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自称「カリフ」アブー・バクル・バグダーディーの殺害情報とその意味

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

バグダーディーは俳優さん

 2019年10月27日夜(日本時間)、アメリカのトランプ大統領は、アメリカ軍の特殊作戦により「イスラーム国」の自称「カリフ」アブー・バクル・バグダーディーを殺害したと発表した。作戦場所は、シリア北西部のイドリブ県のトルコ国境付近の集落ということになっている。

 アブー・バクル・バグダーディーとは、あくまで「イスラーム国」の構成員としての組織名であり、同人の戸籍上の氏名はイブラーヒーム・バドリー・サーマッラーイーらしい。サーマッラーイーとは、イラクのサーマッラーの出身であるという意味で、特段誇る家系も門地もない時の名乗りに使われることも多い。そこに、カリフを僭称するために必要なクライシュ族(=預言者ムハンマドの出身部族)だということを主張するために「クラシー」との名乗りをくっつけて、イブラーヒーム・バドリー・クラシーとするのがバグダーディーの本名の名乗り方である。

 同人は、イラクの大学で歴史や預言者ムハンマドについて学位を取得し、「イスラーム国」が主張する解釈や見解も含め、イスラーム諸学にそこそこ通じた人物らしい。2014年6月末に同人が「カリフ」としてモスルのモスクで演説した様について、「カリフとしての風格云々」という的外れかつテロ支援ともいえる論評がいろいろなところから出てきたことは記憶に新しい。しかし、忘れてはならないのは、「イスラーム国」は政治的行動様式としてテロリズムを採用している団体であり、最も人目を惹き、最も説得力がありそうに見え、最も時宜にかなった広報をすることこそが同派の生命力の源だということである。つまり、バグダーディーは個人の資質や来歴とは無関係に、テロ組織としての「イスラーム国」で「カリフ」を演じるのに最もふさわしい能力を持っていた俳優さんではあるが、そこから先、つまり同人自身がどのくらい組織の経営に関与していたかを証明する術はない、ということだ。

 確かに、「イスラーム国」はその振る舞いにおいて社会的反響を最大化する行為(斬首や性奴隷など)を選択し、それを「イスラーム的に正しい」と正当化し、無責任な評論家たちにも同様の結論を出させるためにふさわしい論理を唱導した。しかし、バグダーディー自身がそれを選択し、論理構成を編み出すのにどのくらい主体的に振る舞ったかと問えば、実はたいしたことない、という結論にも達しうる。

バグダーディーのタマをとったので大ヒット間違いなし

 本稿執筆時点で、「イスラーム国」はバグダーディーの生死について何の公式発表もしていない。ちなみに、最後に同人のものとされる演説の音声ファイルが出回ったのは2019年9月16日(日本時間)であり、その演説では2019年8月中旬ころまでの情勢推移に言及していたことが確認できる。ここで、「イスラーム国」がアメリカ軍によるバグダーディー殺害を否定したり、バグダーディーの「殉教」を認めて速やかに後継を擁立したりできないと、同派が主張する「カリフ制」にとっても、テロリストとしての「イスラーム国」にとっても相当格好悪いことになる。

 残念ながら、トランプ大統領の記者会見では、筆者のような部外者やシロートにも納得できるような形でバグダーディーの殺害を証拠立てる演出がなかった。つまり、「イスラーム国」には今般の発表を、証拠(=バグダーディーが確実に生存していることを示す動画など)によって否定することも、同人の「殉教」を讃えて速やかに後継を擁立して「カリフ制」が正常に機能していることを誇示することもできるおいしいネタとして利用することができる。繰り返すが、アブー・バクル・バグダーディーという人格は、イブラーヒーム・バドリーという個体の人格や個性とは別に「イスラーム国」の広報のために合成されたものなので、「イスラーム国」の側に替わりをでっち上げる能力があるのなら、その生き死ににはたいして意味がないのだ。

 となると、「イスラーム国」が速やかにアメリカの発表を否定するなり、バグダーディーの後継を擁立するなりできない場合、同派の政治・広報面での能力は今や組織を維持したり、模倣者・共鳴者を募ったりすることができないほどの壊滅状態にあると言えるだろう。「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派全体はすっかり没落過程に入っているので本件に関し、真剣に考えるべき点はイスラーム過激派がアメリカの発表にちゃんと反応できるか否かという極めてレベルの低い問題にすぎない。

イスラーム過激派の幹部狩りなんて馬鹿げてると言ったろ

 トランプ大統領の発表によると、バグダーディーの潜伏場所はシリア北西部のイドリブ県、しかもトルコとの国境にほど近い集落だった。この地域は、2014年以来「イスラーム国」とは対立関係にあるイスラーム過激派がトルコの支援を受けつつ占拠していた場所である。なぜこのような場所に同人が潜伏していたかについて、トランプ大統領は一言も説明しなかった。しかし、「イスラーム国」の日ごろの広報活動を観察していると、広報の拠点、或いは情報集約拠点はイラクにもシリア東部にもないことは明白であり、トルコかEU諸国のいずれかが最有力候補地だった。

 ここから、バグダーディーの身柄、或いは「イスラーム国」の活動そのものがアメリカ、トルコ、ロシア、など様々な当事者の間の合意や馴れ合いの結果だと邪推する説もあるようだ。しかし、これはあくまで邪推にすぎず、これを実証することも、これについての論評に反証可能性を持たせることも不可能である。確かに、筆者も「イスラーム国」を増長させた原因として、アメリカ、EU諸国、トルコ、サウジ、カタルなどの各国の悪意や不作為を指摘し続けてきた。しかし、ここで証拠と共に指摘できるのはあくまで不作為までであり、「イスラーム国」の存在や活動が各国の陰謀であるとか「国際関係」の帰結であるとか述べるものではない。

 また、幹部を殺害したとしても「イスラーム国」のメッセージは残り、拡散しているので、同派の脅威は永続するとの説も相変わらず健在である。しかし、いったん具体化した思想・信条が、書物や伝聞、最近ではインターネット媒体で流通し続けるのは特段おかしなことではない。重要なのは、そうして流通する思想・信条や行動様式が、模倣や共感に足るだけ魅力的なものか、つまり今後も視聴者を引き付け続けるだけの戦果や展望を示すことができるかという点である。

 例えば、アル=カーイダについては、もはや模倣者や共鳴者を惹きつけるほど視聴者がいない。「イスラーム国」についても、残念ながら(?)同派の側に魅力的な論理や戦果を提示する能力がなくなってきている。同派が今般の発表に対し、広報上効果的な反応をすることができれば、自らの魅力を若干長持ちさせることもできるだろうが、その可能性は高くない。重要なのは、「イスラーム国」やアル=カーイダのようなイスラーム過激派の活動家と幹部を物理的に消すことではなく、彼らの主張や行動に「人殺し・犯罪」以外の意義を与えないことである。イスラーム過激派の活動家にとって、現世で死ぬことは正しい道のための「殉教」として正当化できるが、自分の行動や主張が誰にも見向きもされないのは死ぬよりつらいことなのである。この点を意識して、イスラーム過激派の主張や行動に意義や正当化を与える振る舞いをつぶすことは、イスラーム過激派の幹部を殺害・摘発するのと同等かそれ以上に大切なのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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