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イラク:深刻な干ばつで土地を棄てる農民が続出

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 イラク北部に位置するニナワ県では、深刻な干ばつにより今期の農作物の収穫がほとんど上がらず、離農と移住を余儀なくされた者が続出しているらしい。報道によると、ニナワ県では2020年には92万7000トンの小麦の収穫があったが、2021年は8万9000トンにとどまった。ちなみに、イラクで必要な小麦の量は年間450万トンほどだが、今期の収穫量は200万トンにとどまった。今期の水不足の原因は、降水量の不足とチグリス川、ユーフラテス川の流量の減少である。チグリス川、ユーフラテス川水系では、上流に位置するトルコやイランでのダム建設により流量は恒常的に減少している。トルコ、イランにとっても自国の人口を養い、開発を進めるための水を確保しなくてはならないので、両国からイラクやシリアへ流れる河川の水量が減ることは、上流の国から下流の国への政治的な圧力や嫌がらせだけが理由とは限らない。特に、トルコは一応シリア、イラクとチグリス川、ユーフラテス川に放水する水の流量を取り決めてはいるものの、この両河川の水源の大半はトルコ領にあると主張し、チグリス川、ユーフラテス川を国際河川と認めていない。

 今やすっかり忘れ去られてしまっているが、イラクのニナワ県といえば県庁所在地であるモスルが「イスラーム国」に占拠され、同派の重要拠点としてこれを奪還しようとするアメリカをはじめとする連合軍・イラク政府軍の大規模な軍事行動があったところだ。ニナワ県で「イスラーム国」が猛威を振るった結果、避難民となった者が多数おり、住居や諸般の施設の再建、避難民の期間は依然として重要な課題である。モスル市では、道路を中心に社会基盤の8割が再建された一方、医療関連の施設の3~4割にとどまっている。ここに水不足で農民の生業が成り立たなくなったことにより、2021年の6月~7月の2カ月だけで避難生活から戻った者447家族が再びニナワ県を離れることを余儀なくされた。元々、シリア北東部やイラク北部で天水に頼った農業をすることは年ごとの降水量に著しく影響される不安定なことだったが、ニナワ県で離農した農民の一人は、近年干ばつが深刻化することにより事業の不確実性を宝くじレベルと評した。

 このように、ニナワ県における干ばつ被害の問題は、農民の生業、「イスラーム国」の被害からの復興、国際的な人口移動、そして気候変動など様々な観点から論じるべきものである。また、水不足の問題をイラク一国だけの問題と対策として論じることもできない性質のもので、気候変動への対策という遠大なものでなくとも、主要河川の沿岸諸国との水資源の分配や、農業を含む諸産業や個々の過程での節水の問題など一つ一つ地道に解決していくべき課題が連なっている。また、干ばつ被害が離農・移住、そして社会不安へと波及していく問題は決して軽視してはならない問題である。例えば、2008年頃から2010年頃にかけて、やはり同じ地域は深刻な降水量の不足に見舞われたのだが、シリアで生じた離農・移住、社会不安にシリア政府が十分な支援を行わなかったことが、その後のシリア紛争の遠因となったと指摘する論者も少なくない。

 現実の問題としては、古くからこの地域で天水のみに頼った農業をするのならば10年のうち2、3年は上出来、2、3年はひどい不作となると語られてきた。このため、今後も10年単位で観察すればうち2年か3年はひどい不作や旱魃、そしてそれに起因する様々な危機についての報道に接することは確実である。とはいえ、問題をイラク一国や周辺地域に限定せず、国際的な支援や技術の改善で被害や社会不安を軽減することは可能である。大切なことは、深刻な被害が生じた時だけ目を向けるのではなく、被害が最小化するために恒常的・長期的に地域に関心を持ち続けることであろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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