「イスラーム国」の声明の読み方#2:オーランドの襲撃事件を教材として

「イスラーム国」が同性愛の被疑者を公開処刑する模様

 2016年6月12日にフロリダ州オーランドのナイトクラブが襲撃された件で、またしても「イスラーム国」が「事実上の」犯行声明を発表した云々ということで報道機関の注目を集めているようである。筆者としては、「イスラーム国」の観察の仕方、彼らの行動様式の解釈の仕方に何か「正しい」流儀や作法があるとはみじんも思わない。とはいえ、「イスラーム国」のプロパガンダがなるべく世の中に害悪を及ぼさないように処置する方法は間違いなく存在するとは思う。オーランドの襲撃事件は、そのような意味で「イスラーム国」のプロパガンダをどのように捌くのかを考える上で重要な例となろう。

 「イスラーム国」の声明をはじめとするプロパガンダの読み方についてはいくつか論点がある「イスラーム国」の声明をはじめとするプロパガンダの読み方についてはいくつか論点がある。それも踏まえて、彼らの「作品」について指摘すべきことは以下の通りである。

  • 犯行声明をはじめとする「イスラーム国」の作品群は、製作者や流通させた者の信頼性を確保するために、かなり確実な流通経路を通じて発信される。作品が「本物」ならば多少時間的な遅れがあっても「正式な」流通経路に乗って発信されるので、声明類の「早く見つけた競争」に参入するよりも実績のある経路を見張っていた方がより確実である。
  • 流通経路などの材料を基に声明類が「本物である」と判断できる場合でも、そこに書かれている、収録されている内容が「事実である」か否かとは全く別問題である。作品が「本物」でも、内容が真っ赤なウソだという場合も大いにありうる。
  • 例えば何かの攻撃作戦についての「犯行声明」の場合、作戦の意図、それを通じてなにがしかの主張をする責任は専ら「イスラーム国」の側にある。従って、声明が発信される前でいろいろ憶測を巡らせることや、声明に書かれていないことについて想像に基づいて論評することは避けるべきである。

 今般のオーランドの襲撃事件については、上記の三番目の点に留意することが特に重要となる。なぜなら、本稿執筆時点で「イスラーム国」の声明は発表されていないからである。にもかかわらず、報道機関や専門家の一部が「事実上の」犯行声明であると主張する文書が出回り、それを基に襲撃は「イスラーム国」の作戦か、同派の影響を受けた者の行動であるとの予断に基づく論評が様々な媒体を席巻してしまっている。結論から言うと、「事実上の」犯行声明を発信したとされる「アアマーク通信」と「バヤーンラジオ」はあくまでも「イスラーム国」傘下の自称報道機関であり、両機関とも独自に「イスラーム国」の業績や見解や意図を発信する権能は持っていないと考えるべき存在である。さらに言うならば、両機関が発信した「事実上の」犯行声明なるものは、それが発信される前に世界中に知れ渡った既存の報道内容や当局発表のうち都合のいいものを都合よく解釈したごく短い文書であり、実行犯のみが知りうる事実を暴露するなり、実行犯の意図を説明するなりして敵方の当局や報道機関を出し抜くような情報を全く含んでいない。

 ここで問題になるのは、オーランド事件の襲撃対象が同性愛者の集うナイトクラブだったことについての解釈や解説である。確かに、「イスラーム国」やそのファンの論理に基づけば、同性愛、特に男性のそれはアッラーの啓示であるクルアーンで明示的にアッラーの懲罰対象になる悪徳である。それ故、「イスラーム国」は占拠した地域で「ロトの民の行為をなした者」(=男性の同性愛)のカップルはいずれも死刑と定め、しばしばその容疑者を公開で処刑している。ただし、現時点では襲撃事件が「イスラーム国」の作戦であるなり、同派の影響を受けた者の行動であるなりの根拠はほとんどない。それ故、同性愛者に対する「イスラーム国」の見解や態度、及びその根拠となる宗教的典拠について言辞を過度に弄することは、今般の事件は「襲った方に正当性があり、襲われた方に落ち度がある」と錯覚させる効果を招きかねない。もし、これが本当に「イスラーム国」の作戦と位置付けることができるものならば、いずれかの段階で「イスラーム国」が同性愛なりアメリカの堕落なり、自派の正しさなりを主張するなにがしかの作品を発表するべきである。速報性を重視する立場からは不満が残ることかもしれないが、確実な状況の把握と対策を期するならば、予断や憶測を排するところから始めなくてはならない。