シリア紛争と民兵:そこにいるけど「いないこと」になっているパレスチナ人

(写真:ロイター/アフロ)

 2011年にシリア紛争が勃発すると、様々な民兵が紛争の現場に姿を現した。今日では、シリアで活動する「親イラン」民兵なるものが頻繁にイスラエルからの攻撃を受けるなど、シリアでの民兵の存在と活動はシリアの国内問題にとどまらないものとなっている。また、紛争当初に抗議行動を弾圧するために現れた「シャッビーハ」と呼ばれる集団は、「独裁政権」の悪行を象徴するものとして国際的に悪名をはせた。紛争が激化すると、徴兵忌避や兵士の逃亡による人員不足に苦しんだシリア軍が、「人民委員会」や「国防隊」などの民兵を編成・動員したり、シリアの政党の一部も支持者や学生組織などから人員を集めて紛争に加わったりした。シリアで暮らす諸部族の一部も、親政府民兵を組織した。シリア政府は、長年構築してきた権益の配分の仕組みや動員組織のような、既存の人的・社会的・政治的関係を活性化・再編することによって、親政府民兵を動員した。現在の体制によって利益を得てきた様々な社会集団にとっても、民兵を編成して政府側につく動機が十分にあったと言える。これらの民兵には、レバノンのヒズブッラーやイランの革命防衛隊が訓練を施した。

 2015年にロシアによる介入が本格化すると、「シリア政府とその機関の再建・強化」を通じた紛争の収束を図るロシアの方針もあり、各民兵集団や「和解」を達成した「反体制派」武装勢力の要員らを再編した「第5軍団」が編成された。別稿で「国家権力の側が起用する民兵」の役割として、「正規の軍・治安部隊の代替と補完」、「政府機関が手を染めるのがはばかられる汚れ役」の2点を挙げたが、親政府民兵はこうした役割を果たす代表選手であるかのようだった。

 シリア政府が既存の人的・社会的・政治的関係に基づいて動員した民兵の中には、シリア在住のパレスチナ人からなる諸組織も含まれる。いまや、「なぜ、どうして?」が理解できない読者も多いだろうが、シリアは第一次中東戦争(1948年~1949年)以来パレスチナ難民を受け入れており、紛争勃発前の時点で少なくとも40万人のパレスチナ難民がいると推定されていた。アラブ・イスラエル紛争の過程で結成されたパレスチナ解放運動諸派も、シリアで活動した。シリア政府の側も、単に難民を受け入れるだけでなくパレスチナ人・パレスチナ諸派を利用したり、諸派に干渉したりして彼らに関与した。世の中の多くが「パレスチナ」だと信じている所以外の場所(シリアを含む)に住んでいるパレスチナ人は、「帰還権」をはじめとする権利の主張のため、或いは「パレスチナ人である」という自らの存在の拠り所として、何らかの政治・社会組織に関係している。それらの組織の中にはパレスチナ解放運動や「中東和平」の展開の中で、シリアにしか居場所がなくなったものもある。ようするに、パレスチナ人の中にもシリア政府の側に立って紛争に参加することが利益となる者がいたということだ。また、ダマスカスやアレッポにあるパレスチナ難民キャンプ(注:キャンプと言ってもテントやプレハブではなく、コンクリート造りの建物群からなる街区である。様々な公共施設・娯楽施設も備えており、その一部はパレスチナ諸派が運営している。)が戦闘の舞台となったことから、そこを生活や活動の場としていた個人や組織は、いやおうなしにシリア紛争の当事者となった。パレスチナ人を主な構成員とする親政府民兵や、政治・軍事組織として著名なものには、以下がある。

*パレスチナ解放軍(PLA):本来は1964年のアラブ首脳会議の決議に基づき、パレスチナ人民の正規軍となるべく創設された。オスロ合意に基づく「中東和平」が進むと、シリアに駐留していた部隊以外は「パレスチナ自治政府」の治安部隊へと編入されたが、シリアに駐留する部隊は活動を続け、シリア在住パレスチナ人が兵役につく場合の受け皿となってきた。

*シリア在住パレスチナ諸派:「パレスチナ解放人民戦線総司令部(PFLP-GC)」、「ファタハ・インティファーダ(注:現在のパレスチナ自治政府の「与党」のファタハから、1980年代に分派した別団体。)」、「サーイカ(パレスチアのバアス党の軍事部門)」など、長年シリアに軍事部門や兵員を擁していた諸派。これらに加え、「パレスチナ人民闘争戦線(PPSF)」という組織もあるが、同派は筆者が調査した2000年代初頭では困窮を極め、軍事部門も解体したことになっていた。しかし、親政府のパレスチナ民兵の連合としての「人民委員会」の報道官はPPSFの代表が務めており、このあたりにもシリア政府とパレスチナ諸派との関係の機微がうかがえる。

*エルサレム部隊:アレッポ郊外のナイラブ・キャンプのパレスチナ人を中心に編成され、アレッポの攻防戦に参加した。イランの革命防衛隊から支援を受けているとされる。アレッポ解放後は、ユーフラテス川沿いのダイル・ザウル県での作戦に参加した。

*ジャリール部隊:ダマスカス近郊の諸般のキャンプのパレスチナ人からなり、レバノンのヒズブッラーの支援を受けたとされる。ヤルムーク・キャンプやグータなど、ダマスカス周辺での戦闘に参加した。

 パレスチナの諸派・民兵は、現在もシリア紛争の戦闘にしばしば登場する。例えば、最近シリアの東部・中部の砂漠地帯の幹線道路で「イスラーム国」が車列を襲撃する事件が時折発生するが、報道や「イスラーム国」の戦果広報を少し見れば、攻撃されたのが上記の「エルサレム部隊」だとすぐわかることも多い。にもかかわらず、本邦は無論のこと、アラビア語の報道においても、シリア紛争の中でのパレスチナ人の実態、特にパレスチナ民兵について触れるものは非常に少ない。難民キャンプでの戦闘が激化した際は、「人道問題」として多少は同情を集めたが、現在もシリア紛争の当事者として消耗を深めるパレスチナ人の問題に関心が向くことはほとんどない。

 本来、イスラエルやアメリカにとってシリア在住のパレスチナ人や彼らの政治・軍事組織が大量の兵器を入手したり、実践経験を積んだりすることは好ましいことではない。しかし、シリアにおける「親イラン」民兵には神経をとがらせる両国からも、シリアのパレスチナ民兵について問題が提起されることはまずない。これは、「ガザ地区とヨルダン川西岸地区」以外の所にもパレスチナ人が大勢いて、彼らの多くは「民族自決」どころか最低限の自己決定の権利すら著しい制約を受けているという現実に触れたくないが故に、下手にシリア在住のパレスチナ人のことに触れたくないかの如くである。2020年夏以降のアラブ諸国とイスラエルとの「関係正常化」の動きは、「この世には解決すべき“パレスチナ問題”も、将来の処遇を気にかけなくてはいけない“パレスチナ人”も存在しない」という構図を作り上げ、多数のパレスチナ人が「そこにいるけどいないことにされる」動きのようにも見える。シリア在住のパレスチナ人たちは、今日も民兵として動員され、「なぜ、どのように」して戦っているのか全く顧みられることなく、心身をすり減らせている。