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テコンドー協会・金原会長がアッサリと身を引いた理由 退任劇の内幕を考察

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
全日本テコンドー協会・会長を退任する金原昇氏。(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

2つの「そうだったのか」

「(決定に異存は)一切ございません。清々しい気持ちです」

11月27日午後に開かれた記者会見で、全日本テコンドー協会・金原昇会長は、毅然とした態度でそう話した。

10月28日に、協会理事が総辞職。その直後から境田正樹弁護士を中心とする検証委員会が、関係者に対してヒアリングを開始し、1カ月経ったこの日に結論が出された。

「金原会長を含む現理事15人は、全員再任しません。新理事候補は10人、外部から入って頂きます」

境田氏がそう発表し、金原会長の退任が確定した。今後、組織の刷新が図られることとなる。

これにより、9月に表面化したテコンドー騒動は一段落したことになるが、振り返ってみて気づかされることが2つある。「そうだったのか」と。

ひとつは、会長の座にとどまることに、あれほどまでに固執していた金原氏が、アッサリと身を引いた理由。

2つめは、検証委員会がやろうとしていたのは、「検証」ではなく「改革」だったことである。

まず、ひとつめ。

10月8日の6時間に及んだ臨時理事会の後、金原会長は、こう話していた。

「(オリンピックが近づいている)いまの状況で総辞職するのは無責任。私の責任は、しっかりとした強化体制を築くこと。辞めるつもりはありません」

この時点で、金原氏に身を引くつもりは、まったくなかった。

私は、10月28日に協会理事が総辞職した時も、金原氏の意志は変わっていないと思っていた。検証委員会のヒアリングを経て、その後に会長に再任というシナリオを描いている可能性も十分にあると見ていたのだ。

だが、そうではなかった。

金原氏は検証委員会が起ち上がる前、境田氏と話した時点で会長退任を考えていたのである。

「境田先生にお願いした時から、自分が身を引くことは覚悟していた」

会見で、そう話していたが、これは本音だ。

状況は、切迫していた。

騒動が表面化し、テレビで大きく取り上げられたことで協会のスポンサーが相次いで撤退。これも大きな痛手だったが、それ以上に金原氏がプレッシャーを感じたのは、JOCから早期の解決を迫られたことである。おそらくは検証委員会の起ち上げにもJOCが関与していたことだろう。

今回の件は、金原氏が境田氏に相談したことになっているが、実は逆ではなかったか。

境田氏からJOCの意向を伝えられ、説得されて金原氏が観念したのだと私は思う。

(もう、身を引くしかない)

それでも、金原氏には、譲れない部分もあった。

臨時理事会で追及されたことで引き摺り下ろされることだけは、嫌だったのである。

そこで、介錯を境田氏に託した。

つまり、金原氏は10月28日以前に身を引く覚悟を決めていたのだ。

追放されるのではなく、勇退を求めたのである。

「検証」ではなく「改革」

2つ目。

検証委員会は、最初から金原会長退任ありきで動いていた。

関係者に対するヒアリングは行っていたが、そこに重きは置いていなかった。進めていたのは「検証」ではなく「改革」。この1か月間、境田氏は、新理事候補の選定に奔走していたのだ。

今回の騒動の発端は、強化の体制に不満を抱いた選手たちが合宿をボイコットしたこと、そして、江畑秀範選手の告発であった。

合宿が不毛であること、その合宿に強制参加を迫られたこと、参加費が高額であること、協会が受けている助成金の使われ方が明確でないこと、遠征費の問題、金原氏から高圧的な言葉を投げかけられたこと、国際大会出場に関する協会のエントリーミス、選手ファーストになっていない体制…etc。

だが、これらが深く検証されることはなかった。

会見で境田氏は、こう話した。

「ガバナンス上、コンプライアンス上の問題はなく、金原会長はしっかりした運営をしていました。しかし、混乱が収束する見込みが立たず、今後の発展が見込めません。この責任は大きい」

つまり、選手サイドの問いかけに対する検証は、ほとんどされていないのである。

これでは、選手サイドには不満も残るだろう。

パワハラはなかった、独裁体制もなかったとなれば、今回の騒動は、選手サイドの我儘と捉えられかねない。

だから、高橋美穂・元協会理事は言った。

「選手が上げた声の答えにはなっていないと思う」と。

繰り返すが、境田氏が優先したのは「検証」ではなく「改革」。

金原氏に対して追及をしない代わりに、退任を促し組織の改革を進める。それが検証委員会が行ったことである。

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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