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<ガンバ大阪・定期便41>我らの『宇佐美貴史』を取り戻した日。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
約7ヶ月ぶりとは思えない輝きで攻撃を加速させた。 写真提供/ガンバ大阪

 ウォーミングアップのために、フィールド選手の先頭に立ってピッチに現れた宇佐美貴史を、サポーターは耳馴染みのある彼のチャントで迎え入れた。3月6日の川崎フロンターレ戦で右アキレス腱断裂の重傷を負ってから約7ヶ月。スタジアムDJが彼の名前を呼ぶたびに一際、拍手が大きくなる。その熱が、改めてファン・サポーターにとっての宇佐美が、いかに特別な存在であるかを示していた。

「アップの時からチャントを歌ってもらって『本当に帰ってこれて良かった』と思わせてもらった。感謝しかない。そんな気持ちにさせてもらって、チームとしても素晴らしい後押しをしてもらっている以上、なんとしても結果で返したい。改めて自分はこのクラブ、チームをJ1に残留させるということをしっかりやっていきたいと思いました」

 コロナ禍にあって、パナソニックスタジアム吹田に『声』が響き渡るのは実に2年8ヶ月ぶり。全てを背負う覚悟でこの試合を迎えていた。

「チームが残留争いをしている状況での復帰に、応援してくれる人たちの僕に対する期待が大きくなっていることは自覚しているし、その期待に何が何でも応えなアカンとも思う。ましてや、柏レイソル戦で復帰するとなったら、サポーターの皆さんが待ち望んでいたパナスタでの(コロナ禍では)初めての声出し応援の対象試合になるわけで、輪をかけて期待も大きくなるはずですしね。でも、それも全部まとめて背負ってみるのも面白いかな、と。背負える自分でもありたいと思う。ピッチに立つ以上、7ヶ月ぶりの復帰ということは何の言い訳にもならないし、するつもりもない。出るなら、今の自分の全てを注いで、ガンバのために戦うことが自分の責任。久しぶりにサポーターの皆さんの声援が聞けるということを僕自身の力にしながら、勝たなアカン状況にあるというプレッシャーも自分の気持ちを燃え上がらせる火種にして、サッカーを楽しみたい」

■復帰までの道のり。『スリープモード』で過ごした6ヶ月。

 フィジカルトレーナーとの個別トレーニング、チームへの部分合流を経て、いよいよ全体練習に合流する日の前日。取材の最中に宇佐美が漏らした言葉には、受傷から復帰までの6ヶ月の戦いの日々が詰まっていた。

「6ヶ月のうちの、25分くらいかな」

 「この時間は長く感じましたか?」と尋ねると、どこか他人事のように「それが正直、ようわからん。なぜかあまり記憶がないんよね」と切り出した。

「1日、1日課せられたことをただ、やるだけ、ほんまにそれだけやったから。あの時期はキツかったよな、とか、3ヶ月経った時はこんなことを思ったなとか、4ヶ月目に入ったらこんな気持ちやったなってことも、自分でもびっくりするくらい覚えてない。だから、数字的には絶対に長かったのに、短かったとすら感じる。手術をして病院のベッドにいる時に想像していたより、全然しんどくなかったし。いや、今となってはしんどいか、しんどくなかったのかすら、ようわからん(笑)。そのくらい瞬間、瞬間でしか生きてなかったってことだと思う。でも、今になって振り返ると、おそらく右アキレス腱のことを考えずに歩いた時間を合計しても…6ヶ月のうち25分くらいかな。なんなら(受傷して)最初の頃は、寝ていてもずっと、右アキレス腱のことが頭にあった」

 リハビリ期間、「瞬間でしか生きてこなかった」理由を、宇佐美は『自己防衛本能』という言葉で表現する。仮にピッチに戻りたい、サッカーをしたいという思いを抱けば、同時に、それが叶わない事実を突きつけられることになり、気持ちが重くなってしまう。そういえば、4年ほど前、日本にいる家族と離れてドイツでプレーしていた時期に「会いたいと思うと、会えないことが辛くなるから、そもそも家族に会いたいという感情を自分の中からなくすようにしている」と話していたが、今回もそれと同じだろう。

 自分自身を自らネガティブな感情に追いやってしまうことがないように、ケガを負った瞬間からプロサッカー選手であることを自分の中から消し去って過ごしてきた。 

「意識的にそうしたつもりはないけど、脳が勝手に自己防衛反応を働かせて、プロサッカー選手としての電源をオフにしていたんやろうね。携帯電話で言うところの、スリープモードみたいな感じ? 生きてるけど、生きてません、みたいな(笑)。実際、リハビリの最中に先のことを考えたことなんて一度もなかった。入院していた時は松葉杖が取れるのを目指し、松葉杖が取れたら自力で歩くことを、歩けるようになったら足を引きずることなく普通に歩けることを、それができるようになったらジョグで走れることを、早く走れるようになることを目指してやってきた。だから、正直、自分を奮い立たせてやってきたという感覚は全くない。そんな風に言えたら感動的なんやろうけど(笑)、現実はもっと重いし、奮い立たせるにもキャパがあって、ずっとずっとは無理やから。特に今回の怪我は1〜2ヶ月で復帰できるようなケガではなかったからこそ、余計に日々、淡々と与えられたメニューをこなしてきて、気がつけば半年が経っていた」

■スイッチがオンに。「明日もみんなとサッカーができる」

 オフになっていたスイッチが入ったのは、チームに部分合流をした8月末だったと言う。それまでは、たとえばリハビリでボールを蹴るようになっても特に気持ちに変化はなかったが、チームメイトとボールを蹴るようになって自然と気持ちが動くのを感じた。

「不思議なもので、チームに部分合流をし始めた頃から、ごく自然にサッカーをしたいという感情が戻ってきたし、みんなと一緒にボールを蹴ったら、まぁ、楽しくて。練習が終わって『明日もみんなと一緒にサッカーができるんや』って考えるだけで幸せやった。その感情が自分の中に戻ってきた時に、ああ、俺、ピッチに戻れるわ、って初めて思った」

 もっともその過程が全て順調だったわけではない。彼自身は、過ぎ去った時間について「あまり覚えていない」と言うものの、月に1〜2度、取材で言葉を交わしてきた中では、「自分の知らん間に、寝ながら体を伸ばしているらしく、そのたびにアキレス腱に痛みが走って3〜4回、目を覚ます」と漏らしていた時期もあるし、長く伸びた髪について冗談めかして「今はもう何も切りたくない」と笑ったのもおそらくは本音だろう。一見、順調に見えるリハビリ生活の中では、体のハリや患部の痛みを感じて「あ〜進まんな〜」と話していたことも。逆に、その状況を受けてトレーニング方法を変更し、新しい刺激が体に入るようになった時には「めちゃめちゃいい感触。めちゃ進んだ気がする」と声を弾ませてもいた。また、時に「変わらない日常に刺激が欲しい」と一人、自然を浴びに出掛け、リフレッシュを求めたこともあると聞く。

 そうした状況にありながら、長期離脱を強いられる大ケガを負った選手に心を寄せたり、定期的に連絡を入れていたのも、ある意味、彼自身がリハビリ中にいろんな苦しさ、悔しさを味わってきた証拠だろう。そういえば、チームメイトの福田湧矢が肩関節を脱臼し手術、入院となった際も福田は「宇佐美くんがしょっちゅう電話をくれます」と明かしていた。

「ケガをして長期離脱になるしんどさは今回でよくわかったから。できればもう誰一人としてケガをしてほしくないと願っているけど、この世界はケガと隣り合わせにあるのも事実やから。残念ながらケガはどうしても起きてしまう。でも別に、そんな御涙頂戴の話ではないよ。僕は幸い気持ちは全く落ちひんかったけど、湧矢は性格的にガクンときそうなタイプやからさ。あいつが入院中に変なことを考えないように、生きてるか? ってマジでそれだけ。湧矢のためちゃうで。仮に湧矢に何かあって『あの時に電話しておけばよかった』って自分が後悔しないで済むように(笑)。可愛い後輩が知らん間に病院の窓から…なんて絶対にないと思うけど、ケガのしんどさがわかるからこそ、勝手に想像して、勝手に手が番号を押してた。それもある種の、自己防衛本能かもね」

 そんなふうに、常に右アキレス腱のことを考えながら過ごしてきた日々は、戦列に戻った今も続いている。目覚めて最初に思うのは「アキレス腱、痛っ!」らしく、彼の毎日は、寝ている間にやや固まってしまったアキレス腱周りの筋肉をほぐすことから始まる。練習がある日は、朝の6時半には起床し、朝食を食べて、クラブハウスに向かう。到着するのもほぼ、毎日一番乗り。お風呂に入って足を温め、トレーニングに万全で臨むための体を整える。

「お風呂に入って足を温めてほぐして、トレーナーに体を整えてもらって、ようやく練習が始められる。終わったらもちろん、パーソナルのケアもするし、家に帰ってからも常にストレッチは欠かせない。座っていても、自然と右足を触ってるわ」

 全体合流後は当然、チームと同じスケジュールで動いてきたが、オフも自分の体と相談して、休み方を考えることが増えた。

「オフにボールを蹴ることはなくても、べったり体を休めることも今のところはまだないかな。意図的にアキレス腱周りを動かすようには必ずしているし、パーソナルトレーナーと軽めにトレーニングを行うとか、一人で走る日もある。歩くだけでそこに意識がいく癖もついちゃってるしね。でも、そこは自分だけ特別なわけではないと思う。むしろ、プロサッカー選手のほとんどが、中身の違いはあれ、やっているはずだし。それに今年で30歳になって、この先も現役を続けていくには、ここで一回体を作り直さなアカン時期でもあると思うから。アキレス腱断裂でいろんな意味でフレッシュになったものに、必要なものをきちんと加えていくことで、ここから自分がもうひと伸びできるってことを後輩たちにも見せていきたいとも思う。それによって初めてこのケガをした意味を自分の中で感じられるんじゃないかな」

 その一語一句に、宇佐美が『プロサッカー選手』としての自分を取り戻したことを実感する。全体練習に合流してからのコンディションも良く「むしろ、良すぎて体が動きすぎるのが怖いくらい」とも話していた。

■柏戦で背負った覚悟。復帰戦のピッチで感じたこと。

 そうした中で迎えた、10月1日の柏戦。冒頭に書いた通り、「全てを背負う覚悟」で先発のピッチに立った彼は、キャプテンマークを巻いて躍動した。

「秋くん(倉田)がいなかったので僕が(キャプテンマークを)巻きましたけど、試合に出る以上、結果が出せなければもちろん自分が矢面に立つ覚悟はあったというか。僕が若い時は(年齢が)上の選手にそういう姿、メンタリティで引っ張ってもらったように、チームのことをしっかり見つつ、自分自身にもしっかり目を向けてやっていこうと思っていました」

 特に前半は相手のシステムとの間にできるギャップに効果的なポジションを取りながら、中盤と前線の繋ぎ役となり攻撃を加速させる。後半は、やや疲れが見えたものの、予定していた時間を越える『73分間』のプレーは7ヶ月の離脱を感じさせないものだった。

「どんな点でもいいし、どんな勝ち方でもいいから勝ち点3を獲りたかったし、試合中はそのことしか考えていなかった。前半は自分が入ったからこそのボールの動かし方だったり、攻撃は出せていたと思いますが、後半は、相手が更にどっしりとブロックを組んで、うちとのギャップを消してきたので、前半に比べて縦に入るボールとか斜めにつける楔のボールが圧倒的に少なくなってしまい(ブロックの)外でボールを回しているだけの状況になってしまった。そういう時に全体でどう打開していくのかというところでの工夫やアイデアをしっかり出せなかったことが崩しきれなかった、勝ちきれなかった理由の1つだと思う。前半のように、ボールを触りながら、リズムを作りながらも自分がフィニッシュの場所にいるとか、アシストをできる場所にいられるように、というのをもっと突き詰めてやっていかなければいけないし、今日のように後半、相手が少しやり方を変えてきた中でもしっかり上回れるように、局面、局面での工夫やアイデアを、もっと僕を含めた選手自身が自発的に出していかなければいけないと感じました」

 試合後、報道陣に囲まれながら、悔しさを噛み締める。以前、話していた「こんなにサッカーから離れたことはなかったから、(復帰戦で)自分がどんな感情になるのか楽しみ」という言葉の答えを知りたくて「この73分間を楽しむことはできたのか」と質問を投げると、少し考えて言葉を続けた。

「ん〜楽しめたか…勝ち以外は欲しくなかったので、(引き分けに終わって)残念な思いもあるけど、個人的なことで言えば戻ってこれた喜びとか、ケガなく無事に試合を終えられた安堵感ももちろんあります。1試合戦えたことで、この先、自分のコンディションは上がっていくはずだし、上げていかなアカンと思う。そういう意味では、僕個人にとって今日の試合はポジティブに考えられることばかりだと思うので、それを残りの3試合でしっかりチームに還元していきたい」

試合中は繰り返し仲間に声を掛けチームを牽引。圧巻の存在感も健在だった。 写真提供/ガンバ大阪
試合中は繰り返し仲間に声を掛けチームを牽引。圧巻の存在感も健在だった。 写真提供/ガンバ大阪

 宇佐美の右アキレス腱は、今、手術によって頑丈につなぎ合わされたことから、左より明らかに太い。そこに触れると、どこが接合部かわかるほどに、だ。

「アキレス腱でボールを蹴るわけじゃないから、太くなったのは全く影響はないけど、これまでの人生で一番、過保護に労ってきたせいか、なんなら、ケガをする前より足首全体が柔らかくなった感じすらある。それは嬉しい誤算」

 そんな逞しさを備えた相棒とともに、宇佐美がガンバに帰ってきた。残り3試合で『J1残留』を引き寄せるために。柏戦でピッチを退く際にも歌われた、彼のチャントに込められたサポーターの『想い』に応えるために。何度でもそのチャントをスタジアムに轟かせてもらうために。そして、宇佐美貴史が、宇佐美貴史であるために。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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