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イスラーム過激派にとってのラッカ陥落

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

2017年10月17日、アメリカの支援を受ける民主シリア軍(SDF)がラッカ市を制圧したと発表した。「イスラーム国」がラッカを失うことは、同派のみならずイスラーム過激派の現状と行く末にとって象徴的である。

戦略的にも戦術的にも価値の乏しいラッカ

 ラッカでの戦闘が決着したことは、確かに「イスラーム国」対策やシリア紛争の文脈で一つの節目とは言える。しかし、それは同市が「イスラーム国」にとって必要不可欠な機能を担っている、或いは重要な資源の調達場所だったからというわけではない。また、管見の限り、「イスラーム国」自身が公式の文物で同市を「首都」と称したことはなく、ラッカでの戦闘を預言者ムハンマドが勝利した塹壕の戦いになぞらえたプロパガンダを行うようになったのも、イラク政府軍がモスルを解放した後のことだった。

 落ち着いて考えれば、アブー・バクル・バグダーディーが「カリフ」を僭称して初めて演説したのも、「イスラーム国」が後藤さん・湯川さん誘拐・殺害事件の際の時間指定で基準とした時間も、モスルだった。また、人口規模の面ではラッカはモスルの十分の一に過ぎない。かつてはトルコ経由で密航してきた外国人戦闘員や記者を集約する場所として、何か機能を果たしていたかもしれないが、「イスラーム国」自身の広報からも離れた虚像として「首都ラッカ」が独り歩きしていた感がある。現在、シリアにおいてもイラクにおいても、「イスラーム国」後の権益争いが紛争の基軸となっている。クルド自治区とイラク連邦政府との角逐も、シリア紛争の戦局も、あらゆる紛争当事者にとって、ラッカの戦闘の帰趨とは無関係に「イスラーム国」が過去のものとなっていたことを示している。

 ラッカと同等かそれ以上に重要な機能を担っていたのは、ユーフラテス川中流部のマヤーディーン、アブー・カマール、カーイムのような諸都市だったように思われる。特に、マヤーディーンはこの10月にシリア政府軍が同地を解放すると、自称通信社「アアマーク」の短信も含め、「イスラーム国」の広報発信が著しく低下した。今では、週刊の機関誌の刊行ペースや質も怪しくなってきた。ラッカには、同地の陥落をもって「イスラーム国」が事実上崩壊、といえるほどの戦略的・戦術的重要性も感じられない。だからといって、ラッカが陥落しても「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派の脅威は変わらない、と改めて警鐘を鳴らす気にもなれない。

「イスラーム国」の命運との関連

 改めて振り返ると、何かの運動としての「イスラーム国」のピークは2015年初めごろだった。同時期、世界各地で「カリフ」に忠誠を誓う「州」が現れ、世界中から外国人戦闘員やその家族が「イスラーム国」に「移住」し、ついにはEU諸国、チュニジア、アラビア半島諸国でも「イスラーム国」による攻撃が発生した。しかし、実のところEU諸国、チュニジア、サウジで攻撃を起こしたことは、「イスラーム国」にとって自殺行為同然の不合理な行動だった。これらの諸国は、従来「イスラーム国」によるヒト・モノ・カネなどの資源の調達と送り出しを等閑視し、半ば黙認してさえいたが、自国が攻撃を受けた以上、足元での取り締まりに本腰を入れざるを得なくなった。2016年大晦日にイスタンブルのナイトクラブが襲撃され、「イスラーム国」名義で犯行声明が出されたが、この事件も「イスラーム国」が安全な資源の通過経路、兵站拠点を最終的に喪失したことを示す事件であった。

 広報のモニターという観点から、筆者は「イスラーム国」の「ご臨終」は2016年4月ごろではないかと考えている。この時期を境に、「イスラーム国」の広報の量・質が目に見えて落ちたのである。例えば、広報分野での一斉攻撃ともいえる、同一テーマでの動画の大量発信キャンペーンが、以後一切なくなったのである。これは、少なくとも各州など末端の機関にキャンペーンのお題や動画づくりで参照すべき典拠を提供する機能が停止したことを意味する。極端に言えば、それ以後の「イスラーム国」は、犯行声明、「アアマーク」の短信、雑誌などを通じた広報に報道機関や世論が過剰反応する時流に乗って惰性で動いていたとみてもよい。繰り返すが、ラッカで敗北したことは「イスラーム国」にとって打撃ではなく、それ以前にすでに同派は回復不能の大打撃に打ちのめされていたのである。

 このような状況下で、「イスラーム国」にとってラッカは死守すべき拠点ではなかっただろう。もしそこまで重要な拠点ならば、なぜ同市で重要な幹部が死亡したり、逮捕されたりしなかったのだろうか?「カリフ」を僭称するバグダーディーは、2016年11月と2017年9月に「イスラーム国」の残存地域の戦闘員たちに神頼みに近い論調で戦闘継続・拠点死守を呼びかけた。だが、彼自身は自分もどこかの戦陣で闘っているとは一言も言わなかった。これらの演説は、「イスラーム国」を経営するテロリストたちは既に安全地帯に潜伏し、組織の経営上はどうだっていい存在の戦闘員を戦場で使い捨てにすることを示唆していたように思われる。事実、「イスラーム国」は占拠地域が急速に縮小する段階になって、ようやく占拠地域の住民に貴金属貨幣の使用を強制しだしたが、貴金属貨幣は住民から紙幣を巻き上げるために導入されたに過ぎなかった

イスラーム過激派の将来

 それでは、「イスラーム国」の経営者たちは、潜伏先で巻き返しの秘策を練っているのだろうか?あるいは、「イスラーム国」の衰退を受け、アル=カーイダのような既存のイスラーム過激派へと支持が回帰するだろうか?これについては、イスラーム過激派諸派やその「思想」なるものが世界に「拡散」していることがしばしば懸念されている。しかしながら、「拡散」が言われる地域のほとんどは、「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派にとって比較的大口の資源供給源である。資源供給源である以上、それらの地域で資源調達活動を行うイスラーム過激派の組織やネットワークはかなり以前から強固に存在していると考えるべきである。イスラーム過激派の活動が「拡散」しているかのように見える場合でも、そうした観点から見れば何ら新奇なことではないと言えるだろう。

 イスラーム過激派は、現在、そして今後数年は退潮局面にあるといってよい。退潮の挙句ネットの世界で勧誘や動員の地歩を築く、いわゆる「カリフ国2.0」のような現象が生じたとしても、現場での戦果とのバランスを欠いた広報や扇動がいつまでも求心力を持つとは考えにくい。「イスラーム国」の共鳴者や模倣者が引き起こす通り魔的襲撃事件は、「イスラーム国」が自派の作戦と認定することで初めてジハードとして権威づけられる。これは、世論と報道機関が「イスラーム国」の広報を相当程度信用し、権威を認めてはじめて成立するメカニズムだ。ラスベガスでの銃撃事件を契機に、世論や報道機関はようやく「イスラーム国」の広報の信頼性に疑問を持つようになったが、「イスラーム国」が現実の世界から消えてしまった後は、彼らの広報の信頼性に対する目は厳しくなる一方だろう。

 アル=カーイダにイスラーム過激派の支持が回帰する可能性も、あまり高いとは言えない。過去十年、彼らには誇るべき業績が乏しい。確かな戦果・業績を持たないハムザ・ビン・ラーディンのような人物は、ウサーマ・ビン・ラーディンの息子だからといって支持されるとは限らない。アル=カーイダなどとは別に、「イスラーム国」の失敗(=地元民の収奪・虐待が最たるもの)を踏まえて新たな現象が生じる可能性もある。ただし、イスラーム過激派流の「イスラーム統治」が人民を幸せにしないことは、皮肉にも「イスラーム国」自身の広報活動によって広く知らしめられた。アル=カーイダや「イスラーム国」よりも洗練されたイスラーム過激派現象を引き起こすのは容易ではなさそうだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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