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【スペシャル・インタビュー】ジャワッド・ウィリアムズが語る我が半生

青木崇Basketball Writer
05年のNCAA制覇に加え、優秀な成績でノースカロライナ大を卒業したウィリアムズ(写真:ロイター/アフロ)

 前日からの雨が止んだ4月18日の午後、この記事を書くためにジャワッド・ウィリアムズが在籍するアルバルク東京の練習場を訪ねた。Strive To Excelという自身のNPO団体の活動など、オフコートのことをテーマに話を聞いたのだが、彼のバックグラウンドを知るうえでいろいろと質問。その答えの多くは非常に興味深いものだったので、ストーリーに掲載されなかった内容をここで紹介することにした。

軍人の家庭で育ち、大学で黒人の歴史を勉強

Q ノースカロライナ大では、アフリカ系アメリカ人学を専攻して学位を取りましたが、その内容は?

「我々の文化に関する歴史だね。アメリカ史、特に我々の文化における大きなことは、どんな道のりだったのかが忘れ去られていることだ。先祖たちの痕跡を追いかけることは、私の世代にとって難しいことである。最近は自分の家族について辿ることをしていないけど、祖母の両親で止まってしまう。それ以前は何も見つけることができない。どこかから奴隷としてアメリカにやってきたのだろうけど、正確にどの国、どの都市の出身なのかまったくわからない。私のラストネーム(苗字)はウィリアムズだけど、アイルランド系の名前だ。私の先祖がアイルランド人でないことは明らか。アフリカ系アメリカ人史は私が注目することへとつながったし、奴隷としてアメリカに来る前からアフリカの歴史があるわけだから、自分でより学び、理解したいという気持になった」

Q ブログを読んで文章を書くのが好きで、うまいと認識しました。執筆や読書が好きですか?

「ずっと前から好きだね。読書は(空き時間に)いつもやっている。今シーズンもここまで7冊は読み終わっているし、昔からある番組を除いてテレビもほとんど見ていない。いろいろな知識を得られる読書は、私にとって大きな意味がある」

Q 読書と書くことが好きというのはどこから来たのですか?

「自分の中へ簡単に入り込んでいたね。ブログを書くのにかかる時間はせいぜい20〜30分さ。ネタが頭の中で浮かべば、ヘッドフォンをして音楽をかけながらやれば、パソコンに向かってすぐに仕上げられるものさ。妻は驚くばかりだけど、私にしてみれば心の中にあるものを(パソコンに)移すだけのことさ」

Q 大学時代の授業でエッセイの提出では苦労しなかったわけですね?

「問題になることはまったくなかったね。一度頭の中に浮かんだことをタイプするのは、私にとって難しいことじゃない」

Q 大学時代の成績はよかったわけですね?

「高校時代(の評定平均値:4点満点)は3.2、大学も3.0で卒業したよ」

Q お父さんは軍人ですが、規律を学ぶ点で大きな存在でしたか?

「そうだね。父は軍人であると同時に、ゴールデン・グローブでチャンピオンになったボクサーでもあった。兄もまた軍人でゴールデン・グローブのチャンピオン。軍隊(の規律)、スポーツ、教育が、私の家族の中には浸透していた。NBA選手だったことやノースカロライナ大で優勝したことから、多くの人が私のことを知っている。姉はプロバスケットボールの選手だったし、妹もバージニア大でプレーし、もう一人の妹を含めると、オハイオ州のタイトルを7度獲得している。姪っ子も昨季州のチャンピオンシップを獲得し、来季スカラシップをもらってミシガン大に進学するんだ。教育を最優先している中で、すべてが一つのいい方向にまとまっている感じだね」

Q 母親はあなたにとってどんな存在ですか?

「クリーブランド州大でバスケットボールをやっていた。母は私の人生において、常に強い姿を見せてくれる存在。選手がお金を受け取るといったNCAAのスキャンダルでよく覚えているのは、自分が高校を卒業する際にお金を出すという申し出があった。うちは決してお金のある家族じゃなかったけど、母は常に“正しいことをやりなさい”と私に言い聞かせ、学校を優先することの大事さを教えてくれた」

Q お母さんは心を安定させてくれる存在というわけですね?

「その通りだ」

いろいろな経験と学びが得られた海外でのプロ生活

Q 日本を含めて7か国でプレーしてきました。違う国で生活することで学んだことで最も重要なことは?

「それぞれ違う文化から何かを得ることだ。多くのことを学んだよ。例えば、トルコでは人生に感謝するという意味で、祈りの時間がある。私はイスラム教徒じゃないけど、それが黙想の時間、瞬間で起こった物事に感謝する時間であることを学んだ。日本ならば他人に敬意を払うということ。それが日本に戻ってきた大きな理由であり、信じられないくらいすばらしい文化がある。世界を渡り歩くことでいろいろなことを学ぶことができる。私の子どもたちは、ここで通う学校でゆっくりだけど日本語を学んでいる。他人への敬意、すべてのものが清潔、人々が正しい行動をすることが最も重要なことであり、それが私にとっては大きな意味を持つ」

Q 多くの国で生活し、人と接してきた経験が活動に生かされているわけですね?

「もちろん。人々が普段の生活で実践していることなど、様々なことをいろいろな人や文化から学んできたからね」

Q 日本でもこのような活動をやりたいという思いはありますか?

「正しいスポンサーシップが受けられるのであれば、ぜひやりたいと思っている。Strive To Exelは、子どもたちの夢を叶えるための助けになるという活動でもある。多くの人たちが夢の実現を阻害するようなことを言うものだけど、彼らは何も成し遂げていない人ばかり。夢は実現するものだと、子どもたちに理解させることが大事。私が学んだことは正にこれなんだ。人々はあなたに対して、“君にはそんなことできない”というような恐怖感を与えようとする。自分はそうじゃないことを、子どもたちに理解してもらえるよう心がけている」

Q これはアメリカに限ったことでなく、日本でも世界的にもそのような傾向がありますね?

「他人を恐怖に陥れようとすることは、世界レベルで抱えている問題の一つだと思う。私も自分の子どもたちに対し、そうならないようにしなければならないと感じることもある。学校に行く際に“お前はそんなことをやっちゃいけない”と言うことだったりするわけだけど、“彼らが自身で学ばなければならないこともある”と、私が理解しなければいけないということでもあるんだ」

Q 父親として、活動が自身の育児で助けになっていますか?

「もちろん。どんな子どもも異なったバックグラウンドがあると理解している。他の子が私の子のように育っているわけではない。でも、子どもたちが様々なバックグラウンドを持っているという大きな意識はある。同じ地域でも裕福な家庭で育った子もいれば、貧しい家庭で育った子もいるといったようにね。私には両者に通ずる接点がある」

ジェイアールの存在と自身の今後

Q あと数年はバスケットボール選手としてのキャリアを続けると思いますが、引退したら半生をまとめて出版するという考えはありますか?

「今はいろいろメモを取り続けているところだ。いくつかの違ったタイトルで考えているけど、本を書こうと思っているのはまちがいない。自分の人生で経験してきたこと、“NBAでプレーできるわけがない、カロライナでプレーできるわけがない”と言われてきたけど、すべての経験がプロセスであり、一歩ずつステップを踏んできたからこその結果。35歳になった今もプレーし続けられるのは、一生懸命に取り組む姿勢の継続であり、これまでの人生がハードワークを積み重ね。自分で(ダメだと)思わない限り、止めるつもりはない。コンディションを維持し、試合感覚を失うことがなければ、プレーし続けたい」

Q 大学時代に桜木ジェイアールと知り合ったそうですが、彼と長い付き合いがある点も、まだまだプレーを続けられる理由になっているのでは?

「彼のプレーはよく見ているよ。与えられたものと思える特別な才能が彼にはあるし、自分で止めると思わない限り、準備万端で試合に臨んでくる。年齢を重ねると衰えると思ってしまうものだけど、彼の中には“もっとよくなるんだ”というのがある。27〜28歳でピークと言われるけど、歳を取ればゲーム自体がスローダウンするものだし、彼はスキルと頭を駆使してプレーしているよね」

Q 昨年12月の対戦で約10年以上ぶりにマッチアップしましたけど、どんな感じでしたか?

「我々の役割は大きく変わったね。当時の私は約30分プレーして平均27点だったけど、今は出場時間も限定されながらも有効な成果を出している。日本に戻ってきて見慣れた顔がいるのはいいことだよ。私が敬服するもう一人の選手は折茂武彦。47歳の彼は私の元チームメイトだ。当時37歳だったけど、今も仕事ができるいい選手であり、コンディションを維持するためにハードワークをしている。日本に戻っただけでなく、再び彼らとプレーできるのは、すばらしいことだよ」

Q チャンピオンシップまであと数週間、チームと自身の状態はどんな感じで、何を期待していますか?

「チームはいい感じで進んでいる。少し厳しい時期もあったけど、それがプレーオフ期間中じゃなく、今でよかったと思っている。メディアの記事は読まないし、周りの人とリーグの現状について話すことはしないから、周りで何が起こっているかあまりわかっていない。個人的にはあの厳しい時期がいい意味で目覚ましになったし、プレーオフになればリアルな戦いになる。私は高校、大学、プロを通じてそのような経験をしてきたから、驚くようなことじゃない。厳しい局面がやってきても、先に起こるよりも今のほうがいい。ここまで来るのに我々はものすごい努力をしてきた。チームとしてこれからもタフに戦い続けるしかない」

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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