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レバノン:ヒズブッラーの対イスラエル砲撃を巡るビミョーな情勢

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年8月6日、レバノンからイスラエルが占領しているシャブアー農地にあるイスラエル軍の拠点方向へ多数のロケット弾が発射される事件が発生した。レバノンの対イスラエル抵抗運動である(そして立派な合法政党であり、今日では与党の一角を占める)ヒズブッラーが、これを自派の作戦であると発表した。それによると、「昨日(=2021年8月5日)のイスラエルによる空爆への反撃として、イスラーム抵抗運動の殉教者アリー・カーミル・ムフシン団、殉教者ムハンマド・カーシム・トゥハーン団がシャブアー農地のイスラエル占領拠点の周辺の空き地を122mmロケット弾数十発で砲撃した」とのことである。この砲撃により、一時イスラエルとヒズブッラーとの間の軍事的緊張が高まることが懸念されたが、攻撃についての発表を見る限り、初めからイスラエルの拠点に命中させるつもりも、イスラエル側に人的損害を与えるつもりもない、計算づくの示威行動とみられる。

 事実、この砲撃事件は2021年8月8日のヒズブッラーのナスルッラー書記長による演説と連動した「メッセージ」であった。8日の演説は、2006年7月のイスラエルによるレバノン攻撃(第二次レバノン戦争とも呼ばれる)での「抵抗運動の勝利」を記念・称揚するもので、イスラエル、レバノン、そして中東内外の世論に対し、2006年の戦闘を想起させ、ヒズブッラーの政治力・軍事力を印象付ける意図も込められていただろう。そのようなわけで、今般の砲撃が直ちにイスラエル・レバノン間の軍事情勢の緊迫なり大規模な戦闘なりに結び付く恐れは大きくはない。しかし、今般の砲撃には、普段はちょっと見られない「おまけ」がついた。というのも、砲撃に用いられたと思しきロケット弾発射装置を搭載した車両が近隣の村落で住民に取り押さえられ、車両を取り押さえようとする者たちと「抵抗運動」の支持者との間にいさかいが発生したのである。その模様は撮影され、動画はレバノン内外で広く流布した。そして、アラビア半島諸国の資本が経営するものをはじめとする各種報道機関による、「ヒズブッラーが住宅地・民間人を人間の盾にした」との趣旨の報道の格好の餌食となった。これを受け、ヒズブッラーは砲撃を実施したとの発表の直後に、「作戦から帰還する抵抗運動戦士が村落を通行中に住民の抵抗を受けた」ことを認め、「イスラーム抵抗運動は、過去も、現在も、将来も、何よりも住民に忠実で、抵抗運動に際し彼らにいかなる害も与えない」と釈明する羽目になった。いさかいは、レバノン軍が問題の車両を引き取って村落から退去させ、現場となった村落の村長や指導者らが「事件はロケット弾を発射した者が何者かわからない状況下で不安を覚えた住民による偶発的なものである。軍と抵抗運動への支持を確認する」旨表明してとりあえず沈静化した。

 イスラエルによるレバノン領域の侵犯は常態化しており、シャブアー農地が依然としてイスラエルに占領された状態において、これに対する武装抵抗運動があることはある意味当然のことである。また、レバノンからイスラエルに対する砲撃は、未遂や「発射失敗」も含めればパレスチナの対イスラエル抵抗運動諸派や、レバノンで活動するイスラーム過激派まで様々な主体が実行しうるものでもある。そして、「抵抗運動」による活動も含め、こうした活動がイスラエルによる大規模な攻撃を招き、レバノンに及ぼす害悪や損失の方が大きいという反対論も当然ある。また、イスラエルとの和戦の決定権がレバノン国家ではなく、ヒズブッラーをはじめとする諸派に委ねられかねないという観点からの反対論もある。その上、長期化する政治・経済・社会危機のただなかにあるレバノンにおいて、ここで新たな危機を招きかねない対イスラエル抵抗運動の強化が人民の反発を招く可能性も高い。レバノンでは、闇市場でのレバノン・ポンド(LP)の対ドル相場が1ドル2万LPを超えるまでに下落しており、「抵抗運動どころではない」との雰囲気も強いだろう。

 イスラエルとの武力衝突は、短期的にはその主体の威信を上昇させ、人民からの支持も増すという効果が期待できる。この効果は、2006年のイスラエルによるレバノン攻撃の際のヒズブッラー、2021年5月のイスラエルとパレスチナ人民との衝突の際のハマースで観察された。つまり、イスラエルへの武装抵抗は、それが「テロ」と呼ばれようが、戦闘が破壊と殺戮の規模においてイスラエルによる一方的なものであろうが、それで留飲を下げる人々が少なからずいるということだ。その一方で、武装抵抗が本格的な戦闘に発展した場合の被害は甚大であり、これを嫌う世論も強いが故に、今般のようないさかいも発生しうる。特に、レバノンにおいては過去数年の危機を打開する目途が立たず、日々人民の生活水準が低下しているため、抵抗運動を維持できるかについても難しい局面にある。要するに、今やイスラエルに対する武装闘争は、諸当事者の意図や反応、人民の世論にまで気を配った上で活動を決める、極めて機微な行動なのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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