボール界は広いようで狭い。グレスマンの場合も例外ではなかった。ちょっとしたタイミングと縁ができたことで、2017−18シーズンからB2の愛媛オレンジバイキングスのヘッドコーチという仕事を手にすることになった。

 ヘッドコーチを務めるのは2002−03シーズンのウィーロック・カレッジの女子チーム以来だったが、10シーズン連続で負け越していた愛媛を3年間で2度、勝率5割以上の成績へと導く。そして、昨シーズンから茨城ロボッツのヘッドコーチに就任すると、経営陣の期待に応えて1年でB1に昇格させるという結果を出した。

 B1で苦戦を強いられている茨城だが、グレスマンコーチはチームのレベルアップを実感している。そんな指揮官のキャリアに興味を持っていた筆者は、広島ドラゴンフライズとの2連戦に向けて準備していた1月15日、1対1で30分ほど話を聞く機会を得た。

——Bリーグでのコーチングが5年目になります。新型コロナウィルスの影響を受けている中ですけど、日本での生活はいかがですか?

リチャード・グレスマンコーチ(以下RG):私たちは日本をすごく気に入っています。妻と5歳でもうすぐ6歳になる双子がいますが、日本は幼い子どもたちにとって本当によい場所だと思います。もちろん、新型コロナウィルスがそれを変えてしまいましたが、正直に言えばそれは日本だけではありません。もし、アメリカにいたとしても、私がヨーロッパやオーストラリアなどでコーチをしていたとしても、同じように新型コロナウィルスによる制約がありますし、どこに住んでいても対処しなければならないのです。だから、日本にいるから新型コロナウィルスに対処するということではなく、世界中のだれもがいろいろと調整しなければならなかったのだと思っています。

——今シーズンの茨城にとって、B1のチームと戦ううえで最大のチャレンジはどんなことでしょうか?

RG:もちろん、昨年のチームにいた選手たちには何らかのご褒美があると思うんです。群馬との最後の試合は5月23日。だから、シーズンの終わりが遅かったし、新しいチームに向けた補強も遅々として進みませんでした。今年がこれまでとはまったく違う展開になることは分かっていましたし、このような事態も予想されたことでした。正直なところ、サイズが足りないというところから始まっていると思います。今、私たちはディフェンシブ・リバウンドがリーグ最下位ですし、様々なディフェンスをやってもリバウンドが取れていません。他にもいろいろありますが、間違いなくサイズ不足だと私は思ってます。特にリバウンドは、スタッツの改善を必要とされる最も困難な問題です。

——今の茨城というチームで最も気に入っているところは?

RG:正直、性格のいい選手がたくさんいるのは知っています。B1を経験したことのある選手があまりいない、新しいB1チームという厳しい状況の中で、そのような選手たちが集まってくれたことは本当に助かりました。というのも、新しく獲得した選手でも、B1で何シーズンも重要な役割を果たした選手は(多嶋)朝飛だけなんです。B1経験のある選手が少ないというのは、もう一つの課題ですね。でも、肝心なのは本当に性格のいい選手が揃っているということです。だから、困難な状況にあるときは、全員が力を合わせたいと思うもの。幸いなことに、我々の選手たちはこのチャレンジに挑む性格のいい連中ばかりで、正直に言えば、それが私たちを向上させてくれるのです。チームはシーズン開幕からずっとよくなってきていますし、今年中にもっと勝ちたいのなら、もっとよくなり続けなければなりません。

——コーチ人生のハイライトとして、昨シーズンB1に昇格したことがあげられますと思います。改めてどんなシーズンでしたか?

RG:最高でした。もちろん、最終戦に勝って優勝したいとは思いますが、同時に、日本はB1昇格がより重要なポイントになっていることもわかっています。ロボッツは昨年、B1昇格にフォーカスしていました。それは私自身が感じていたことですし、正直なところ、自分たちならできると思っていました。ヘッドコーチをしていて、優勝争いができる、B1昇格ができるといったことは、茨城県全体にとって本当に大きなことだとわかっていました。何が起こるかわからないからこそ、それを実現させたいという内なるプレッシャーがあるのです。もし昨年B1昇格を果たせず、たとえ今年同じチームとして戻ってきても、アツ(平尾充庸)や外国籍選手がケガをしたら、その選手の代わりをすることはできませんよね? だから、質問の答えを遠回しに言ったんです。本当に特別な年でしたが、ストレスも多く、夕日に向かって順調に物事が進み、すべてが完璧というわけではありませんでした。私のコーチングキャリアの中で最も特別な年でしたが、順風満帆というわけではなく、シーズンの初めにはたくさんの難題に直面しながらも、B1昇格に向けて年を追うごとに良くなっていくプレッシャーを常に感じていました。

——あなたのキャリアについてお聞きします。なぜバスケットボールコーチになろうと思ったのですか?

RG:いい質問ですね。なぜなら、私はコーチ以外の仕事を見つけることができなかったのです。ボストンにあるNCAAディビジョン3のエマーソン・カレッジでプレーし、本当にいいキャリアを積んでいましたし、ヘッドコーチともいい関係でした。とてもみんなの仲が良いチームで、私がいた大学には本当にすばらしいカルチャーもありました。ただし、大学を卒業したとき、「これをやりたい!」というような確固たるものがありませんでした。コミュニケーション・メディア・アートの学位を取得しましたが、やっぱりバスケットボールのコーチになりたいという思いが強くなりました。大学を卒業したばかりのころに配達の仕事を少しやりましたが、大学時代のコーチの助けもあって、NCAAディビジョン2に所属する大学のアシスタントコーチとしてパートタイムで働くことになりました。そこから出世してディビジョン2のアデルフィからロングアイランドへ行き、そこでディビジョン1のアシスタントコーチとして6年間働き、それからロングアイランドのときのボス(ジム・フェリー)と一緒にデュケインへ行ったのです。だから、日本に来る前の11年間は、同じボス、同じヘッドコーチの下で過ごしたことになります。だから、すべてがあっという間だったのです。

——現役時代のあなたはガードとしてプレーし、エマーソン・カレッジでキャプテンを務めました。どんな選手だったのですか?

RG:大学時代のハンク・スミスコーチとこの夏に話をした際、私は分析学の権威だというジョークを言っていました。それは当時の私がより賢かったからではなく、オープン3が決められたのにレイアップばかりを決めたがっていたからです。私にはミッドレンジのゲームがなかったけれど、パスができたし、リバウンドが奪えるアタッキング・ガードというアグレッシブな選手でした。シューターとしてはローリリースでスピードがとても遅かったので、時間があればシュートを打つことができましたが、高いレベルの試合になるとシュートを打てませんでした。だから、(ジャンプ)ショットの本数は少なかったですね。

——ロングアイランド・ブルックリンやデュケーンというNCAAディビジョン1のチームでアシスタントコーチやリクルーターをしていました。いい選手を見つけて補強することが、チームがB1で成功するためのカギになります。あなたが選手をリクルートするうえで重視していることは?

RG:正直なところ、この1年間はあまり選手をリクルートできませんでした。私たちは、我々がやらなければならないシステムに適した選手を集めなければならないのです。経営陣、コーチングスタッフ、選手の全員が同じ考えを持って、特定のバスケットボールのシステムにフィットするように取り組む必要があります。アメリカの大学レベルでは自分のやりたいように選手を集めることができますが、ロボッツの場合は非常に賢く、ベストなシステムを考えなければなりません。私はいつもアップテンポのバスケットボールをプレーしてきましたので、速くプレーしたいのです。でも、正直なところ、今のロボッツのような状況下では、違うスタイルでプレーする柔軟性が必要かもしれません。改めて質問に対する答えですが、B1のリクルート活動において茨城は予算が潤沢にあるチームと言えませんから、我々のアイデンティティに合う選手を見極める必要があるのです。

——アシスタントコーチを務めていたデュケーンでは苦戦のシーズンが続きました。2017年に愛媛オレンジバイキングスと契約するわけですが、日本でヘッドコーチをやってみようと思った理由は?

RG:他の大学で仕事はあると思っていたのですが、海外でコーチをしたことのある人たちとも話をしていました。彼らは日本に来たことがなかったですけど、日本でプレーしていた選手(現京都ハンナリーズ・アシスタントコーチ)であるクリス・ホルムと話をすると、彼を筆頭に多くの人が日本についてとてもポジティブなことを言っていました。また、Bリーグが発足したことで、日本のバスケットボールがよりよくなるために資金を投入していることもわかっていました。だから、日本がいいところだということは知っていました。私は人生のどこかで“海外のチームでコーチをしたい”とずっと思っていました。子どもがまだ小さかったこともあり、もし実現させるならあの年は自分にとってのチャンスだと思ったのです。正直なところ、その仕事は1年間だろうと思っていましたが、私も妻も日本を気に入りました。オレンジバイキングスでは最初の2年間でかなりうまくいったので、また戻ってくることができたのです。日本は今年で5年目ですね。

——日本でのコーチングで最初にアジャストしなければならなかったことは?

RG:日本でコーチすることはどのコーチにとっても素晴らしい経験になると思います。ただし、選手と関係を築き、さまざまな方法で選手との絆を深め、コーチとして選手を大切に思っていることを示すことができなければなりませんが、常にコミュニケーションが取れるわけではありません。だから、愛媛にいるときは少し英語ができる日本人選手と最適なコミュニケーション方法を見つけることが、私にとっての最大のアジャストメントでした。そうすることで、人間関係を構築することができました。それが一番大きなアジャストだったと思います。

——日本に来てからのカルチャーショックで印象的だったもの、何かありますか?

RG: アメリカのバスケットボールには日本と違うものがあります。その違いは大きいですね。一つ例えをあげましょう。愛媛ではとても寒い体育館で練習をするなど、いろいろなところで練習をしました。私はアメリカ出身ですので、いつも同じ体育館に通うことに慣れているのです。でも、Bリーグチームのほとんどは違うところで練習することに慣れていますよね? なぜなら、ホームアリーナは公共の施設であるため、(毎日)練習ができないのです。“月曜日はこの体育館で、火曜日と水曜日はここ、木曜日はまたこの体育館で”というように慣れていくのです。いろいろな都市にいろいろな体育館がありますけど、ベースとなる本拠地はないようなものでした。長い話を短くすると、本拠地、自分のオフィスがないということ。正直なことを言えば、私のオフィスはスターバックスでした。日本にいればいるほど、これは日本だけの問題ではないことに気づきます。少なくとも、日本にある大半のチームは同じような状況にあったと聞いています。

——初来日する前に日本のバスケットボールに関する知識は持っていましたか?

RG:渡邊雄太とは同じリーグ(アトランティック10カンファレンス)にいましたので少しは知っていましたし、何年も彼のチームと対戦するチームのコーチをしていました。渡邊と八村塁に何が起こったかを思い出すと、大学にいたころ八村がゴンザガに行くというのが日本に関する知識の最初だったと思います。八村塁の最初の年が何年だったか覚えていますか?

——確かデュケーンで最後の年(2016−17シーズン)だったような気がします。

RG:私はデュケインにいましたが、カレッジ・バスケットボール界隈でゴンザガが日本から優秀な選手を獲得しているといううわさがあったのです。基本的に私は特別な知識は持っていませんでしたが、日本に本当にいい選手が2人いること、日本のバスケットボールがよくなってきているといううわさがあることを知っていました。ただし、日本に来る前はほとんど何も知らなかったのです。最初の試合をやる前にオレンジバイキングスの映像をたくさん見たのですが、すぐ違うことに気づきました。それは、日本の選手たちが明らかに速くプレーする能力を持っていることと、ディナイのディフェンスをすごくやっていたことです。アメリカにもディナイするチームがありますが、通常はウィングでボールを動かすことができます。特にB1では知られていると思いますが、プレッシャースタイルのディフェンスが多く、B2にもそうしようとするチームもあります。それが、バスケットボールのスタイルとして大きな違いでした。

——NBA選手になった渡邊ですが、当時の彼についてどんな印象を持っていましたか?

RG:正直なところ、私は彼をNBA選手としてタグ付けをしていませんでしたが、すごくリスペクトしていました。ジョージ・ワシントンは非常に才能のあるチームでしたし、デュケインのスタッフだった私の印象は、アトランティック10の中にいる万能型として、実際のスタッツよりもさらにインパクトのある選手でした。だから、彼のスタッツを見ただけなら、すごく驚かされるようなことはないかもしれません。しかし、試合で渡邊がやったことのすべてを見てしまうと、彼に対する高い敬意を持たないというのは不可能でした。

12月12日に島根を破った後、アダストリアみとアリーナに駆けつけたファンのサポートに応えるグレスマンコーチ 写真提供:B.LEAGUE
12月12日に島根を破った後、アダストリアみとアリーナに駆けつけたファンのサポートに応えるグレスマンコーチ 写真提供:B.LEAGUE

——話をB1に戻しますが、シーズン後半で茨城が勝ち星を増やしていくためのカギは?

RG:まず第一に、健康でいることが重要です。この8、9試合は平尾がいなかったですよね。エリック・ジェイコブソンが抜ける前は、マルク・トラソリーニを欠いていました。昨年はケガ人が少なかったので、とてもラッキーでした。今年はより厳しい時期に突入したと感じていますが、それは恐らくB1のどのチームでも起こること。だから、まず健康を維持することは、選手層が厚くないチームにとって本当に重要なのです。そして、リバウンド。1試合で10リバウンド以上の差をつけられなければ、東地区のハイレベルなチームにも勝てると思ってます。

——Bリーグの現状と将来についてどのような印象をお持ちですか?

RG:Bリーグの1年目はいませんでしたが、その後はB2にいました。B1の印象は年々良くなっていますし、外国籍選手も日本の若手選手もどんどん良くなっています。だから、将来に向けて本当にいい状態にあると思いますし、日本の若手選手にも期待しています。外国籍選手にとって、今のBリーグは本当に魅力的なマーケット。だから、私がここに来てから、今が一番いい状態だと思いますし、明るい未来があることを楽しみにしています

——あなたにとっての座右の銘とは?

RG:私のモットーは、「やるなら早く、積極的に」です。だから、何かやるなら100%の全力でやること。

 最後にグレスマンコーチに関するトリビアを一つ。

 デュケーンのアシスタントコーチを務めた最後のシーズン、渡邊はジョージ・ワシントン大の2年生。心身両面で苦しい時期に直面していた2016年1月9日、渡邊は大学4年間で一度だけという無得点の試合をデュケーン大戦で経験している。チームが91対64(ボックススコア)で大勝したことに加え、ファウルトラブルで後半の出場時間がほとんどなかったことが要因だった。

 そんな昔話を振ってみると、対戦相手のアシスタントコーチとしてスカウティングしていたグレスマンは、「私の手柄にしたいのは山々なんだろうけど、たぶん渡邊が手加減してくれたんだと思えますね」と謙遜する。渡邊がNBAに適応できている理由としては、とても無欲なことと、コート上でいろいろなことができる点をあげていた。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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