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<リポート>JFL昇格に向けた挑戦。FC TIAMOが描く未来図。

高村美砂フリーランス・スポーツライター

現役時代はガンバ大阪や鹿島アントラーズ、セレッソ大阪で活躍した新井場徹がアドバイザーを務めるFC TIAMO枚方(以下、FC TIAMO)が、2度目の関西サッカーリーグDivision1(以下、関西リーグ1部)の戦いに挑んでいる。

1度目の関西リーグ1部参戦となった2015年は従来のチーム名『FC TIAMO』に地域名を加えた『FC TIAMO枚方』として新たなスタートを切ったが、わずか1勝しかできず最下位で再び2部に逆戻り。それを受け、クラブ体制の見直しを図って臨んだ昨年の同リーグを9勝3分2敗で優勝し、1部に返り咲くと、今シーズンはここまで7試合を戦って4勝1分2敗、3位とまずまずの滑り出しを見せている。

■時間をかけて育んできた『チーム愛』を大切に。

FC TIAMOの歴史は04年に遡る。先述の新井場がガンバ大阪に所属していた当時のチームメイト、播戸竜二(大宮アルディージャ)、稲本潤一(コンサドーレ札幌)とともに『FCイバンイーナ』を発足。大阪府社会人5部リーグから参戦し、毎年、所属リーグで優勝を重ねて現ステージに上り詰めた。

途中、稲本と播戸は移籍に伴ってクラブ経営から離れたが、新井場は継続して経営に携わり、06年はチーム名を『FC TIAMO』に変更して3部リーグ優勝を果たす。その中では、08年に小学生年代を対象としたFC TIAMOジュニアを、10年にはFC TIAMOジュニアユースを発足。11年にはトップチームも大阪府社会人リーグ1部優勝を果たして12年には関西リーグ2部に参入し、以降、冒頭に書いた通りに歩みを進めてきたというわけだ。現時点での目標は関西リーグ1部を征してジャパンフットボールリーグ(JFL)に昇格すること。今は会長職に退いている新井場はその夢を語る。

「FCイバンイーナ時代は正直、ここまでクラブの規模が大きくなるとは思っていなくて(笑)。ですが、チーム運営を進めてきた中でいろんな可能性に気づき、それが、自分の生まれ育った街にJリーグクラブを作りたいという思いに直結してここまできました。とはいえ今年で発足14年目ですからね。見方によっては時間がかかったと思う人もいるかもしれないけど、僕は正直、この課程がすごく大事だったと感じています。一気に資金を集めて、パワーをかけてチームを作る方法も否定はしませんが、時間をかけて浸透させたからこそ育まれたチーム愛もある、と。実際、去年の終わりくらいからサポーターが…Jリーグでいうゴール裏にいるサポーターのような太鼓を持って応援してくれるファンが自然発生的に存在するようになりましたが、そういう派生のパワーもチームを大きくしていくにはすごく大事だと思っています。その一方で、枚方市が40万人都市だという街のポテンシャルには着目しています。かといって、シンボルとなりうるものがないという現状にも。現に東海大学付仰星高校が全国高校サッカー選手権大会に出場したり、常翔啓光学園高校がラグビーの名門で知られてはいますが、街をあげて応援する状況には至っていません。ひらかたパークは『ひらパー兄さん』のV6岡田准一さんのおかげで知名度が高まりましたけどね(笑)。そういう意味では枚方市にはチャンスが広がっているし、この街で生まれ育ち、ずっとサッカーに関わって生きてきた僕としてはサッカーがこの街を盛り上げる要素の1つになってくれたら嬉しいとも思う。そのきっかけにFC TIAMOがなれば最高ですね(新井場)」

そんな風に考えるようになったのは新井場が現役時代に所属した鹿島アントラーズの運営に着目したからだ。鹿嶋市の人口は今年の5月1日現在で約7万人。だが、その街のシンボルともいうべき鹿島アントラーズは、地域に密着したクラブとしてその名を馳せ、近年、年間平均観客動員数が15000人を下回ることはまずない。昨年に至っては、93年から始まるクラブ史において、歴代6位となる20068人の平均観客動員数を数えるなど、その人気に衰えは見られない。もちろんこれらの数字はチームの結果に左右されるものでもあるが、しっかりと『クラブ愛』が育てば、同じことが枚方市でも可能だと新井場は考えている。

「鹿嶋市って鹿島アントラーズが誕生するまでは茨城県にあることさえ知らない人が多かったと思うんです(笑)。それがアントラーズによって、全国規模で街が知られるようになった。また松本山雅FCのある松本市も合併を繰り返す中で、今では10万人都市になりましたが、アントラーズと同じようにサッカーによって知名度が上がった街ですからね。特に松本山雅の場合は、僕らと同じように北信越リーグから始まってJリーグに参入するまでのクラブに成長したと考えても、その4倍近い人口を誇る枚方市にも大きな可能性を感じるし、この場所で地元の子供達が夢を叶えてJリーガーになるというストーリーが生まれれば、間違いなく、地域に密着したクラブとしてその形を大きくしていけると思っています(新井場)」

■2年前の反省をもとに、環境を整えて2度目のJFL昇格を目指す。

そんな風に新井場の熱に牽引されて成長してきたFC TIAMOは現在、新井場の鹿島時代のチームメイト、山本拓弥が監督を務める。

山本もまた新井場の熱に刺激を受けて仲間となり、ジュニア・ジュニアユース年代の指導者を経て、昨年からトップチームのコーチを、今年から監督業を預かっている。

「新井場さんの地元への思いや、サッカークラブの経営理念、そして何より『人』の部分ですよね。新井場さんが選手・スタッフはもちろん、このクラブに携わるすべての人を、ファミリーのように大事にする姿に共感して、僕も一緒に仕事をさせていただくようになりました。その中で、僕自身がサッカー選手として育った課程において大きな影響を受けたジュニアユース〜ユース年代の育成指導にあたりたいという思いから、同カテゴリーの指導者からスタートしましたが、当時から並行して夜はトップチームのコーチをさせていただいていたんです。そんな中で昨年からトップチームが午前に練習をするようになったことを受け、また自身の将来的なことも考えて、アカデミーの指導者も続けながら、トップチームの監督をさせてもらうチャンスをいただきました(山本)」

その言葉にもあるように、また冒頭にも書いたように、1年で関西社会人リーグ2部に逆戻りした経験を踏まえ、FCTIAMOは昨年大きなテコ入れに踏み切った。選手が仕事を終えた後、夜に練習をしていた体制を、午前の練習に切り替えたことだ。チームスポンサーなどの協力を経て、クラブ側が仕事環境のサポートを行うことで、現所属の半分以上の選手が午前中は練習を、午後からはクラブが斡旋した企業で仕事をするという体制が整い、これまで以上にサッカーとの両立を図れるようになった。ゆくゆくはこれをより強化していくプランだと新井場は語る。

「スポンサー企業等にもご理解とサポートをいただき、現時点で12〜13人の選手が午前中は練習を行い、午後から仕事をするという体制を敷けるようになりました。来年には5〜6人はこの体制でやれる選手を増やして、さらに環境を整えるつもりです。といっても、選手個々にもいろんな事情があり、全員が今の体制でやれるわけでもない中で、実は未だに夜に練習をしている選手も何人かいます。チームを長く支えてきてくれた功労者もいる中で『午前練習に来れないからダメだ』とは言いたくないというか。地域に根ざしたクラブを目指せばこそ、このクラブの過程に携わってきてくれた彼らの存在も大事な戦力だと考えています。ということもあり、中には3部リーグの時から所属している最古参で、正直、見た目もすっかり『おっちゃん化』している選手もいて…(笑)。今はほとんど試合にこそ絡めませんが、水の準備など裏方の仕事に力を貸してくれていますし、彼とは立ち上げの時から『Jリーガー』にしてやると約束していましたからね。未だに毎年、選手登録はしてユニフォームも渡しているという選手もいます。その一方で、例えば、岡田武瑠のように、ポーランドリーグから戻って次のステージを模索している選手もいれば、今年から加入した小川直毅のように『Jリーグ』に野心を持ち、このチームをステップアップの場にしようと考えている選手もいます。でも、それぞれの目標や野心が違うのも、このステージを戦うクラブならではですからね。個々の目標は違っても、このチームを強くするために、という思いで在籍しているなら問題ない。それに、ここからステップアップする選手が誕生することもチームには大きな刺激ですしね。ただ…嬉しいことにTIAMOに加入すると、なぜか選手の多くがクラブ愛を深める傾向にあり (笑)、『TIAMOをJクラブにすることが目標にします』と目標変更を口にする選手も多いんですけど(笑)(新井場)」

■昨年までガンバ大阪に在籍した小川直毅もチームの一員に。

新井場の言葉に出てきた小川直毅は昨年までガンバ大阪に所属していた選手で、新井場にとってはガンバアカデミーの後輩でもある。ガンバとの契約が昨年限りで満了になった後、いくつかのJクラブに練習参加をして新天地を求め、契約直前まで進んだ話もあったが、最終的には話がまとまらず、FC TIAMOでプレーすることになった。

「J3リーグまで可能性を探り、テストも受けに行ったし、練習試合等での感触は良かったのに最終的には話がまとまらなかったりして…国外ということなら、カンボジアリーグでのプレーを勧められて気持ちが傾いたりもしました。ただ、そもそもの自分の目標は『もう一度、Jリーグでプレーすること』にありましたから。そのために今をどうすべきかを逆算して考えた結果、夏のウインドウでJクラブ入りを目指すには、国内でプレーした方がいいという考えに行き着き、いろいろ助けていただいていた新井場さんのTIAMOでお世話になることを決めました。もっとも、冬のウインドウで求められなかった選手が夏のウインドウでJクラブに加入できる可能性は限りなく低いと覚悟していますが、ガンバのトップチームに昇格して3年、途中、藤枝MYFCに期限付き移籍も経験した中で毎年、自分なりに成長への手応えはありましたからね。このまま自分のサッカー人生を終わるのは納得ができないというのもあったし、これまで認めてもらえなかった人を見返してやるという思いも大きかった。そういう思いがある限り、頑張ろうと思っています(小川)」

そんな小川は今、選手としてプレーする傍ら、主に大阪の北摂地域を中心に活動する『わくわくサッカースクール』でスクールコーチを行なっている。将来的を見据えてのことだ。

「夏のウインドウでのJリーグ復帰は目指しているとはいえ、今回のようにサッカーで飯が食べられなくなるということは、いつかまた経験することですから。次の仕事について考えるのもいい機会だと思い、練習のない午後からの時間を使って幼稚園、小学生を対象にしたスクールコーチをしています。最初はサッカーと並行してできるかなと思っていましたが、やってみると意外と面白くて。将来的には本腰を入れてもいいかなという気持ちも膨らんできています。ただ、いずれにせよ全ては、サッカーでの結論が出てから。今はTIAMOにもすごく愛着も感じているし、ここでサッカーをするのも楽しいし、『このチームをJFLに昇格させたい』という思いも強いので、難しい判断にはなりそうですが、まずは当初の目標通り、夏のウインドウでJリーグ復帰を目指した上で、その答えが出たら将来を再度考えようと思います(小川)」

その言葉にもあるように、小川は今「心からサッカーを楽しめている」そうだ。加入当初は自分の気持ちも整理できておらず、Jリーグより遥かに下のカテゴリーでプレーしている自分を受け入れ切れていないところもあったが、今は違う。チーム、環境にも慣れ、これまでとは違う立場でサッカーに向き合うことに、これまでにはない楽しさも感じている。

「このカテゴリーだからでもありますが、コンスタントに試合に出場しながら、チームの真ん中でプレーできているのは、すごく楽しい。それによって忘れかけていたサッカーの楽しさを思い出している自分もいます。ただ、本当にJを目指すのなら、この舞台ではもっと圧倒的な結果を残せなければいけないし、目に見えた数字がなければ注目もしてもらえないステージですからね。そこはまだまだ求めていかなければいけないところだと感じています(小川)」

そんな言葉を聞いた日から約1週間後。ホーム・枚方陸上競技場で行われた関西リーグ1部・第5節『FC TIAMO対バンディオンセ加古川』戦を取材に訪れた。結果は4-1で勝利。この日も先発を飾った小川は、正直『圧倒』とは言えないパフォーマンスだったが、ガンバ時代とはややプレースタイルを変え、個での仕掛けというよりは『チームのために』という意識を感じさせるプレーで攻撃を支えた。

そんな小川を含めたFC TIAMOを応援するスタンドにはこの日、思いの外、たくさんの観客が駆けつけていた。新井場が言っていた通り、時間の経過の中で誕生したサポーターもスタンドで熱い応援を続け、その周りでは試合後の同スタジアムで練習を控えていたFC TIAMOジュニアの子供たちが、『にいちゃん』選手に向かって一生懸命応援を繰り広げていた。そして、試合後にはトップチームの選手とジュニアが一緒に記念撮影。それが終わるとトップチームの選手と入れ替わるように、子供たちが元気いっぱいにボールを持って駆け出した。その光景に、改めてFC TIAMOの未来図を見た気がした。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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