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イラク:アメリカ軍の戦闘部隊を削減

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年9月17日、イラクに駐留する連合軍とイラク軍との間で技術委員会が開催され、9月末までにイラクで活動するアメリカ軍のうち、アンバール県のアイン・アサド基地、アルビル県のハリール基地にいる戦闘部隊を削減することで合意した。これは、7月末に行われたイラクのカージミー首相とアメリカのバイデン大統領との、両国間の戦略合意に関する協議を反映したものである。アフガニスタンであれ、イラクであれ、中東やその周辺でアメリカ軍を多数駐留させ、戦闘任務に就かせることについては、これを可能な限り避けるというのがアメリカの世論や外交政策の大勢であろうことから、これは既定路線と言える。

 その一方で、去る8月にアフガンで生じた、アメリカ軍が撤退する中で現地の軍・治安部隊・政府が急速に崩壊とターリバーンによる政権奪取が国際的な大事件となったように、イラクにおいてもアメリカ軍の戦闘任務の縮小がイラクや周辺諸国の情勢に悪影響を与えることが心配されるかもしれない。現在、イラクでは国会議員選挙の前倒しの実施時期が迫っており、政府・議会・各政治勢力はこれへの備えに資源を割いている。また、イラクにおいては「選挙後の」各政党・会派間の合従連衡を通じて「院内の多数派」が確定し、そこから首相が指名される段取りとなっていることから、選挙の実施、首相の選出、新内閣の組閣までに長期間を要することはほぼ確実である。この期間中は半ば政治空白のような状態となるので、突発的な治安事案への対処が遅れることもありうる。特に、2014年6月~7月に「イスラーム国」が大都市のモスルをはじめとするイラク領の広域を占拠した際も、イラクの政界が国会議員選挙後の新政府編成に向けた合従連衡にかかりきりだった時期と重なっている。イラクの政治家や政党・会派の顔ぶれは2014年から現在までたいして代わり映えのしないものとなっており、彼らがこれまでの失敗から教訓を得るのか、相変わらずの政争に興じるのかは目が離せない所である。

 イラクにおけるアメリカ軍の削減、完全撤退(こちらの時期は未定)が現地の治安情勢に悪影響を及ぼすのではないかという問題を考える上では、「そうはならない」と考えるべき材料と、「おおいに心配だ」と考えるべき材料とがある。イラクの政治勢力が人民の生活水準や治安情勢を後回しにした政争を繰り返しそうだという点は「おおいに心配」な材料の一つである。一方、現在のイラクでアメリカ軍をはじめとする連合軍が直接的な戦闘で果たす役割は大きくはない。連合軍全体で3500人、うち2500人がアメリカ軍であるが、この程度の規模では「イスラーム国」対策においても主力とはならない。イラク(そしてシリア)における「イスラーム国」対策での連合軍・アメリカ軍の活動は、量・質ともに十分とは言えず、費用対効果の悪い活動に終始している。イラクで「イスラーム国」との闘いの矢面に立ったのは、時に「親イラン」とのレッテルを貼られる悪名高いシーア派の民兵の「人民動員」だった。彼らをイラクの軍・治安部隊の精度の中でいかに位置付け、どのように処遇するかは政治上の重要問題である。母体となる共同体への帰属意識や忠誠心が高い組織がしっかり機能していては、「イスラーム国」との戦闘で脆くも敗走したり、急速に崩壊したりする危険性は下がる。その一方で、「人民動員」やこれより前の2000年代に組織された「覚醒評議会」のような民兵は、まとめ役となる地域の有力者が給与受け取りの窓口となり、人員数を過大申告して給与を詐取するなどの腐敗の温床となってきた。また、「覚醒評議会」はその後の処遇に不満を抱き職務を放棄したが、彼らの職務放棄も2014年の「イスラーム国」の増長の一因である。「人民動員」の処遇や、その関係者の政界進出は今後のイラク情勢を観察する上で重要な点となるだろう。

 これに加えて、「シーア派民兵」やそのフロントとなる政治家の中にも、アメリカ軍の存在を嫌う者が少なからずいることにも注意が必要だろう。「シーア派民兵」の一部は、2020年初頭にバグダードで「人民動員」の大幹部がイランの革命防衛隊の幹部もろともアメリカ軍によって殺害されたことへの復仇を旨としている。現在も、上に挙げたアイン・アサドやアルビルのアメリカ軍基地に対し、人的損害は出ないもののドローンやロケット弾を用いた攻撃が度々発生しており、アメリカ軍は攻撃実行者を「親イラン民兵」と考えている。また、8月半ば以来イラク南部を往来する連合軍の兵站車列に対し、「シーア派民兵」が「アッバース封鎖攻勢」、「カルバラ攻勢」との攻勢を宣言しており、人的被害はほとんどないものの、「民兵」による攻撃強化期間のような状態にもなっている。「外国軍に対する抵抗運動」或いは「連合運に対する嫌がらせ」の推移も気になる所だ。

 「イスラーム国」に目を転じると、同派が2014年に急速に勢力を拡大するような状況であるとは到底言えない。同派の現状は、(アメリカ軍の削減や撤退が)イラクの治安情勢悪化に「つながらない」との判断を後押しするような状況だ。2014年の時点では、「イスラーム国」は世界中から潤沢にヒト・モノ・カネなどの資源を調達し、それを惜しみなくイラクに投入できた。なぜなら、当時の同派はフロント団体である「ヌスラ戦線」を通じて「シリア革命」に参戦することにより、資源の調達や作戦行動が国際的に放任・奨励されていたからだ。現在の「イスラーム国」は当時ほど資源に恵まれてはいない。2021年7月末から9月半ばまでに「イスラーム国」が週刊の機関誌上で発表した戦果の集計によると、世界中からかき集めた戦果の合計は1週間につき最少の週で28件、最多でも73件だった。ほとんどの週で「イラク州」での戦果が半数以上を占めているのだが、「イラク州」での戦果は過日紹介した送電線の破壊のようなものも多数含んでいる。つまり、イラクにおける「イスラーム国」の活動は「あいかわらずぜんぜんいけてない」であり、今後も同派がイラクを舞台に報道機関に注目されたり、政治的に重大な影響を及ぼしたりするような行動にでるとは考えにくい。

 以上の通り、アメリカ軍の戦闘部隊の削減が短期間のうちにイラクの治安を悪化させたり、「イスラーム国」のようなイスラーム過激派の台頭を招いたりする可能性は低い。その一方で、不安要素として挙げたイラクの政治家・政治勢力、そしてあんまり強くない正規の軍・治安部隊は、これまでわが国も含む多数の諸国が彼らが抱える問題点に目を瞑って長期間かつ大規模な支援をしてきた対象である。この点に関してはアフガンでの事例とよく似ており、支援の財源を担っている納税者としての立場からはとても釈然としないのも確かである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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