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シリア:「現地入り」の成果をどう活かすか

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
レバノン・シリアの国境通過地点。もう「正規に」シリア入りする方法はたくさんある。(写真:ロイター/アフロ)

 シリア紛争と周辺の国際情勢の変化により、シリアについての観察や分析の視点や手法も変えていく局面に差し掛かっている。紛争そのものやイスラーム過激派をはじめとする犯罪集団のモニターに加え、復旧・復興事業への関与の在り方も現実の問題となった。そうした中で、「現地入り」という貴重な経験をどう活かすかという課題をより意識すべきだろう。

取捨選択の対象となった「現地情報」

 交通や情報通信の手段・技術の発達により、人類は紛争地・立ち入り困難地についての情報をかつてなく豊富に入手できるようになった。例えば、シリアでの戦闘とその被害、人々の日常生活、生活必需品の価格などについての情報は、こちらが求めなくても紛争当事者と現地で暮らす人々がふんだんに、しかもリアルタイムで提供してくれる。つまり、「現地情報の量」という観点からは、もう外部からわざわざ専門家や記者に来ていただかなくてもいい状態ともいえるのだ。

 そうなると、重要なのは「現地情報の質」となる。特にシリア紛争については、情報を発信するあらゆる主体が、紛争や政治状況について明確な立場に基づき、敵方を貶める手段として情報発信を行っている。専門家や記者が現場に出向いた場合でも、こうした制約からは逃れられない。シリア政府の制圧地域の報道につく「政府の官憲が同行したため、インタビュー対象の本音が聞けない」という枕詞は、シリア政府以外の勢力が占拠している地域においても当然意識すべきである。アメリカも、トルコも、クルド民族主義勢力も、イスラーム過激派や犯罪集団も、「自分に都合のいい現地情報」だけを見せてくれるわけで、それ以外の情報を悟られないように現地の住民に圧力をかけるのは当然のことである。居場所がどこであれ、シリアについての観察者・分析者には、情報を発信する主体の身許、政治・社会的立場を理解した上で、無数にいる発信者の信憑性や情報の真正性を判断しなくてはならない。無数に発信される「現地情報」の中から、有益なもの、信頼できるものを選ぶ技量が問われている。

 さらに、数ある紛争地・立ち入り困難地の中から何故敢えてシリアか、という問いも意識すべきであろう。アラブ諸国の中だけでも、政府による統制・統治が失われたという観点からはリビアの状況の方がはるかに深刻である。現地の住民の人道状況や被害状況という観点からはイエメンの「現地の声」を聴こうとするジャーナリストがほとんどいないことは本当に不思議なことだ。また、将来への展望が全く開けないまま見捨てられつつあるという意味では、パレスチナの人民の状況の方がはるかに悲劇的である。かつて、アラブの人々から日本の研究者や報道機関の関心が専らパレスチナに注がれていることが疑問視されていたが、現在における「シリアの現地入り」という行為はリビア、イエメン、パレスチナ、等々の多数の紛争や人道上の問題の中から取捨選択した結果であることも自覚したい。

検証・実証・反証が不可欠

 行先も現地情報も多数ある中で、さしたる考えもなしに紛争地・立ち入り困難地に出向き、そこで見聞したことに感想を述べるだけでは、多少の予習復習が科される小中学生の遠足・修学旅行にも劣ると言わざるを得ない。新事実を発見するまで行かなくとも、既存の現地情報を検証・実証・反証し、対策が必要な問題については対策の方向性を示すような成果を上げれば、とても価値のある現地調査・取材のように思われる。

 例えば、アメリカからイドリブ県などに提供された支援の相当部分がイスラーム過激派などの武装勢力に漏出しているという事実はアメリカの政府や援助機関自身が認めている。この問題の実態やメカニズムはどうなっているのだろうか?

 また、イドリブ県を占拠するイスラーム過激派・犯罪集団が現地の住民の生活を圧迫している問題は、彼らが同地を「解放」して以来常に指摘されてきた問題である。これは現在も変わっていないようだが、紛争当事者によるプロパガンダにからめとられ、現地の物価や人民の生活水準のような、判断材料となるような情報は乏しい。

 イドリブ県を占拠するイスラーム過激派・犯罪集団が収容施設を設営し、現地の人民や敵対勢力を収監・虐待しているという問題は、もう何年も前から周知のことだった。さらに、イドリブ県では臓器売買が横行しているという問題もかねて指摘され続けてきたが、被害の実情や臓器売買に従事する者たちの実態を解明しようとする努力はまだ結実していない。紛争による遺跡の破壊については、被害の全体像がまだ見えない。

 個々の問題のリンク先を見ていただければ、これらが何年も前から深刻な問題となっていたことがわかるだろう。現地調査・取材の経験者には、こうした問題がどうなっているのかぜひ尋ねてみたい。また、現地まで行かなくとも、シリアについての調査や取材を計画する場合、どのような問題があるのか情報を集めた上で、題材を絞り効率的な調査・取材・情報発信計画を立てることもできよう。そうした調査や取材の結果、「そのような問題は存在しない」という結論でも一向に構わない。それはそれで議論すべきこと、尋ねるべきことがたくさん出てくるし、そうした議論が起きるだけでも成果と言えよう。

おわりに

 現地情報は確かに重要だ。ネットなどを通じて提供される情報に全面的に依拠し、外部の安全地帯に居ながらにしてシリア紛争やイスラーム過激派の実態などが「全て」わかるわけでは当然ない。しかしより大事なことは、「シリアに行くこと」ではなく、「行った結果を何に、どのように反映させるか」であろう。シリアだけでなく紛争地や渡航・立ち入りが困難な場所全般について、どんな高尚な使命感や理想があっても、結果を事後に反映させられない、価値や成果を認め難い渡航・潜入もたくさんあるということだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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