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格闘家・朝倉未来が語った「死を恐れなくなった経緯、アンチの存在、30歳で引退する理由」

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
トライフォース赤坂に設置されたケージ内にて(撮影:倉増崇史)

ここ数年で一気に総合格闘技界の主役となった朝倉未来。2018年8月の『RIZIN』デビューから昨年11月に初黒星を喫するまで破竹の7連勝を記録した。活躍はリング上だけではない。チャンネル登録者数173万人を誇るYouTuberとしても高い人気を誇っている。街の喧嘩自慢とのスパーリング、ぼったくりバーに潜入するなど視聴者の関心を引き付ける企画は常に型破り。そして、「30歳で格闘家引退」も公言している。『路上の伝説』と呼ばれる男が、少年院を出てからの10年を振り返り、さらに今後の人生を語った。朝倉未来は、何処から来て何処に向かおうとしているのか──。

不良最強を決めるイベントに出るために

──19歳の時に、総合格闘技の禅道会豊橋道場に入門されていますね。その経緯から聞かせてください。

「当時、喧嘩をする相手がいなくて、格闘技をやっている人はどれぐらい強いのかという興味から道場に電話をかけたんです。腕試しのつもりで。

でもスパーリングをやったら支部長(宮野勝吉)に負けました。学ばなきゃいけないことがあると思い入門を決めたんです。6、7年そこで練習していました」

──そこから総合格闘技の大会に出ようと思ったのは?

「『THE OUTSIDER』(元プロレスラー前田日明が立ち上げた不良最強を決める格闘技イベント)に出たかったんです。実は最初に応募した時、書類選考で落とされました。

当時の『THE OUTSIDER』はかなりの人気イベントでしたから応募人数も多かったでしょうし、自分には何の実績もなかった。だから強くなって、地下格闘技イベントで実績を作ってからと考えていました」

昨年の大晦日『RIZIN.26』で弥益ドミネーター聡志と対戦、強烈なハイキックを炸裂させKO勝利を収めた(写真:RIZIN FF)
昨年の大晦日『RIZIN.26』で弥益ドミネーター聡志と対戦、強烈なハイキックを炸裂させKO勝利を収めた(写真:RIZIN FF)

──地下格闘技イベントで実績を作り、2013年2月に『THE OUTSIDER』に参戦、2015年12月には史上初の2階級同時制覇を果たします。

「チャンピオンになった頃からプロの格闘家という意識が芽生えました。俺が70キロ級と65キロ級、弟(朝倉海)が60キロ級のチャンピオンでしたから『THE OUTSIDER』の4つのベルトの内、朝倉兄弟で3つを占めたんです。

俺たちの知名度も上がりました。他団体の選手たちは、それが面白くなかったんでしょうね。『しょせん、アマチュアでしょ』『たいして強くないでしょ』って言われましたから、妬みっぽい感じで。

でも、俺の方が強いという自信がありました。だから『プロになって全員倒してやるよ』という気持ちになりましたね。

それに、『THE OUTSIDER』に出場する前はチャンピオンになったら年間1億円は稼げるという噂もあったんです。でも実際には、2階級を制覇してもファイトマネーは30万円くらいでした。もっと稼げるところで闘いたいとも思うようになっていましたね」

──『THE OUTSIDER』で、転機となった試合は?

「一つ挙げるなら、吉永啓之輔選手に勝った試合(2015年7月)です。少年院を出て、友達から『THE OUTSIDER』のDVDを見せてもらった時にチャンピオンだったのが吉永選手でした。俺に『THE OUTSIDER』に出てみたいと思わせてくれた男です。それから4年後にリングで倒すことができた。もし、あの時に負けていたらやめていたかもしれない。分岐点となる試合でした。

試合前は熱中症になってしまい、点滴を打つほど体調が悪かったのでプレッシャーもかかりました。ちょうど夏で、試合の前日も埃まみれになって現場仕事をしていましたから」

──試合の前日も、仕事をしていた?

「生活もあるので、当時は毎回、試合の前日も現場で働いていました。

朝5時に起きて現場へ行って、仕事が終わってから家に帰ってシャワーを浴び、すぐに道場に行って練習。家に帰ってくると、いつも日付が変わっていました。そんな生活を5年くらい続けましたね。いまじゃ考えられないですけど」

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

アンチファンは有り難い存在

──周囲から自分が誤解されていると感じることはないですか? YouTuberをやりながら格闘技をやっている。真面目に格闘技に取り組んでいないと見る人もいる。

「不真面目だと思います。『RIZIN』のリングに上がっている選手の中で一番練習量が少ないでしょうね、朝に1~2時間やるだけですから。それを『不真面目だ』と言われたら、『そうですね』という感じです。

『RIZIN』で8勝1敗。いい成績じゃないですか。練習しなくても強かったんですよ。だから『不真面目』は、褒め言葉として受け取っておきます。

でも、(昨年11月『RIZIN.25』での)斎藤(裕)戦で負けてからは、ちょっと練習量を増やそうと思うようになりました」

──未来選手には、応援してくれるファンも多いがアンチも多い。

「それでいいです。俺は、万人受けしたいタイプじゃないんで。やりたいことをやって、言いたいことを言えば、逆の意見を持つ人からは反発されるのは当然ですよね。

それにアンチは、いてもらいたい存在。みんなから常に賛同されていたら、自分が悪い方向に行ってしまうこともあると思うんです。批判的なコメントも、自分を客観的に見るために必要なんですよ」

『RIZIN』のリングで闘い続けている朝倉未来は、昨年11月に判定で敗れた相手・斎藤裕とのリマッチを要求している(写真:RIZIN FF)
『RIZIN』のリングで闘い続けている朝倉未来は、昨年11月に判定で敗れた相手・斎藤裕とのリマッチを要求している(写真:RIZIN FF)

死に対する恐怖心はない

──格闘技は他のスポーツとは違い、死に対する覚悟も必要になります。子供の頃から気持ちは強かった?

「子供の頃は気が弱かったんです。小学生の時にカラテをやっていて、試合は体重無差別ですからカラダの大きな子と対戦することもあるんです。そんな時には最初から負けを認めたような闘い方をしていたらしくて、強い気持ちを持つために相撲をやらされました。普段から自分よりも大きな子とぶつかっていたら慣れるだろうって」

──メンタル面の変化のターニングポイントは?

「中学生の時に世の中に不満を持ち始めました。命令してくる人が多いじゃないですか、先生とか先輩とか。そういう世の中ってつまらないなって思ったんですよ。

このまま周囲から言われる通りにがんばって勉強して、いい大学に入って、優良企業に就職して、ありふれた日常を送る。そんなのつまらないなと考えていたら絶望して、もう死のうかなと思った。

それから刺激を求めて喧嘩に明け暮れるようになりました。死と隣り合わせの遊びに嵌まっちゃったんですよ。そこで生きている実感を得ていたので、死に対する恐怖心がないんです。その部分では格闘技に向いているんでしょうね」

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

──30歳になったら現役を引退すると公言しています。それは、いまも変わらない?

「もう決めていることなんで」

──なぜ30歳が区切りなんですか。いま28歳…あまり時間がないですね。

「そうなんです。だから、それまでにどこまで行けるかは分からないですけど、やれるだけのことはやりたいですね。でも30歳で引退しないとずっと続けちゃうので区切りをつけたい。格闘技が好きだから。他にもいっぱいやりたいことがあるし。やめたら二度とリングには上がらない。解説の仕事もしない。近くにいると、また闘いたくなっちゃいますから」

──本当に30歳で現役を引退したとしても、その後も人生は続きます。朝倉未来にとっての人生の成功とは?

「以前は『他人から羨まれること』って答えていたんですけど、時間が経って考えが変わりました。

結局は、自分で自分の人生に満足できるかどうかなんですよ。他人から羨ましがられるかどうかなんて関係ない。いまは、そう思っています。

自分の人生がより良くなるようにお金を稼いで使いたい。

別に好感度を上げるつもりはないんですけど、かつての自分と同じような境遇にいる人たちの手助けはしたいですね。それは他人のためだけじゃなくて、人の人生を変えていくことに自分自身が喜びを感じるから。いまやっている『格闘技1年チャレンジ』という選手育成プロジェクトもその一環です。

もともと有名になりたいなんて思ってなかった。自分で納得のいく人生が送れたなら、それが成功でしょう」

──最後に。今年、プロボクシング5階級制覇王者フロイド・メイウェザーが日本で試合をする可能性があります。あなたの名前が有力候補として挙がっていました。闘うつもりはありますか?

「やりたいですね。(ボクシングルールでも)倒されない自信はあります。そして、本気でぶっ倒しに行きます」

(撮影:倉増崇史)
(撮影:倉増崇史)

■朝倉未来(あさくら・みくる)

1992年7月15日生まれ。愛知県豊橋市出身。喧嘩に明け暮れる中学・高校時代を過ごし、19歳の時に禅道会豊橋道場に入門。2012年、総合格闘技デビュー戦で1ラウンド53秒でKO勝ち。2013年に『THE OUTSIDER』参戦、2015年12月には史上初の2階級王者となる。2018年8月から『RIZIN』に参戦すると7連勝を記録。2019年5月からYouTuberとして活動開始。チャンネル登録者数173万人、総再生回数は5億回を突破した(2021年2月時点)。弟の朝倉海も総合格闘家として活動中。

取材協力:サムライ・マネジメント株式会社

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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