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コロナ禍にある今だから「チャレンジ」を。丹羽大輝がスペインで新たなキャリアをスタート。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
プロ18年目にして「プロになった時以上のワクワクした毎日」だと笑う。(本人提供)

 5月6日、丹羽大輝はスペイン4部リーグのSESTAO RIVER CLUB(以下、セスタオ)との契約を発表した。以前から夢の1つに描いていた『スペインでのプレー』を叶えようと、日本を旅立って約4ヶ月。様々な逆境に直面しながらも、すべてのことをポジティブに受け止め乗り越えてつかんだ、新天地だった。

 夢の実現のために丹羽が海を渡ったのは、FC東京でのキャリアをルヴァンカップ優勝で締めくくった3日後の1月7日のこと。新型コロナウイルスの蔓延を受け、首都圏を中心に今年最初の緊急事態宣言が発令された当日だった。

「スペインはオフシーズンなどに家族旅行で何度か足を運んだことのある大好きな国。以前から、いつかこの国でプレーしたいと思っていました。ただ、自分の年齢やポジションを考えるとFC東京との契約が満了する今回がラストチャンスだろうなと…ってことを去年の夏頃から考え始め、以来、現地の知り合いを通じてチームを探してもらっていたんです。でも、ここ1〜2年はFC東京でもあまり試合に出場できていなかったですからね。現地の仲介人にチームをあたってもらっても『プロフィールは魅力的だけど、最近は試合に出ていないよね』という話で終わることが多かったんです。ところが、去年の12月にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のパース・グローリーFC戦にフル出場したことで興味を持ってくれるチームがいくつか出てきたらしくて。それを受けて現地の仲介人に『まだ正式オファーではないけど、大輝に興味を持っている3部リーグのチームがいくつかある。ただ、移籍ウインドウが閉まるまでの時間を考えると、今のうちにスペインに来ておかないと契約までこぎつけられないだろう』と言われて、『なら、FC東京の活動が終わったらすぐに行きます!』と。実際、ヨーロッパのウインドウは1時間単位で状況が変わると言っても過言ではないくらい、めまぐるしく状況が動きますからね。仮に『契約しましょう』となってから日本を旅立ったのでは時差を考えてもいろんな手続きが間に合わない可能性が高い。ましてやコロナ禍で飛行機が飛ばなくなることもゼロではないから…と話していたら、本当に出発の日に緊急事態宣言が出されて焦りました(笑)」

 実際、彼から送られてきた写真には、空港の出発便を示す掲示板に『欠航』の文字がずらりと並んでいたものだ。その中で唯一、『運航』の文字が示された便が丹羽が予約していた飛行機だったという幸運にも背中を押され、丹羽は1月7日、フランクフルト経由でスペイン・ビルバオに到着する。退路を絶った、決断だった。

「正直、JリーグからはJ1クラブを含めてオファーをいただいいていました。でも、ヨーロッパのウインドウが閉まるのは2月1日で、その頃にはほとんどのJクラブが始動しています。ということを考えると、Jクラブに返事をしなければいけない時期と、ヨーロッパのウインドウがどうしても折り合わない。なので、この時期にヨーロッパでのプレーを求めようと思ったら…大きなオファーをもらえているような選手は別として、日本の話を断ってフリーの状態で現地に渡るしかない。というわけで僕もJクラブからの話はすべてお断りし、その時点では何らプレーできる保証もないスペイン行きを決めました」

 今年で35歳。先の言葉にもあるように、プロサッカー選手としてのキャリアは明らかに後半戦に入っていることも、その自分が海外でのプレーを求めることが決して簡単ではないことも理解はしていた。ましてや、昨年から続くコロナ禍で世界中の経済が打撃を受けたように、サッカー界が厳しい状況に置かれていることも百も承知だった。だが、そんな時だからこそ「チャレンジをしたかった」と話す。

「30歳を過ぎてより意識するようになったのは『自分で生きていく力をつけなければいけない』ということでした。その思いは、昨年のコロナ禍でより強くなったというか。新型コロナウイルスの影響で今後の社会経済はますます厳しくなると予測できた中で、今後はサッカー選手のみならずどの職業でも縦のつながりや過去の関係性だけでは仕事が成立しなくなるだろう、と考えるようになり、だからこそ自分自身がいろんな経験をして、いろんな力を備えていかなければいけないという思いが強くなりました。つまり、これからは一人の人間、丹羽大輝として何ができるか、を問われることがもっと増えるだろうな、と。そう思った時にやはり動くなら今だな、と思い新たなチャレンジに踏み切ることにしました。世の中的には、どちらかというとみんなが動き出すことに臆病になっている時期で、今もそれは変わらないと思いますが、僕はこういう時だからこそ『攻め』の選択をしたいと思ったし、今、チャレンジすることで得られるであろう新しい力を自分に蓄えたいと思いました」

 もっとも、セスタオへの移籍はトントン拍子で進んだわけでは決してない。当初、丹羽の獲得に意欲的だったクラブの監督が、現地に到着後、契約成立直前に解任となり、話が白紙に戻されたり。獲得の意思を示してくれたチームがあっても様々な事情で話が頓挫したり。何より、ようやく3月初旬にセスタオとの契約がまとまって練習に合流していたにもかかわらず、就労ビザ取得に手こずって登録が大幅に遅れたり。約4ヶ月の間には「さすがにもう厳しいかもな」「俺はここまでしてホンマにスペインでプレーをしたいのかと何度も自問自答した」そうだ。

 だが一方で、現地に渡ったからこそ経験できたことも数知れず、その事実に日々たくさんの驚きと勇気をもらいながら現実を受け入れ、「やはりスペインでプレーをしたい」という思いに背中を押されてそれを乗り越え、と繰り返しているうちに道が拓けたと言う。

「日本にいたら仲介人に任せっぱなしで気づけなかった契約ごとの難しさも、今回、自分で初めていろんな交渉をする中でたくさん学べたし、その過程でどれだけの人が動いているのかも思い知った。現地に渡ってからは4部のチームで練習をさせてもらっていたんですけど、いきなりやってきた見ず知らずの日本人を快く受け入れてくれて、いろんな力になってくれて…。『正式オファーがなかったら、うちに来ればいい』とまで言ってくれて心強かったし、そこでまた仲間が増えたのも、スペインを深く知る時間になったのも財産やし…って考えるとほんまに毎日、得るものしかなくて、恐ろしい数のアクシデントもめちゃめちゃ楽しみながら乗り越えることができました。おかげで僕は今年でプロ18年目やけど、プロになったばかりの時のような…いや、あの時以上に毎日にワクワクしながら過ごしています(笑)。もちろん、日本のサッカー界にもたくさんのことを学ばせてもらって、それがあったから今の自分がいるのも事実やけど、やはり日本を飛び出してみないと気づけなかったこともたくさんあったと思えば、ホンマにチャレンジしてよかったし、この国でプレーすることによってまた新たに『サッカー』を学べそうな予感もあります」

 彼の口から溢れ出てくる力のある言葉に、テレビ電話を通してでも熱が伝わってくるイキイキとした表情に、丹羽の充実ぶりがうかがえる。しかも、数々の驚くようなアクシデントも「面白すぎる!」と言って笑い飛ばす姿に、改めて彼がプロキャリアでも武器にしてきた、逆境をものともしない『生きる力』を感じ取る。もっとも、それも最大の理解者である家族の支えがあってこそ。毎日のLINE電話が大きな支えだったと表情を緩める。

「妻は、僕がスペインでプレーしたいという考えを伝えた時からずっと『パパがやりたいようにやればいい。スペインでも、国内でも、それ以外の選択をしてもパパは大丈夫だってわかっているし、私や子供のことは考えなくていいからね』と背中を押してくれました。うちには10歳、7歳、4歳の子供がいて、妻一人で見てもらっているので、さすがにスペインに渡って1ヶ月を過ぎた頃からは『俺、ここで一人で何しとるねん』って思うこともあったし、就労ビザ取得までのてんやわんやも含めてアクシデントだらけやったけど、毎日そのことに不安を抱く暇もないくらい僕も、家族も明るい未来だけを想像して、一緒に笑い飛ばしてくれていたから。そんな風に一緒に夢を追いかけて、戦ってくれる家族がいるのがほんまに心強いし、だからこそ、家族に胸を張れる生き方をしなアカン、妻や子供たちが自慢できるパパでありたいって強く思います」

 今回の契約は現在、セスタオが参戦中の、3部リーグへの昇格プレーオフを勝ち抜くことを目指した強化で、まずは夏までの契約だが、その先もスペインでプレーすることを想定し、家族を呼び寄せる準備もしているそうだ。もちろん、そのためにはまず、セスタオでの『結果』が求められるのは承知の上で。

「正式に契約が成立するまでに十分、チームに溶け込む時間はあったし、すっかり馴染んでいます。言葉も…今も勉強は続けていますが、こっちで生活するようになって一気に上達したし、コミュニケーションを図るのもなんら問題がない。てか、少々言葉が通じなくても全く気にならないくらい毎日、ボールを蹴るのがめちゃめちゃ楽しい! だからまずはセスタオの昇格のために、また今回の加入に際して尽力してくださったたくさんの方への恩を返すために、最大限の力を注いで戦います」

 日焼けした顔にビッグスマイルを浮かべて決意を口にした丹羽。明るさと強さと、そこはかとない『生きる力』をたずさえて、スペインでの新たなチャレンジが始まった。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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